香椎宮①|福岡市|開運・縁結び・不老水。香椎宮のパワースポットを一挙公開!
香椎宮(かしいぐう)は、福岡市東区香椎に鎮座する神社で、官幣大社に格付けされた権威ある神社であり、かつ仲哀天皇の「廟」でもある。
現在も、国内16社しかない勅祭社の1社であり、香椎宮は宇佐神宮とともに10年ごとに勅使が遣わされる。まさに九州の大社である。
香椎宮について
創建と歴史
西暦200年。
熊襲征伐の大本営として「橿日宮(訶志比宮)」を造営し滞在していた仲哀天皇が崩御された。そのとき神功皇后が「橿日宮(訶志比宮)」に祠を創建したのが始まりという。
時は移り724年。
神となった神功皇后の神託が降りて、聖武天皇の命により神功皇后の「廟」が造営され、仲哀天皇の神霊も遷され「香椎廟」と称した。
「廟」であるからして墳墓である。よって神社という捉え方はされていなかったのだろう。延喜式神名帳には見えない。
平安時代末期か鎌倉時代初期。
香椎廟が普通の神社と同じように扱われるようにり、祭神から仲哀天皇が除かれ神功皇后の一柱とされるようになった。
同じくして、除かれた仲哀天皇の神霊を祀る摂社が新たに創建された。これが「古宮大明神」である。
大正4年。
大正になってやっと、仲哀天皇の神霊を神功皇后が鎮まる本殿に合祀。すでに相殿に八幡大神と住吉大神が祀られていたようで、これで現在の4柱体制が完成した。
大正4年と言えば日韓併合から5年。古代の三韓征伐の主役達を祭神に並べた形である。朝鮮半島統治を強く意識した祭神と感じざるを得ない。
香椎宮の祭神
主祭神は、仲哀天皇と神功皇后の二柱。配神に、応神天皇と住吉大神を祀る。
仲哀天皇
第14代の天皇。父は日本武尊。大和朝廷の勢力拡大に貢献した。
熊曽征伐の拠点「橿日宮」において、「熊襲よりも新羅に進出せよ」との住吉大神の神託を疑ったために、住吉大神の怒りにふれて急死。
(神の恐ろしい側面である。)
その謚の通り、なんとも哀れな天皇である。。。
戦意高揚のため、一般には崩御を知らせず、棺を椎の木に立てかけていた。葬儀は下関の「豊浦宮」で行われ、墳墓は大阪市藤井寺市の岡ミンザイ古墳であるとされる。
近くには、父である日本武尊の古墳、子である応神天皇の古墳もある。
神功皇后
仲哀天皇の皇后にして、第15代応神天皇の母。仲哀天皇が疑った住吉大神の神託に従って、三韓征伐を行った勇猛果敢な女帝である。
応神天皇
第15代天皇。神功皇后のお腹の中にいるときに、住吉大神から「天皇になるべき子」といわれたため、生まれながらにして天皇になる子「胎中天皇」とも称された。
秦氏が奉じる外来神「八幡神」と習合し、全国の八幡宮・八幡神社に祀られる。
住吉大神
伊邪那岐命の「禊」で現れた三柱の神、底筒男命・中筒男命・表筒男命の総称である。よって祓いの神と言えよう。
仲哀天皇を死に至らしめた恐ろしい神であり、三韓征伐を守護し導いた強い神である。
香椎宮のご利益
香椎宮発表のご神徳は次の通り。
- 仲哀天皇・・・国家安寧・世界平和・家運隆盛
- 神功皇后・・・外交・安産育児・芸能上達・土木治水
- 応神天皇・・・国家繁栄・厄除開運・武運長久・成功勝利
- 住吉大神・・・清祓・除災招福・海上安全・交通安全
香椎宮 参拝記録
博多駅から鹿児島本線の区間快速に乗って3駅目「香椎駅」で香椎線に乗り換えるのだが、待ち時間が20分。よって、香椎駅から徒歩で目指すことにする。
改札を出て通りを左へ。線路沿いに歩く。途中、川が流れていた。小魚が沢山泳いでいる。
その川沿いに歩こう。香椎高校の運動場を左に見ながら歩くことになる。しばらくすると右へ道成り?に。
大木の並木道に出た。香椎宮の参道のようだ。
勅使通り
香椎宮から西に伸びる参道。大楠の並木道である。かつては勅使しか通ることが出来なかったという。よって勅使道。
ここまでくれば、もうすぐだ。駅から15分ぐらいで社頭に到着。
石造りの神橋を渡り神域へと入る。
ちなみに、この鳥居の右手に大きな無料駐車場がある。車で来ても安心だ。
弁財天
まずは左手の池に弁財天社が鎮座している。祠の中には弁財天像が安置されている。
現在の祭神は、「市杵嶋姫命」。ご利益は、財運・開運招福・芸能上達。香椎宮八所の一つとして、創建当初から祀られているという。
猿田彦大神の石柱
内参道の途中に「猿田彦大神」と刻まれた石柱が、ぽつねんと立っている。
天狗のモデルにもなっている猿田彦命は、瓊瓊杵尊の降臨の際に道案内役をした国津神。伊勢国の大地主神である。
かつては、道標として、あるいは魔除けとして、全国各地の村々の入口に立てられていた。この石柱も、どこかの村にあったものをこちらに移設したのだそうだ。
二の鳥居
さあ、二の鳥居から一段高い場所に楼門が見える。自然と気が引き締まる。
参道の石畳の筋をご覧いただきたい。鳥居の部分で「くの字」に曲がっているのがわかる。
祟り神を祀る神社は、三度が曲がっていると聞いたことがある。仲哀天皇は祟り神ではないが、ある意味、この神社は「鎮魂」の意味合いが強いとは思う。
楼門
またもや石造りの神橋を渡る。古めかしい楼門がそびえる。檜皮葺総欅白木造りで、戦火によって焼失したものを、明治36年に再建されたとのこと。
明治36年までに起こったという戦火とは?西南戦争のことだろうか。。。
神社の規模の割に小さな手水盤である。まずは、ここで清めよう。
開運のパワースポット!?
ここでちょっとお遊びを。。。
まずは、この「吽形」の狛犬を触る。「阿形」ではなく「吽形」だ。
そして内参道の石畳の、ちょうど手水舎前に一枚だけ色が白い石畳があるので、そこに立つ。
そして、楼門を見る。
▼見た風景がこちらの画像
そうすると、「門」の中に「鳥居」が見える。「門」の中に「⛩」、、、
すなわち「開」という字を表す。
運(吽)を開くということで、「開運のパワースポット」となるわけだ。
さあ、ここから本殿の一段下、折れ曲がる参道の曲がり角にある、パワースポットの呼び声高い「綾杉のご神木」へ、さらに本殿域へと進むことになる
がしかし、それは次回の記事にて。。。
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香椎宮 概要
- 所在地 福岡県福岡市東区香椎4-16-1
- 電話番号 092-681-1001
- アクセス JR香椎線「香椎神宮前」下車4分
- 駐車場 あり(無料)
- 主祭神 仲哀天皇、神功皇后
- 創建年 724年(200年)伝
- 社格 官幣大社、勅祭社、別表神社
- 公式HP http://kashiigu.com/
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