難波八阪神社|難波|大きな獅子頭にびっくり仰天!でも意外に、、、

2018年6月10日

難波八阪神社は、浪速区元町にある神社。

もとは牛頭天王を祀る祇園社であり、京都祇園の八阪神社と同様、明治時代に入り難波八阪神社と改名した、素戔嗚尊を祀る神社である。

難波八阪神社と言えば大きな大きな獅子舞台。その大きさと迫力で、外国人観光客の人気を大阪城と二分しているとかいないとか。

いずれにしても、一見に値する。

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難波八阪神社の祭神

難波八阪神社 概要

  • 所在地   大阪府大阪市浪速区元町2丁目9−19
  • 電話番号    06-6641-1149
  • 主祭神      素戔嗚尊
  • 創建年      不明
  • 社格   郷社
  • 公式HP     https://nambayasaka.jp/

難波八阪神社 アクセス

MAP

アクセス 

  • 各線なんば駅から 徒歩7分

駐車場  

  • なし

難波八阪神社の祭神

現在の祭神は「素戔嗚尊」「奇稲田姫命」「八柱御子命」となっている。

素戔嗚尊(すさのおのみこと)

日本書紀では、、、
伊弉諾尊と伊弉冉尊の神生みで生まれたとされている。

一方、古事記によると、、、
伊邪那美命が死んでしまったあと、伊邪那岐命が穢れを祓う儀式「禊祓」を行ったときに生まれたとされる。

いずれにしても、

世の中を支配するべき最も貴い三柱の神々「三貴神」の一柱に数えられる。あとの二柱は、「天照大神」と「月読尊」。

神仏習合思想によって「牛頭天王」と習合し、広く全国の「祇園社」や「天王社」に祀られるようになる。

しかし明治維新時の神仏分離政策によって、これら「牛頭天王」を祀る神社の多くが「八阪神社」や「須賀神社」などに改名し、祭神も「素戔嗚尊」に変更していった。

現在、素戔嗚尊を祀る神社が多いのはそのためだ。

奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)

奇稲田姫命は、素戔嗚尊が妻にした姫。古事記では櫛名田比売」。大山津見神の孫娘である。

八岐大蛇(やまたのおろち)の生贄となる運命であったが、素戔嗚尊に助けられ妻となった。

素戔嗚尊とセットで祀られることが多い。

八柱御子命(やはしらのみこのみこと)

公式HPによると、こちらに祀られる八柱御子とは次の通り。

  • 天忍穂耳命
  • 天穂日命
  • 天津日子根命
  • 活津日子根命
  • 熊野久須毘命
  • 多紀理比売命
  • 多岐津比売命
  • 狭依毘売命

これは、天照大神と素戔嗚尊の誓約で生まれた神々。すなわち、天照大神との子である。

こちらの祭神は素戔嗚尊と奇稲田姫である。なので、本来ならその二柱の子であるべきと思うのである。

奇稲田姫との八人の子「八王子」となると、、、

  • 太歳神(木星の精・総光天)
  • 大将軍(金星の精・魔王天王)
  • 太陰神(土星の精・倶魔羅天王)
  • 歳刑神(水星の精・得達神天王)
  • 歳破神(土星の精・良侍天王)
  • 歳殺神(火星の精・侍神相天王)
  • 黄幡神(羅光星の精・宅神相天王)
  • 豹尾神(計斗星の精・蛇毒気神天王)

となろうか。。。

これは素戔嗚尊と奇稲田姫との子というよりも、神仏習合関係にあった「牛頭天王」と「頗梨采女」との子なのである。

おそらくは、江戸時代までは後者の「八王子」が祀られていたのだろう

そして明治期になって、素戔嗚尊に変更する際に、日本神話に登場する神に変更したかったがために、誓約で生まれた「五男三女」を「八柱御子」に充てて、変更されたのだろうと思うところである。

まとめると、、、

江戸期までの祭神は、「牛頭天王、頗梨采女、そしてその子達である八王子」であったのだろうということだ。

難波八阪神社の創建・歴史

創建年代は定かではない。後三条天皇の御代には「祇園牛頭天王」を祀る「難波下の宮」と称され、難波村の産土神として崇敬を受けていたとされる。

ちなみに「難波上の宮」は現:難波神社だそうだ。

難波八阪神社のご利益

神社の発表は以下の通りである。

  • 素戔嗚尊より・・・厄除け・疫病退散・商売繁盛・農耕殖産
  • 奇稲田姫より・・・縁結び・夫婦和合・安産
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難波八阪神社 参拝記録

難波には、いくつかの路線が乗り入れている。ここ難波八阪に一番近い駅はというと、、、どこも大して変わらない。もっと言うと、大国町の駅からでも変わらないのである。

要するに、中途半端な場所なのだ。

車で行かれる場合、駐車場は無いのだが、すぐ前にコインパーキングがある。30分200円程度なので、こちらを利用されるのがよかろうと思う。

大きな鳥居は、東と南にある。

東から入ると、あの「獅子舞台」が正面に見える。

正面玄関は南の鳥居のようだ。

こちらは、本殿が正対している。おそらくはこちらが正門なのであろう。

近づくと、獅子の水口から自動で水が出てくる。ピューッと。ちょっとコミカルな手水舎だ。

拝殿

まずは本殿に参拝しよう。階段を上る。鉄筋コンクリート製の拝殿だ。日当たりの具合や、白っぽい建築物が、なんとなく難波神社の拝殿に似ていると思った。

二拝二拍手一拝。私の柏手が境内に鳴り響く。。。

拝殿右手の末社エリア

獅子舞台に行きたいところだが、それはあまりにも素人な行動。グッと我慢して末社エリアへ。

祠が4基並んでいる。

皇大神社、市杵嶋姫神社

右が「皇大神社」で、天照皇大神と猿多彦大神を祀っている。「命の源」「開運」に強烈なご利益がある。

左が「市杵島姫神社」で、市杵島姫命と大物主神を祀る。

本殿に祀られている八柱御子命の中の「狭依姫命」も「市杵島姫命」と同一。宗像三女神の一柱で絶世の美女だったとされる。海上安全の神として祀られているのだろうか。

大物主神も、おそらくは海運守護の神として祀られていたと推測する。

というのも、ここからすぐ西は海だったからだ。

三宝荒神社、豊国稲荷大明神

右が「三宝荒神社」で、奥津日子命、奥津比売命という「かまどの神」が祀られている。

そしてこちらも神仏習合当時は「三宝荒神」が祀られていたのであろう。

三宝荒神(さんぽうこうじん)とは、仏教における「仏」「法」「僧」の三宝を守護する神で荒々しい神。

その荒々しさと祓いの力から「火」が連想され、いつしか「竈の守護神」として習合していくのである。

左が「豊国稲荷大明神」豊国稲荷大明神が祀られている。豊国=豊臣秀吉公であろう。

徳川家康公が「東照大権現」として祀られたように、豊臣秀吉公は「豊国大明神」として祀られているのである。

であるからして、出世稲荷の側面も持つことは間違いなかろう。

宮跡の石碑

大切に厳重に保護された一角に「宮跡」と彫られた石碑が立つ。「難波下の宮」と呼ばれていたころの宮跡であろう。

ここで一休み。

リラックスパワー

4基の祠や、宮跡の石碑、その他いくつかの石碑に囲まれたエリアに佇むと、なにやら「ほわーん」とした、「まったり」とした、「温かーい」気が地面から湧き上がってくるように感じられるではないか。

これは久しぶりの「パワースポット発見」か!
体から余計な力が抜けていく、、、リラックス、、、

人それぞれであろうが、私にはそう思える場所だった。

というわけで、いよいよ獅子舞台に向かうことにする。

獅子舞台

実物をまじかで見ると本当に大きくて、威圧感が半端ない。また、目はライト、鼻はスピーカーというから尋常ではない。

このコンクリートで作られた獅子頭。何のために作られたのか。

大きな口の下あごは舞台として使われる。つまり神楽殿なのだ。様々な芸能が奉納されるらしい。もちろん神事も行われる。

そして、口の奥には神殿があり、素戔嗚尊の荒魂(あらみたま)が祀られているという。

そもそも荒ぶる神として有名な素戔嗚尊。その素戔嗚尊の「荒魂」ということは、エゲツなく荒々しく、エゲツつなくご利益があると想像する。

こちらのご利益はというと、、、

この大きな口で万民の苦難を飲み込み、人々に幸福をもたらすとのこと。

近年では、大きな口で邪気を飲み込み勝運(商運)を招くということで、受験生・スポーツ選手・企業の参拝が多いと聞く。

最後に、、、

滞在時間約30分の間に、なんと多くの外国人観光客が来社したたろうか。100%アジア系だったが、誰一人として神社に参拝する者はいなかった。

そらそうだろう。宗教が異なるのだから仕方ない。

愛すべき我ら日本人は、寺に参り、神社を詣でる。海外へ行けば大聖堂やモスクで祈りを捧げるのだろう。ハワイのチャペルで挙式するとはそういうことだ。

彼らからすると、無宗教的な日本人は稀有な人種となるのであろう。

しかし、我々は決して無宗教ではない。無意識の中に神道が浸透している。無意識なだけなのである。

そして、柔軟なのだ。その柔軟性こそが、愛すべき我ら日本人の武器でもあると、私は思うのである。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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