明治神宮|原宿|縁結び、夫婦円満、家内安全。癒しと浄化。嬉しいご利益がいっぱい詰まった明治神宮へいらっしゃい!

2019年6月22日

明治神宮は原宿駅の西側、渋谷区代々木に鎮座する、日本で最も多くの初詣参拝客を集める神社である。正月三が日で、その数300万人。

敷地面積は22万坪と広大だ。50坪の一戸建てなら4,000軒以上建てることができそうだ。マンションを建てれば、数万人の人々が暮らせる街が出来上がるぐらいの広さということ。

そんな広大な境内の西南に広がる神宮御苑は、江戸初期には加藤家の別邸であった。パワースポット清正井(きよまさのいど)はその頃のものとか。その後、井伊家の下屋敷にもなった場所である。

この原宿駅の東側には、竹下通り、表参道、青山通り。ファッショナブルで洗練された街並みが広がる。対して西側は、明治神宮、代々木公園など、自然や歴史を堪能できるエリアとなっている。静と動。面白い街である。

線路の東と西でこれだけ雰囲気が異なる駅は他にないだろう。と思いきや、あった、あった。鶯谷だ。ここも、線路の東西でまったく異なる町だ。

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明治神宮について

龍脈が合流する明治神宮

徳川家康が、まだ豊臣秀吉の配下に甘んじていたころの話。

小田原征伐も終盤にさしかかったころ、秀吉から江戸への移封を言い渡された。

失意の中、江戸に移ってきた家康。高台から関東なる土地・地形をつぶさに観察する。

側に控える「南光坊天海」が、家康の耳元でなにやら低く呟いた。とたんに家康の顔が徐々に赤みを帯びてくる。そして不敵な笑みを浮かべ、こう言った。「江戸こそが、四神相応の地なり」「龍脈が流れ込む龍穴なり!」

ここから、土地の改良を重ねながら盤石の王城を築き上げていくのであった。

というわけで、富士山から流れる龍脈がこの明治神宮の地で合流して、一気に江戸城へ流れ込んでいくらしいが、私にはわからない。

しかし「イヤシロチ」であろうことは想像できる。

明治神宮の祭神

祭神は、第122代天皇「明治天皇」と、妃の「昭憲皇太后」の二柱である。

もう、何も説明することはなかろう。

明治神宮の創建

創建は、1920年(大正9年)である。

明治45年(1912年)明治天皇が崩御。京都の伏見桃山陵に葬られた。やはり皇室には「日本の都は京都」という概念があったのだろうと思う。

これに対して、天皇を崇敬する東京市民の間に「東京に神宮を建設したい」という運動が巻き起こるのは当然のことと言えよう。

その2年後の1914年(大正3年)に皇后であった昭憲皇太后が崩御すると、にわかに神宮創建へと動き始めた。政府の審議を経て、1915年(大正4年)南豊島御料地に神宮を建設することが決定した。

そして、着工から5年後の1920年11月1日、鎮座祭が行われた。明治神宮の誕生である。

明治神宮の森

神宮御苑以外の場所は、もともと森ではなかった。そこに神宮にふさわしい社叢を作るべく日本の植物学者らが集められ森を設計することになった。

設計の目指すところは、、、

植林した樹木の勢力変遷、落ち葉による土壌の変化などを計算して、その人工林が「100年後に、広葉樹中心の自然森林になっている」こと。つまり肥料など人の手を入れないでも、森の生態系の循環の中で完結する自然の広葉樹林を作るということだ。

ところが、この森、計画以上の速さで成長しているらしい。すなわち、ここが「イヤシロチ」であることの証明にもなろう。

明治神宮のご利益

明治神宮のご利益はと問われると、難しいのである。しかし、強いて上げるとするならば、縁結び、家内安全、夫婦円満であろうか。

時代錯誤と非難されるかもしれないが、明治天皇が明治政府に示した「教育勅語」が、現代社会に生きる我々の精神的支柱になりうるのでは、すなわち「ご利益」なのではないかと思っている。

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教育勅語

正式名称は、「教育ニ関スル勅語」(きょういくにかんするちょくご)、一般的に「教育勅語」(きょういくちょくご)という。

明治天皇が時の内閣総理大臣「山縣有朋」と文部大臣「芳川顕正」に対し、我が国の教育に関して与えた勅語である。以後の大日本帝国において、政府の教育方針を示す文書となった。

1890年(明治23年)10月30日に発布され、1948年(昭和23年)6月19日に廃止された。

教育勅語 原文

朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所
之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

明治二十三年十月三十日
御名御璽

教育勅語 口語文訳

私は、私達の祖先が、遠大な理想ももとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったもにおと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を完うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、美事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。

国民の皆さんは、子は親に孝養をつくし、兄弟、姉妹はたがいに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じあい、そして自分の言動をつつしみ、すべての人々に愛の手をさしのべ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格をみがき、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と、安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然のつとめであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日なで身をもって示し残された伝統的美風を、更にいっそう明らかにすることでもあります。

このようにな国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、このおしえは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、まちがいのない道でありますから、私もまた国民の皆さんとともに、父祖の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。

明治神宮冊子より

私の両親によると、戦前は小学校の朝礼において毎朝、この教育勅語を唱和していたらしい。今でも空で言えるようである。それほど国民に浸透していたというわけだ。

残念なことに「教育勅語」は、帝国主義・軍国主義に利用されたがゆえに戦後廃止されてしまったわけだが、その内容は、国と国民、あるいは世界と全人類が「平和裏」に発展し成長していくための、至極当然な心構え「真理」が述べられていると思うのである。

明治神宮は、地味ながら「幸福の真理」の情報発信基地という側面も持ち合わせているのだ。

では次ページより、明治神宮のパワースポットを紹介していこうと思う。