敏馬神社|兵庫|神戸にもあった縁切り神社

2020年2月6日

敏馬神社は、神戸市灘区岩屋中にある神社。延喜式神名帳に記載ある、神戸地区で最古クラスの神社の一つ。

敏馬と書いて「みぬめ」と読む。一見、馬に関係する神社か?と思うが、かつては、汶売・美奴売、はたまた三犬女や見宿女などとも書かれたというから、どやら馬ではなく女神に関係ありそうな神社のようだ。

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敏馬神社について

敏馬神社の概要

  • 所在地  兵庫県神戸市灘区岩屋中町4丁目1−8
  • 電話番号  078-861-2091
  • 主祭神  素戔嗚尊・天照皇大神・熊野坐神
  • 創建年    201年(伝)
  • 社格   式内小社・県社
  • 公式HP   なし

敏馬神社 アクセス

MAP

最寄り駅

  • 阪神本線「岩屋」徒歩1分

駐車場

  • あり

敏馬神社の創建

創建年代は定かではないが、奈良時代初頭に編纂された摂津風土記の逸文に、

神功皇后が新羅征伐に向かうに際して、川辺郡神前松原(豊中)で神集いをしたところ、能勢の美奴売山(三草山)の神が降臨し、「わが山の杉の木を切って船を作れば幸いあり!」と教えた。その通りにすると新羅征伐は大成功を収めた。

新羅征伐を終え、九州から畿内へ帰還の際、この地で船が動かなくなった。そこで占ってみると「神の御心なり!」と出たので、美奴売の神をここにお祀りし船も献上した。

とある。これによると神功皇后元年すなわち西暦201年となる。

大阪湾沿岸部には、神功皇后にまつわる神社が多い。

廣田神社、住吉神社、弓弦羽神社、生田神社、長田神社と錚々たる大社が並ぶ。これらはすべて、神功皇后が帰還の際に神祀りを始めた神社だ。敏馬神社もそのうちの一つに組み込まれたのだろう。

しかし別の説では、飛鳥から奈良時代を通して栄えた敏馬泊(港)の守護神として祀られたのが始まりとも伝わる。

敏馬神社の祭神

前述の通り、創建当初は「美奴売の神」が祀られていたが、現在の主祭神は素盞嗚尊で、天照皇大神と熊野坐神を配祀している。

素戔嗚尊

伊弉諾尊が禊で生んだ三柱の神の一柱。姉が天照大神、弟が月読尊。

荒ぶる神の代表格。海原の統治を任命されたが従わず、さらに高天原で悪行の限りを尽くしたことで追放される。

地上世界に降り立ったあとの素戔嗚尊は、八岐大蛇退治神話に代表されるように、知略に富んだ勇者として描かれている。

このように強くて悪者を退治する姿が、祇園精舎の守護神「牛頭天王」と重ねられ、中世には「牛頭天王」と習合。

疫病除けの神様「牛頭天王」として全国各地に祀られることとなる。

天照皇大神

現在の日本神道の最高神。伊勢の神宮に祀られ、皇祖神にして日本国民の総氏神。まさに日本国の守護神として祀られる大神である。

熊野坐神

熊野坐神とは、なかなかもって抽象的である。

熊野本宮大社の祭神「家津美御子」は、9世紀ごろまで具体的な神名は明らかにされておらず「熊野坐神」とされていたので、「家津美御子」のことを指しているのか。

それとも、熊野三山に祀られる神々の総称として、すなわち「熊野権現」という意味合いで「熊野坐神」の神名を用いているのか。

はたまた、出雲の熊野大社の神すなわち「伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命」か。

敏馬神社のご利益「悪縁切り」

敏馬神社のご利益は、創建伝承の通り「航海守護」が第一に挙げられる。

次に、素戔嗚尊=牛頭天王のご神徳により、「厄災消除」のご利益がいただける。

そして、最も有名なご利益は「悪縁切り」

かつて、花嫁行列は敏馬神社の神前を通らなかったといわれている。それは、女神(創建当初の祭神)の嫉妬による離縁を畏れてとのことらしい。

ちなみに、古来より神聖な山は女人禁制だった。それは山の神は女神だから女性が来ると嫉妬すると信じられてきたかららしいが、これでは悪縁切りとは言えなかろう。

何か他に理由があるはずだと感ずる。

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敏馬神社 参拝記録

神戸の幹線道路といえば、国道2号線と国道43号線。平行して走っているのだが、その二つの道路が合流する地点、片道4車線の大きな道路に南面して鎮座している。

神戸から大阪方面へ走る車線からしか進入できないので、ご注意いただきたい。

駐車場

大鳥居から進入すると、境内に駐車スペースがある。

駐車区画の多くは月極駐車場となっているため、注意が必要だ。月極スペースには、それとわかるようにカラーコーンが立てられている。

敏馬泊

白い大鳥居が美しい。西宮市の廣田神社も白の鳥居だったような、、、

ご覧頂くとお分かりのように、かなりの段差がある。

奈良時代、神社のあるこの高台は海に突き出た岬だったらしい。その岬の東側が港となっていて「敏馬泊」と呼ばれていた。

かつて、遣唐使など大陸へ向かう船が、大阪を出航して最初に立ち寄るのが敏馬泊。

故郷の大和国毎日見ていた生駒の山を、最後に見ることができるのが、ここ敏馬泊なのだ。

この高台に立つと、遠く生駒山を望むことができる。まさに旅愁が掻き立てられる場所だったのだろう。

というわけで、ここで多くの和歌が詠まれた。

拝殿

綺麗な屋根の拝殿。聞くと2年ほど前に改修工事があったとのこと。

拝殿内部と幣殿

正面の鏡に私が写っている。なんとも小さな人間だこと。

二拝二拍手一拝。

本殿

水神社・奥の宮

こちらの祠は、水神社と奥の宮。

水神社と奥の宮が合祀されているのかと思いきや、水神社の裏側を見ると、、、

奥の宮があった。なんとも言えない雰囲気を感じる。この雰囲気を感じた時、人はここをパワースポットと呼ぶ。

水神社

祭神は弥津波能賣神(みつはのめ)。弥都波能売神や罔象女神とも書く。龗神と並ぶ水を司る神の代表格だ。

水の神、港の神として、創建当初に祀られていた「美奴売の神」の正体であろう。

奥の宮

祭神は、伊邪那岐大神と伊邪那美大神

江戸時代以前から本殿裏に祀られていた石祠。現在は水神社の裏に鎮座している。

「男女の悪縁を断ち良縁を結び、家の和平にご利益ありと信仰を集める」というから、どうやら、当社の「悪縁切り」は、こちらのご神徳か。

悪縁切りをお望みで参拝された方々は、こちらにも祈念されるべし!

后の宮

祭神は、神功皇后。創建伝承に従ってお祀りしたとのこと。

神功皇后は14代仲哀天皇の皇后。息長足比売天皇(おきながたらしひめ)とも。

手前にある「神功皇后祠」と書かれた石碑は、室町時代の作らしい。

松尾神社

こちらは松尾神社。「まつお」ではなく「まつのお」。酒の神様として有名な嵐山の松尾大社からの勧請だろう。

このあたりは宮水を利用した酒造りがさかんな地域。いわゆる灘の酒だ。西宮から灘にある神社の多くに酒造りの神様「松尾神社」が境内社として祀られているのはそのため。

しかし、こちらの祭神は、大山祇神の他にも船玉神と金山彦神が祀られている。

船玉神は船の守護神。酒を輸送するための回船業者が船玉神を合祀したのだろう。

では、金山彦神は?丹生山や帝釈山で採掘された鉱物の集積地だったのか?わからない。

白玉稲荷社

駐車場の奥にお稲荷さんが鎮座している。白玉稲荷大明神だ。

どのような縁起があるのかは、わからない。

神社の境内社として祀られている稲荷社は、とかく清掃が行き届いていないだとか、あるいは荒んだものが多い中、こちらのお稲荷さんは、とてもきれいな稲荷社で安心してお参りが出来た。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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