生國魂神社|大阪|実は凄い神社だったんだね!日本国土の守護神を祀る古社は、癒しのパワースポットだ!

2016年5月31日

生国魂神社は、神武天皇東征時に始まる古社で、難波大社とも称される大阪随一の神社である。その祭神は宮中の神祇官西院で祀られる神々に列する。凄い神様なのである。

一段下の生玉の杜には、大阪城周辺にあった神社が集められている。

ひとつずつ、ご紹介していこう。

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“難波大社" 生玉の杜エリア

本殿左の皇大神宮の横から階段を降りていくと、緑の芝生を囲むように、たくさんの末社が鎮座している。

どの摂社も、立派な造りである。

この芝生エリアも「気持ちのいい場所」だ。

精鎮社

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階段を下りてすぐの左手に「精鎮社」がある。前述の弁財天だ。私が生國魂神社境内で一番気持ちいいと感じたのはココである。

祭祀は、事代主神と比咩大神。

事代主神
古事記における国譲り神話に登場する、大国主命の二人の息子のうちの一人。
国譲りを迫られた大国主命は、二人の息子に判断を委ねた。 国を譲ることを「承知した」と言って姿を消したのが兄の事代主神。
この時、海で釣りをしていたので、後世、「海」「釣り」繋がりで「恵比寿神」と習合した。

比咩大神
比咩大神は「女神」という意味となる。よって何という女神かはわからないが主祭神に関係する女神であることが多い。しかしこの精鎮社は、かつては弁財天であったということからすると「市杵嶋姫命」と考えるのが妥当と思われる。

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精鎮社の横にはちょっとした清流が設えてあって、そのせせらぎの音と緑などもあいまって、癒されるのである。

城方向八幡宮きたむきはちまんぐう

こちらが前述の、蓮池にあった城方向八幡宮きたむきはちまんぐう。当時は大阪城の方向を向いて鎮座していた。すなわち北向き。であるからして、城方向と書いて北向きと読むのだそうだ。

祭神は八幡大神様。誉田別命、気長足媛命、玉依比売命である。もちろん、勝負運向上のご利益あり。

ちなみに現在は、東向きに鎮座されている。

鞴神社ふいごじんじゃ

その右が、ふいご神社」

祭神は、天目一箇神あめのまひとつ石凝杼売命いしごりどめ香具土神かぐつちのかみ

  • 天目一箇神は、天の岩戸神話で、鉄鐸を造った神
  • 石凝杼売命は八咫鏡(銅鏡)を造った神
  • 香具土神は生まれる時に、母神である伊弉冉尊にヤケドを負わせた火の神
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中を覗くと、本殿前に銅や鉄などの鉱物を溶かすときに使うふいごが設えてある。神事で使用するものと心得る。

このようなことから、鉄や銅、鋳造の守護神とされる。よって、製鉄業界、金物業界の信仰を集めている。

家造祖神社やづくりみおやじんじゃ

その右が、家造祖神社やづくりみおやじんじゃ。祭神は、手置帆負神たおきほおい彦狭知神ひこさしり

手置帆負神と彦狭知神
岩戸隠れ神話で、岩戸から出た天照大御神が入ったという「瑞殿みずのみあらか」という御殿を建てた神様。工匠守護の神とされる。

であるからして、建設業界からの信仰を集めている。新築一戸建てを予定している人も、こちらで工事の無事を祈願されてはいかがだろうか。

ちょうど、私、住まいを新築する予定があるので、念入りにご挨拶申し上げた。

追記
先日、無事に新居が建ったことを感謝申し上げた。

浄瑠璃神社じょうるりじんじゃ(じょうるりじんじゃ)

生國魂神社から西へ徒歩10分ぐらいだろうか、文楽座ぶんらくざという演劇場がある。本来は文楽というのは劇場の名前なのだが、今では、文楽といえば人形浄瑠璃のことを指すようになっている。

で、浄瑠璃神社じょうるりじんじゃとは?

「近松門左衛門」をはじめとする、文楽(浄瑠璃)関係者」が祀られているという。

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女性に人気「朱の社」エリア

本殿の石垣の下に、赤い社が3つ並んで鎮座しているゾーンがある。

手前から「稲荷神社」「源九郎稲荷神社」「鴫野しぎの神社」と並んでいる。女性の参拝者が目立つ。特に、一番奥の鴫野しぎの神社には列ができていた。

稲荷神社

祭神は倉稲御魂神うかのみたまのかみ。こちらに祀られている「倉稲御魂神うかのみたまのかみ」は、日本三大稲荷のひとつに数えられる祐徳稲荷ゆうとくいなり神社」のご分霊にあらせられる。

祐徳稲荷神社は、漆で仕上げた極彩色の本殿、神楽殿、楼門の美しさが日光東照宮のようだということで鎮西日光とも称される。

ちなみに、日本三大稲荷は、伏見稲荷大社(京都)、祐徳稲荷神社(佐賀)、笠間稲荷神社(茨城)である。

ご利益は、五穀豊穣・商売繁盛・除災招福である。

源九郎稲荷神社

祭神は「源九郎稲荷大明神」と「八兵衛大明神」である。

源九郎稲荷大明神
大和郡山市の「源九郎稲荷神社」からの分霊と思いきや、「奈良県吉野からの分祠」とある。ご利益は、五穀豊穣・商売繁盛とのこと。

八兵衛大明神
道頓堀に架かる戎橋(引っかけ橋)南側にあった中座の館内に祀られていた「芸道の神様」である。中座が閉館する際に分霊したということだ。ちなみにこの「八兵衛」はタヌキである。なんと、キツネとタヌキが合祀されているということになる。

“縁結び" 鴫野しぎの神社

一番奥に「鴫野しぎの神社」が鎮座する。一見して「蛇神」もしくは「龍神」が祀られていると思わせる雰囲気である。

もともとは大阪城の北東「弁天島」という中州にあったらしい。現在のOBP辺りであろうか。淀殿の信仰ことのほか篤く、頻繁に参拝されたと聞く。

鴫野神社の祭神

祭神は、「市寸島比賣神いちきしまひめのかみ 」「大宮賣神おおみやめのかみ」「淀姫神よどひめのかみ」の3柱の女神である。

市寸島比売命
天照大神と素戔嗚尊との誓約うけいで生まれた宗像むなかた三女神のうちの一柱。宗像むなかた大社や厳島いつくしま神社に祀られる神。
日本書紀によると、天孫瓊瓊杵尊ににぎのみことが降臨の際、天孫の養育係に任命されたと伝わる。よって、子守の神、子供の守護神としての神徳をもつようになった。
一般的には、弁財天と習合して財宝・美容・芸能の神として祀られることが多い。

大宮売神
天照大神の侍女で、宮廷の調和を図る神とされる。派生して家内安全、家族和合の神として信仰を集める。方や、伏見稲荷大社においては、宇迦之御魂神の配神として祀られており、商売繁盛のご神徳も持ち合わせる。

淀姫神
言わずと知れた豊臣秀吉の側室であり秀頼公の母君。淀君が鴫野弁財天を深く信仰していたことから合祀されている。

確かに、市寸島比賣神と大宮売神のご神徳は、秀頼の成長、家臣たちの調和、その結果として豊臣政権の維持という、淀殿の大命題にピッタリと当てはまる。

悪女的に描かれることの多い淀君であるが、このように考えると、憐れを感じるではないか。。。

鴫野神社 提灯の文字

提灯の表は「心に錠前」だったが、裏には「縁」の文字が書かれている。

鴫野しぎの神社はいつのころからか、心願成就・縁切り・縁結びの御利益を頂けると、多くの女性が集まるようになったという。

「心に錠前」は、「心願は硬く心に誓うべし」という意味と、「心願をむやみに人に言わないこと」という意味があるように思う。

現代とは異なり、江戸時代の大半の女性は、自分の思うように生きることが難しい時代だったろう。思うように生きるといっても職業や学問などのことではない。それらはそもそも選択肢が無い時代だったのだから。

神様にお願いしたいのは「縁」のみだったのかもしれない。

好きな人と一緒になりたい。しかし親が相手を決めてしまい、従わざるを得ない。まさに曽根崎心中である。

江戸時代の女性の心願は、すなわち「縁」だったのではないだろうか。。。

御神木

鴫野神社の裏手に、「御神木」があった。

前述の通り、祠に近づくにつれて、明らかに「蛇神」もしくは「龍神」が祀られていると思わせる雰囲気(水気、湿った土の香り、まとわりつく湿気的な雰囲気)

この御神木、白蛇の棲み処なので「巳さんの御神木」と言われている。やはり「蛇神」であった。

しかし、火災で燃えたような黒くこげた跡がある。実に痛々しい。それでも、この木は生きているのだ。

上町台地のパワースポット

上町台地は、上町断層によってせりあがっってできた台地。生國魂神社のすぐ西側は崖になっているので、断層上にある神社といっていいと思われる。

そう考えると、たしかに上町台地の崖の上と下に、多くの社寺が建立されている。

パワースポットが点在している地域と見て間違いないだろう。

上町台地にある、パワースポットといえば、北から、大阪城難波宮高津宮こうづぐう、生國魂神社(日本国土の神霊)、愛染堂あいぜんどう(縁結び)、清水寺、安居神社一心寺いっしんじ四天王寺、あべのハルカス、住吉大社。そして南の端には仁徳天皇陵のある世界遺産「百舌鳥もず古墳群」。

ビッグネームが目白押しである!全て、上町断層近辺に存在するのである。

我が大阪河内地方の断層といえば、生駒断層と交野断層も有名。この断層には、磐船いわふね神社星田神社、妙見さん、四条畷神社、野崎観音、石切劔箭いしきりつるぎや神社枚岡ひらおか神社瓢箪山ひょうたんやま稲荷、玉祖たまのおや神社、天照大神高座神社、岩戸神社、恩智おんじ神社などなど。

こちらも由緒ある神社がズラリと並んでいる。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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