加津良神社|八尾|本殿裏がお勧め。元気回復のパワースポットだ。

2018年9月18日

加津良神社(かつらじんじゃ)は、大阪府八尾市萱振に鎮座する古社で、延喜式神名帳に掲載された式内社である。

かつてはかなり広き神域を持っていたようであるが、現在はこじんまりした境内で、しかも河内街道によって東西に二分されている。

本殿の裏には水田が広がり、その先の視界は広がっていて生駒山地を望むことが出来る。気持ちの良い場所である。

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加津良神社について

加津良神社 概要

  • 所在地   〒581-0834 大阪府八尾市萱振町5丁目27
  • 電話番号  072-922-1913
  • 主祭神   素戔嗚尊
  • 創建年      不明
  • 社格   式内社、村社
  • 公式HP     なし

加津良神社 アクセス

MAP

アクセス 

  • 近鉄八尾駅徒歩20分(近鉄バス萱振バス停目の前)

駐車場  

  • なし

加津良神社の創建

社伝によると、

大昔、このあたりを流れていた大河に、天照大神の弟「建速須佐之男命」萱の船に乗って現れ鎮座し、これを崇拝した土民たちは産土神とした。

清和天皇貞観9年(867年)に勅使をもって官社に列せられ、延喜式にも記載されている。

朱雀天皇天慶3年(940年)平将門の乱に際しては、当社でも牛頭天皇を祀り将門誅伏の大祈祷が行われたという。

これ以降、加津良神社の名称が消えて牛頭天王と称されるようになっていった。

かつては加津良神社由来の地名が広範囲に残されていたことから、広い神域を持っていたと推察されるも、中世以降の度重なる戦乱によって縮小していったのだろう。

明治41年には栗栖神社(現:八尾神社)に合祀されたが、社地・社殿・ご神体とも残されていたため、後年、再び同地で祭祀された。

萱振、桂、楠根川の由来

祭りのとき、萱で作った松明に火をつけて振る神事が奉納されていた。よって当地を「萱振」と呼ぶようになったらしい。

また、萱振の北東には「桂」という地名もある。おそらくはこれも加津良神社由来の地名であろう。

さらには、かつて社頭の大楠の根を伐って河に流す神事があったらしく、これが楠根川の由来となったと聞く。

加津良神社の祭神

現在は素戔嗚尊が祀られていると思われる。

社頭の由緒書きの石板には、

「祭神は素盞鳴命(スサノヲ)であるが、現在は牛頭天王(ゴズテンノウ)と称している。疫病を治める神として祀られた」

と刻まれているが、これはおそらく間違いだろう。

「祭神は素戔嗚尊であるが、かつては牛頭天王(ゴズテンノウ)と称し、疫病を治める神として祀られた」

が正しいと思われる。

しかし、創建当初から牛頭天王が祀られていたのだろうか。

神社名の「加津良」から、古代氏族であるところの縵連(かつらのむらじ)の祖神が氏神として祀られていたのでは?と想像したほうが楽しい。

その縵連には、二系統あるらしい。

百済人狛から出た大和国諸蕃の縵連

この地から南西2.5kmの地点に「許麻神社」がある。祭神は「高麗王霊神」「許摩大神」「牛頭天王」「素戔嗚尊」である。

この神社は、まさしく渡来氏族「大狛氏」の氏神なのであるが、大狛氏は高句麗からの渡来氏族であり百済人ではない。

とは言え、朝鮮半島からの渡来氏族が八尾市周辺に居住していたことは明らかなので、百済人がここに居住していてもおかしくはないだろう。

物部系氏族の縵連

ここ八尾は物部氏の本拠があった地域。物部宗家の本拠の周囲を物部系氏族が取り囲むように住居していた。物部系の縵連であった可能性も捨てがたい。

結局はわからないのである。ちなみに、物部氏も百済出身という説もある。ややこしい。

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加津良神社 参拝記録

近鉄八尾駅からJR住道駅行もしくは萱島バス停行のバスに乗り、萱振バス停で下車。すぐに鳥居が見えるだろう。

車の場合は、神社に駐車スペースが無いうえに、道幅が狭いため路駐もできない。北側のファミリーマートかココカラファインか西松屋の駐車場に止めさせていただくより他はないのである。

私はココカラファインに止めさせていただいた。そのかわりと言っては何だが、ランチパックのピーナッツサンドと缶コーヒーを購入させてもらった。

社頭と拝殿

通りギリギリに鳥居が立っている。その鳥居から拝殿までは数歩。奥行きが極めて狭いのである。

これは何の形だろうか。蛇口栓が抜かれてあるため水は出ない。ここで手口を漱ぐ気のは不可能と判断せざるを得ない状況である。。。ココカラファインで手を洗ってから参拝するべきであった。

拝殿 内部

拝殿の内部は綺麗である。榊も青々としていた。きちっと祀られている様子だ。よかった。

正面奥にある本殿の両脇には随神が配置されていた。

二拝二拍手一拝。。。

本殿

拝殿の奥の本殿と思しき建物には千木などがないため、これは覆屋であろう。

2基の祠台座

透塀の中を覗くと、本殿左には祠が設置されていたであろう台座が2基。

鳥居と燈篭とご神木

透塀の中の本殿右手には、石燈篭と鳥居とご神木が並んでいる。

石灯篭には「太神宮」と刻まれている。

さて、この鳥居はどちらを向いていると考えるのが妥当だろうか。。。

ご神木を礼拝するための鳥居?「太神宮」と刻まれた燈篭越しの遥拝所の鳥居?

ご神木を礼拝するためである場合、西向きに礼拝する形となる。しかし、本殿は東向きに礼拝する形をとっているため、違和感がある。

燈篭越しに神宮を遥拝するためである場合、本殿と同じく東を遥拝する形となるが、鳥居に「皇紀2600年記念」「昭和十五年二月十一日建立」と刻まれている位置に違和感が残る。

境内社2社

本殿がある東の境内のバス道(旧河内街道)を挟んで向かい側に小さな児童公園がある。ここも加津良神社の境内である。

向かって左側が「金毘羅宮」、右側が「水分社」らしい。

この台座の大きさや形状が、先ほどの本殿透塀内の台座と一致するような気がする。

こちらも境内であることの証拠として、こちらに遷座されたのだろうか。。。

元気回復のパワースポット 本殿裏

神社と隣家の間に細い路地があった。その路地を通って本殿の裏手に出よう。

前面が水田。9月中旬の参拝ということで、米が黄色く色づき始めていた。独特な稲の香りが漂う。

本殿の真裏に立って、その早秋の香りを満喫するべく深く息を吸い込み、そして吐き出す。もう一度。繰り返す毎に、体内に充満していた煤けた何かが出ていく。そして澄んでいく。

ふっと遠くに目をやると、高安山や生駒山などの神宿る山々。そろそろヒグラシが鳴き始める季節だろうか。。。

などと思いながら、生命力の塊のような、この木の根を見つめるていると、元気が沸々と湧いてくるのであった。。。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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