和爾下神社(上治道宮)|奈良|古墳のてっぺんに鎮座する厄除けの神

2020年2月5日

和爾下神社(わにしたじんじゃ)は、奈良県天理市櫟本町にある、延喜式神名帳に記載ある古社。奈良盆地中東部にある東大寺山丘陵の治道山(はるみちやま)に鎮座する。

延喜式神名帳には「和尓下神社二座」と記載されている。

ここから2.5kmほど西に下ったところに同じ名称の神社があり、当社を「上治道宮」と呼び、西の方を「下治道宮」と呼んでいる。この両社を以って「和尓下神社二座」に比定されているのだ。

鎮座地の櫟本町あたりは、古代氏族「和邇氏」の拠点。神社の東には東大寺古墳をはじめ古墳が点在していて、それらは和爾氏に関連する古墳と見られている。

当社が鎮座する高台も、実は前方後円墳の後円部にあたるという。

スポンサーリンク

スポンサーリンク

和爾下神社(上治道宮)について

和爾下神社(上治道宮)の祭神

現在の祭神は、中央に素戔嗚尊、左に大己貴命、右に櫛稲田姫命を祀る。

素戔嗚尊

記紀によると、天照大御神の弟で荒々しい性格。その悪行の数々により高天原から根の国へと追放された。高天原から出雲に降り立ち八岐大蛇退治で櫛稲田姫命を助けて結婚。出雲に宮を建てて住む。その後、根の国へ隠れた。

日本書紀の一書では、新羅のソシモリに渡った後に日本に帰還したとも。

大己貴命

出雲の国津神。後の大国主命。

古事記によると、、、
兄神たちに命を狙われた大己貴命は、根の国の須佐之男命のもとへ逃げ込む。そこで出会った須佐之男命の娘スセリビメと結婚して、出雲国の盟主となり地上世界を平定していく。大国主の国造り神話である。

日本書紀では、素戔嗚尊の御子ともいわれている。

櫛稲田姫命

素戔嗚尊の妻。八岐大蛇に呑まれる運命にあったが、素戔嗚尊が退治してくれたことで命拾いをする。

神名から農耕の女神であることが伺える。素戔嗚尊は騎馬民族的な性格の持ち主であることから、二人の結婚は異民族の融合を象徴するとも。

和爾下神社(上治道宮)の創建・歴史

創建

創建については定かではないが、延喜式神名帳に記載があるので、平安時代初頭には存在していたことは間違いなかろう。

当社の斜面下に柿本寺跡がある。この柿本寺は奈良時代中期頃の建立とされていて、明治の廃仏毀釈運動により廃寺となった。

古代、当地は和爾氏の本拠地だった。その同族である春日氏は奈良盆地の北部、同じく同族の柿本氏が当地を本拠としたらしいから、当社は柿本氏の氏神であり、その神宮寺として柿本寺が建立されたと考えるのが自然ではないだろうか。

となれば、柿本寺建立時もしくはそれより前の時代には創祇されていたと考えることができよう。そして創祇時の祭神は、柿本氏の祖神、すなわち和爾氏の祖神の天足彦国押人命が祀られていたに違いない。

ちなみに、創祇当初から2社に分かれていかどうかは不明である。

牛頭天王社の時代

年月を経ていく中で、多くの神社と同じく疫病除けの神として「牛頭天王」が勧請されたと思われる。

現在のように医療が発達していなかった頃は、神に力にすがるしかなかったわけで、強力な疫病除けの神「牛頭天王」は各村々に祀られた。

江戸時代中期の大和志に、

「和爾下神社二座 一座 櫟本村に在り、上治道天王と称す。近隣五村共に祭祀に預かる。一座 横田村に在り、下治道天王と称す。十一村共に祭祀に預かる。」

とある。

飛鳥・奈良時代から江戸時代まで、永い年月が過ぎ行く中で、本来の祭神が忘れ去られていったと思われる。

素戔嗚尊に変更

これまた、多くの牛頭天王社と同じくして、明治維新前後の神仏分離の気運の中で、仏教色の強い牛頭天王が廃され、その垂迹とされていた素戔嗚尊が祭神となる。

大正時代の大和志料に、

「和爾下神社 延喜式に和爾下神社二座とあり、一座は櫟本町治道にありて、俗に上治道天王と称す。一座は大字横田治道山にありて下治道天王と称す。共に村社たり。祭神は素盞鳴命・大己貴命・稲田姫の三神を祭ると云う」

とある。

しかし、上治道宮には本来の祭神を祀ることはしなかったようだ。

和爾下神社(上治道宮)のご利益

厄災除け、病魔退散を基本とする。

また、縁結び、子宝のご利益もあるという。

スポンサーリンク

和爾下神社(上治道宮)について

大阪から三重方面に向かって西名阪をひた走る。天理インターを降りたところを左へ(北へ)。すぐに右側に朱色の鳥居が見えるだろう。そこが和爾下神社(上治道宮)への参道の入り口だ。

駐車場について

朱色の鳥居をくぐって、さらに一般道を昇っていくと神社に辿り着くのだが、その道は許可者以外は車での通行は禁止されている。そして、神社には駐車場がない。

よって、無理やり車で昇って行って路駐を敢行するか、鳥居前の大阪王将の駐車場に停めさせていただくかしかなかろうと思う。

鳥居から神社までの参道は歩いて5分程度だ。歩こう。

境内末社3社

鎮守の森に入る手前に、小さな祠が3つ。

  • 天照皇太神社・・・天照大御神
  • 住吉神社・・・底筒男命・中筒男命・上筒男命
  • 天満神社・・・菅原道真公

この対面が、神社への入り口となる。

ここを入って少し進むと、右手に鳥居が出現する。

二の鳥居と十二神社

二の鳥居の正面の境内社は、十二神社。

祭神は、日本書紀で「神世七代」(かみのよ ななよ)と称される神々(下一覧の1~7代目)に、大日霊貴命(天照大神)を加えた、12柱の神々であるからして、日本神話に登場する神々の中でも、特別に尊い神々と言えよう。

いくつかある境内社の中でも、十二社だけ特別に鳥居が設置されている。特別感が溢れ出ているではないか。

1代目・・・国常立尊(くにのとこたちのみこと)
2代目・・・国狭槌尊(くにのさつちのみこと)
3代目・・・豊斟渟尊(とよぐもぬのみこと)
4代目・・・泥土煮尊(ういじにのみこと)・沙土煮尊(すいじにのみこと)
5代目・・・大戸之道尊(おおとのぢのみこと)・大苫辺尊(おおとまべのみこと)
6代目・・・面足尊 (おもだるのみこと) ・惶根尊 (かしこねのみこと)
7代目・・・伊弉諾尊 (いざなぎのみこと)・伊弉冉尊 (いざなみのみこと)
プラス・・・大日霊貴命(おおひるめのむちのみこと)

境内社4社

十二社から左に4つの境内社が鎮座。

手前から、

  • 厳島神社・・・市杵嶋姫命・田心姫命・多岐津姫命
  • 熊野神社・・・伊邪那美命
  • 琴平神社・・・大物主神
  • 稲荷神社・・・倉稲魂神

一番奥の稲荷社前から右に折れて石段を上がっていくと、本殿エリアへ進むことになる。

本殿エリア

拝殿

意外に立派な拝殿。(意外に、、、とは失礼な!)

そして、狛犬ではなく、臥牛が、、、

これはまさに天満宮のいでたちでだ。牛頭天王社の頃、道真公も合祀されていたのかもしれない。

1000年以上の歴史を持つ神社は、多かれ少なかれ記録に残らない祭神の変遷もあっただろう。

二拝二拍手一拝。

本殿

なかなかもって、枯れた感じの本殿である。この枯れ感を私は好む。

調べると、桃山時代の建立とのこと。450年近く前の建築物ということになろう。

ということで、国の重要文化財に指定されている。

大年神社

本殿を囲む瑞垣内に摂社が2つ。そのうちの一つが「大年神社」。

祭神はもちろん大年神。古事記によると、大年神は当社の主祭神である素戔嗚尊の御子。

穀物の神だ。

ちなみに、お正月に門松を立てたり注連縄を飾る風習は、この年神様をお迎えする儀式である。

若宮神社

瑞垣内にある2つの摂社の内のもう一つが「若宮神社」。

祭神は言代主神。当社の祭神の一柱である大国主神の御子。

柿本寺跡

和爾下神社の参拝を終えて丘から降りてくると、鬱蒼とした森の中に柿本寺跡がある。柿本寺は「しほんじ」と読む。

廃仏毀釈運動によって明治に廃止された時の柿本寺は、ここから400mほど離れた櫟本小学校あたりにあったという。

そして、ここが元の柿本寺があったという場所。寺の遺構なるものは一切見えないが、このあたりから奈良時代の瓦が多数発見されたため、ここが建立時の柿本寺跡と認定されたらしい。

ちなみに、中央に見える石板は和爾下神社古墳の石棺の蓋。橋材に使われていたものをここに移設したとのこと。

バチが当たりそう。。。

柿本神社

森から出てくると、小さな公園の片隅に「柿本神社」「歌塚」そして「柿本人麻呂像」がある。

柿本寺には、柿本氏出身の柿本人麻呂の遺骨が祀られていたと伝わっているので、それが由縁であろう。

近所のおばあちゃんが、花と水を手向けて掃除していく様子を拝見した。

もしかしたら、柿本氏の末裔なのかもしれない、、、と思いながら。。。

最後に

和爾下神社には駐車場は無い。

しかし、ちょうどこの人麻呂像の裏手が空き地になっていて、田んぼと公園の間の細い道を通ると、この空き地に行けそうだ。轍もある。

自己責任でお願いしたい。

和爾下神社 概要

  • 所在地  奈良県天理市櫟本町2430
  • 電話番号  0743-63-1001
  • 主祭神  素戔嗚尊・大己貴命・櫛稲田姫命
  • 創建年    不詳
  • 社格   式内小社・村社
  • 公式HP   なし

和爾下神社 アクセス

MAP

最寄り駅

  • JR桜井線「櫟本」徒歩15分

駐車場

  • なし