大物主神社|尼崎|平清盛、源義経、荒木村重が関わった古尼崎城跡ともいわれる神社

2018年8月24日

大物主神社は、尼崎市大物に鎮座する神社である。

神崎川とその支流が海に流れ込む河口にあたるこのあたりには、淀川・神崎川から運ばれた大量の土砂によって多くの三角州・中洲が形成さた。

それがあたかもたくさんの島に見えることから「八十嶋」と称され、実に風光明媚な場所であったらしい。

その八十嶋の中でも海に最も近いこの場所は「大物ヶ浦(だいもつがうら)」と呼ばれ、海の輸送と川・陸の輸送との変換点、すなわち交通の要所であった。

古尼崎城ともいわれる「大物城」は、阪神大物駅南から大物主神社までを城域としたという。

そんな大物ヶ浦の微高地に鎮座する神社なのである。

広告

大物主神社について

大物主神社の祭神

現在の祭神は、大物主神、宗像三女神相殿神として、西宮大神と菅原道真公を祀る。

大物主神

記紀を総合すると、

[su_note note_color="#fff7fc" radius="7″]

「大国主の国造り」の最中、相棒である「少彦名命」が常世の国に去ってしまい、途方に暮れていた大国主命のもとに、一柱の神が海を照らしながらやってきた。

「私は、あなたの和魂であり奇魂である。私を大和の青垣の東の山に祀れば、国造りは必ず成る」と、その神が言った。

[/su_note]

この神が、三輪山に鎮まる「大物主神」である。

また別の説話には、

[su_note note_color="#fff7fc" radius="7″]

第十代崇神天皇の御代、天変地異や疫病の流行で多くの民が死に、国は滅亡の危機に瀕していた。

そんなある夜、夢に三輪の大物主神が現れ「この惨状は私の心である。我が子孫である太田田根子を呼んで、私の魂を祀りなさい。しからば国は平安を取り戻すであろう」

[/su_note]

この祭りをした場所が、大神神社(おおみわじんじゃ)の場所とされる。

このように、大物主神は全国の大神神社や三輪神社に祀られるが、そのほかにも金刀比羅宮の主祭神としても有名である。

宗像三女神

天照大神と須佐之男命の誓約(うけい)によって生まれた三姉妹の神々の総称である。

  • 田心姫命(たぎりひめ)・多紀理姫命(たきりびめ)・奥津島比売命(おきつしまひめ)
  • 湍津姫命(たぎつひめ)・多岐津姫命(たぎつひめ)
  • 市杵嶋姫命(いちきしまひめ)・市寸島姫命(いちきしまひめ)・狭依毘売(さよりびめ)

天照大神から日本と大陸を結ぶ海路の守護と天皇の守護を任ぜられ、その代わり歴代天皇から齋祀られることを約束された。

朝鮮半島、対馬列島に近い福岡県の宗像大社辺津宮、中津宮、沖津宮に祀られている。

航海安全の神であるからして、瀬戸内海を勢力下において発展した平清盛の信仰篤く、市杵嶋姫命を祀る安芸の厳島神社は、清盛の手によって壮大な社殿を構えるようになったとか。

また、八幡宮の祭神として祀られている「比売大神」は宗像三女神を指す。

大物主神社の創建

創建年代は定かではないが社伝によると、前述の太田田根子命の後裔「鴨部祝(かもべのはふり)」が祖神をここに祀ったのが始まりという。

[su_box title="鴨部祝(かもべのはふり)" style="bubbles" box_color="#fde9d0″ title_color="#e49641″ radius="5″]

「摂津国神別(地祇) 鴨部祝 賀茂朝臣同祖 大国主神之後也」

新撰姓氏禄より

[/su_box]

1159年に平清盛が厳島神社から市杵嶋姫命を大物主神社に勧請して合祀。それ以降、市杵嶋姫命がメインとなったと思われる。

寛永年間(1630年頃か)には、三女神を揃える必要性があったのだろう。多岐津姫命と多紀理姫命を合祀。

さらに、相殿神として西宮大神(蛭子神)と菅原道真公(天満天神)が配祀されたというが、

「若宮」「若宮弁天」「若宮八幡」と称されていた時期があるようで、「若宮・・・」の経緯ははっきりしない。

大物主神社のご利益

大物主大神は、国土生成をはじめ、医薬の神、酒造りの神、男女の結びつきや、死にまつわることなど、目に見えない運命など様々なこと(幽事 かくりごと)を司る神。

参考:尼崎市神社案内

また、大物主神、宗像三女神に共通するご利益は、航海安全・交通安全である。

スポンサーリンク

大物主神社 参拝記録

大物主神社は、阪神電鉄「大物駅」から南へ180m。大通り沿いにあるため、極めて分かりやすい。

西側の入り口から境内に車を乗り入れることが出来る。

石造の明神鳥居。

汁醤油発祥の地

汁醤油発祥の地の石碑。

「汁醤油」とはおそらく「尼の生揚」すなわち生醤油のことであろう。

[su_box title="尼の生揚" style="bubbles" box_color="#fde9d0″ title_color="#e49641″ radius="5″]

いつのころからか「尼の生揚」と称されるようになった「尼の生醤油」は、江戸後期の寛政年間、この大物ヶ浦で醸造されるようになり、明治・大正期の尼崎を支えた重要な産業であったという。

その特徴は、「寒造り」にこだわり、塩分を極限まで抑えた技法にある。独特の旨味と高い香気を持つ優れた醤油であったという。

[/su_box]

拝殿

少し西に振った南向きの拝殿。海を向いて鎮座していたのだろう。

大物主神社の神額

大物主大神と宗像三柱神とある。

鈴の大きさが異なる。大物主大神側の鈴の方が一回り大きい。男神と女神で大きさを変えているのだろうか。芸が細かい。

二拝二拍手一拝。天津祝詞。

神紋

大物主大神と言えば大神神社の「三本杉」。宗像三神と言えば宗像大社の「楢」。

しかし、大物主神社のお賽銭箱の神紋は「橘」である。「橘紋」とは、いったいどのような経緯で?

推察してみよう!

[su_note note_color="#fff7fc" radius="7″]

  • 同じ摂津国で大物主神を祀る大社と言えば、生國魂神社。
  • 生國魂神社の主祭神は生島神・足島神だが、配神に大物主神が祀られている。
  • その生國魂神社の神紋が「橘」

[/su_note]

あるいは、、、こんな推察も成り立つだろう。

[su_note note_color="#fff7fc" radius="7″]

  • 大物主神社は「若宮八幡」と称された時期があったという。
  • 石清水八幡宮の祭神には多紀理毘賣命 市寸嶋姫命 多岐津毘賣命が存在する。
  • その石清水八幡宮の神紋が「三つ巴」と「橘」

[/su_note]

そして、、、

[su_note note_color="#fff7fc" radius="7″]

  • 大物主神は大国主神であるとしておこう。
  • 大和国に大和神社があり、祭神は大国魂大神と八千矛大神と御歳大神
  • 八千矛大神は大国主命の別名。
  • あるいは、大国魂大神は大国主命の荒魂とも。
  • その大和神社の神紋は、まさしく「橘」

[/su_note]

本殿

義経・弁慶の隠れ家跡

実際の隠れ家はここではなく、もっと西にあったらしい。

[su_note note_color="#fff7fc" radius="7″]

源頼朝から追討軍を差し向けられた義経と弁慶は、大物主神社の近隣で隠遁生活を送っていた。

そして、西国に逃亡するため大物ヶ浦から出航したのだが、嵐に遭遇して戻され、西国には行けなかった。結局は熊野に落ち、最終的には奥州平泉で最期を遂げることとなる。

[/su_note]

ここ大物の土地は、陸海の交通の要所であるからだろう。敗者が逃げ込んでくる説話が他にもある。

室町末期には、

[su_note note_color="#fff7fc" radius="7″]

細川両家の内紛で、細川高国は天王寺、木津、今宮で敗れ、この大物へ落ち延び、隠れているところを発見され尼崎の広徳寺で自害させられたという。

[/su_note]

戦国時代には、

[su_note note_color="#fff7fc" radius="7″]

信長に対して謀反を起こした荒木村重は有岡城に籠城し抗戦。兵糧尽き果てた時、単身で大物城に遁走一族郎党が処刑される中、自身は毛利家に逃げ込んだ。

[/su_note]

 

大物主神社 概要

  • 所在地   兵庫県尼崎市大物町2丁目7−6
  • 電話番号  06-6401-6069
  • アクセス  阪神電鉄「大物駅」徒歩5分
  • 駐車場   あり(境内)
  • 主祭神   大物主大神、宗像三柱神
  • 創建年      不明
  • 社格   村社
  • 公式HP     http://www.hyogo-jinjacho.com/data/6304008.html

大物主神社 MAP

[map addr="兵庫県尼崎市大物町2丁目7−6"]

スポンサーリンク