宇奈太理坐高御魂神社|奈良|平城宮址に神秘的な神社があった

宇奈太理坐高御魂神社(うなたりにますたかみむすひじんじゃ)は、奈良県奈良市法華寺町にある神社で、延喜式神名帳に大社として掲載される、霊験あらたかな古社である。

平城宮跡の東に突き出た「東院跡」の北に隣接する森の中にひっそりと鎮座していて、得も言われぬ神気漂う、まさに聖域感あふれる場所。

奈良観光にお越しの際は、穴場の一つとして是非お立ち寄り頂きたい神社の一つである。

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宇奈太理坐高御魂神社について

宇奈太理坐高御魂神社の祭神

祭神は、中座に高御魂尊(たかみむすひ)、東座に天太玉命(あめのふとたま)、西座に思兼命(おもいのかね)の三柱である。

高御魂尊(たかみむすひ)

古事記によると、天地開闢のときに現れた最も貴い造化の三柱神の内の一柱で、高御産巣日神と書く。他の二柱は、天御中主神と神産巣日神。

現れてすぐに隠れたが、天照大御神が誕生したあとに再び登場する。天照大御神に代わって采配を振るう姿から、日本の祭政分離の原則が見て取れる。

天太玉命(あめのふとたま)

古語拾遺によると、高皇産霊尊の御子。天照大御神が岩戸に閉じこもった岩戸隠れ神話で、天児屋根命とともに太占で占ったり、鏡や勾玉を掛けた賢木を捧げ持っていた神。

その子孫は、朝廷において祭祀を司る氏族「忌部氏」である。また天児屋根命の子孫も、祭祀を司る「中臣氏」となる。

思兼命(おもいのかね)

記紀ともに、高皇産霊尊の御子としている。岩戸隠れ神話では、天照大御神を岩戸から出す作戦を考えた、賢い神として描かれる。

また、天孫降臨神話では、「天孫は祭事を行い、思兼命は政治を行え」と命じられた。

天上における天照大御神と高皇霊産尊による祭政の役割分担が、地上世界においては瓊瓊杵尊と思兼命がその役割分担を引き継ぐことになった。ここにも、日本の祭政分離の原則が見える。

宇奈太理坐高御魂神社の創建

創建年代については定かではない。延喜式に掲載されていることから平安時代初期には既に存在していたと言える。

もう少し遡ることができる。

日本書紀の持統天皇6年12年24日条に、

「大夫らを遣わして新羅の調を五社、伊勢・住吉・紀伊・大倭・菟名足に奉った。」

とある。この菟名足が宇奈太理のことを指す。

となれば、持統天皇6年すなわち飛鳥時代の692年頃には、これら錚々たる神社に片を並べるほどの大社だったということになるから、創建はもっと遡ることができそうだ。

社伝には、武内宿禰が勧請したと記載されている。これが本当ならば、西暦200年前後ということになろうが、、、

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宇奈太理坐高御魂神社 参拝記録

まずは、平城宮址の北西角にある駐車場に入り、すぐ脇から南へ伸びる車道がある。そこを通って「東院」前の駐車場まで行こう。

東院の壁伝いに森の方へ進むと鳥居が見えるだろう。

鳥居

内参道を進む。苔むした様子が人の出入りの少なさを物語っている。

神門

この扉は基本的には常時閉まっているらしい。当日もカギが掛かっていた。事前に連絡をしておくと開けて頂けるということなのだが、そこまでして頂くのは申し訳ない。

格子の隙間から参拝することとしよう。

二拝二拍手一拝。

とはいえ、左右に回り込むと、中の様子は良く見える。

本殿

大きな流れ造りの神殿である。

神殿を中心に、左右に境内社が二つずつ合計4社が並んでいる。

遠くて、どの社が何社かは見分けがつかないのだが、以下の通り。

  • 天鈿女社(祭神天鈿女命)・・・芸能の神、巫女の祖神
  • 猿田彦社(祭神猿田彦命)・・・道開きの神
  • 手力雄社(祭神手力雄命)・・・力持ちの神、スポーツの神
  • 大宮媛社(祭神大宮媛命)・・・調和を図る神
  • 豊岩窓社(祭神豊岩窓命)・・・門の神

謎の石

この、人為的に並べられたであろう石は何なのだろうか。。。わからない。

最後に

遮るものがない広々とした平城宮址の片隅の森の中に、ひっそりと、本当にひっそりと建つ社を前にすると、ここだけ時間が止まっているかのような錯覚に陥る。

かといって、無機質な、ただここにあるだけ、というようなものでもない。

何か得たのしれないパワーが放たれているように感ずるのは、私だけであろうか。神秘的な神社であった。

宇奈太理坐高御魂神社の概要

  • 所在地  奈良県奈良市佐紀町(平城宮址内)
  • 電話番号  不明
  • 主祭神  高皇産霊神
  • 創建年    不明
  • 社格   式内大社
  • 公式HP   なし

宇奈太理坐高御魂神社 アクセス

MAP

最寄り駅

  • 近鉄奈良線「新大宮」 徒歩20分

駐車場

  • あり