賀茂別雷神社|上賀茂神社|京都最古の神社で「立砂」の謎に迫る!

2017年3月29日

京都市北区上賀茂本山にある賀茂別雷神社は、式内社の名神大社にして、山城国一之宮であり二十二社の上七社に指定された霊験あらたかな神社である。

通称「上賀茂神社」。以降、上賀茂神社とさせていただく。

賀茂御祖神社(下鴨神社)と上賀茂神社を総称して賀茂神社と呼ばれ、両社とも古代氏族の賀茂氏の氏神を祀っている。

京都三大祭のひとつ「葵祭」は、両神社の祭である。

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上賀茂神社について

上賀茂神社の祭神

主祭神は、「賀茂別雷大神」である。この神は、記紀には登場しない。

山城国風土記によると、

下鴨神社の主祭神である「賀茂建角身神」の娘「玉依姫命」が鴨川で遊んでいると、丹塗りの矢が流れてきた。その矢を持ち帰って寝床のそばに置いて寝ると、なんと懐妊した。そして、玉依姫命は男子を出産。

男の子が元服した祝宴で、賀茂建角身神が男の子に対して、「お前のお父さんにもこの酒をあげなさい」と言った。すると、お横の子は「私の父は、天の天津神である」と言って、雷鳴とどろく中、屋根を突き抜けて天に昇っていった。この男の子を賀茂別雷と呼ぶ。

このことで、賀茂別雷神の父が天津神であることがわかったという。丹塗りの矢の正体は、向日神社に祀られる火雷神とも、松尾大社に祀られる大山咋神とも言われている。

しかし思うのである。日向神社や松尾大社は賀茂川のはるか下流であり、丹塗りの矢が流れてくるのは不自然ではないか?と。

そこ気になる?と言われるかもしれないが。。。

賀茂川の上流は貴船川。貴船川は文字通り貴船神社の横を流れる川である。貴船神社の祭神は「高龗神」。強力な水の神であり「龍神」である。

「丹塗りの矢で懐妊」の逸話は大物主大神と勢夜陀多良比売の逸話にも登場する。大物主大神は龍神あるいは蛇神とされている。

私には、賀茂別雷神の父は「高龗神」であるように思えてならない。「高龗神」は一般的には女神と思われがちなのだが、このさい性別は気にしないのである。という説は、どんなもんだろうか。。。おかしいかな。。。

上賀茂神社の創建

母の玉依姫命と祖父の賀茂建角身命は、天に昇った賀茂別雷神にもう一度会いたいと願う。

すると男の子が枕元に現れ、「吾に逢いたくば、天羽衣・天羽裳を造り、火を焚き鉾を捧げ、走馬を飾り、奥山の賢木を採って阿礼に立て、種々の綵色を垂れ、また葵楓の蔓を造り、厳しく飾って吾を待つならば、来む」と神託する。

その通り行って待っていると、御子が神山に降臨。再び会うことが出来た。

これら各種の飾り付けが、葵祭に先だって神をお迎えする神事「御阿礼神事」として今に伝える。

「奥山の賢木を採って・・・」の奥山とは「貴船山」のことを指すらしい。また出てきた。貴船である。

上賀茂神社 祭祀の推移

さて、神山の山頂の磐座で行われていた祭祀は、時の流れの中で、南麓の神原で行われるようになり、さらに手前の丸山で行われるようになる。祭祀場が山頂から麓へと移動して行くのはよくあることだ。

最終的には、天武天皇の御代(678年)に常設の祭祀場として現在の社殿の基が造営された。この時点が創建となろうか。

平安期に入ると、平安京の鬼門の鎮守として、国家的祭祀が行われるようになる。

嵯峨天皇の御代には、御杖代として皇女有智子内親王を斎王と定め、祭祀を施すことになる。伊勢の神宮と同じシステムだ。むしろ、こちらの上賀茂の方が重要視されていたとも。

この斎王が居住し祭祀に明け暮れた斎院が、紫野の櫟谷にあったらしい。

➡ 櫟谷七野神社|斎院跡|京都にあった!浮気封じ・復縁祈願の決定版!

その後、二十二社の上七社に選定される。しかも、伊勢と石清水という皇祖神を祀る神社に次ぐ序列である。極めて高い地位にあったことが分かる。

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上賀茂神社 参拝記録

神山

前述の、「賀茂別雷神」が降臨したとされる神奈備山である。上賀茂神社の北約2kmにあり、標高は301.5m、円錐形をした美しい山だ。眺めるだけでパワーを頂けるという。

山頂には、「垂跡石(すいじゃくいし)」と呼ばれる磐座があり、その磐座を囲む環状石が設けられているというが、現在は禁足地とされているからして、登ることは叶わない。

大祓詞によると、天津神は天上におられ、神事によって依代に降臨するのに対して、国津神は山頂に坐すという。

上賀茂神社「賀茂別雷神」は天津神であり、下鴨神社「賀茂建角身命」は国津神でありかつ賀茂氏の祖神である。

となると、神山に坐す神は「賀茂建角身命」であり、「賀茂別雷神」は葵祭など特別祭祀を行った時にだけ降臨するのだろうか。。。

神山の湧水

上賀茂神社の手水舎の水は、神山からの湧水である。

煮沸すれば飲用も可能らしい。私はストレートでグイッといった。AGFが「神山湧水珈琲」と称して、湧水で入れた珈琲を境内で振舞っていたようだ。

グイッといった結果、現時点で腹痛などは起こしていない。

偉大な生命のパワーが感じられる水。ありがたいことである。

ならの小川

上賀茂神社を流れる小川である。

神域を流れる川は神聖なのである。これは、どこの神社に参拝しても感じることである。川のそばは浄化のパワーが発せられているように感じる。流れていることが肝心だ。

下鴨神社は大地のパワーを感じたが、上賀茂神社では、水の気を強く感じる。水による浄化パワーだ。そいう点でも、私の中で直感的に上賀茂と貴船がつながってしまうのだ。

立砂の謎

檜皮葺の入母屋造の細殿が上賀茂神社の拝殿で重要文化財なのだが、その前方に二つの砂山が盛塩のように盛られている。

立砂とは

これは神奈備「神山」をかたどったとされる「立砂」である。神山をかたどったものであるから神山の代わりだという。すなわちヒモロギ。依代である。神が降臨する場所なのだ。

近寄るとびりびりする”気”を感じる…という。魔を払う力があり、写真を撮るとよいと言われている。

では、この1対の立砂に降臨する神とは?主祭神「賀茂別雷神」と言われるが、そうだろうか?

立砂の松葉

よく見ると、この立砂には松の葉が立ててある。東側が2葉の松葉で、西側は3葉の松葉。これは、東が偶数=陰=女性を表し、西が奇数=陽=男性を表すものと読み取ることが出来る。

立砂に降臨する神とは

さて、葵祭に先立って行われる神降ろしの祭祀は、神山の磐座ではなく、丸山の磐座で行われる。丸山に降臨頂いた「賀茂別雷神」をば、上賀茂神社本殿に治まる御神体へとお迎えするわけだ。

つまりこの祭祀において、立砂に「賀茂別雷神」が降臨する場面がないのである。

となると、立砂は何のための依代なのか。。。

東の立砂は女神=玉依姫神のもので、西の立砂は男神=賀茂建角身命のものではなかろうか。。。と考える次第である。

ちなみに、同じく京都の世界遺産「宇治上神社」にも立砂が盛られている。

 

さて、拝殿へと進もうではないか

中門から本殿域を望む

拝殿と思っていたが、中門である。中門から参拝することになる。

そして、この画像は、中門から見える「祝詞屋」だ。「祝詞屋」の向こうに「本殿」と「権殿」が隣り合わせに建てられている。

権殿とは、本殿が何か不測の事態に陥った際に、本殿の代わりをする神殿。本殿と同じ造りとなっている。

この本殿域の東奥に「若宮社」が鎮座しているらしい。祭神も不明。一般的には主祭神の御子が若宮として祀られる。となれば、、、

 

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