伊弉諾神宮|淡路国一之宮|子宝と縁結びのパワースポット!本殿裏で浄化パワーも浴びよう!

2016年5月30日

伊弉諾神宮は、兵庫県淡路市多賀町に鎮座する神社である。式内の名神大社にして、淡路国一の宮であり、明治維新後は官幣大社に列する、極めて格式高く霊験あらたかな神社である。

日本の国土を造られた、史上初の夫婦「伊弉諾・伊弉冉」を祀る。そのため、近年は縁結びの神として知られるようになり、境内にそびえるご神木「夫婦大楠」は、縁結びのパワースポットとして県内外から注目を集めている。

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伊弉諾神宮について

伊弉諾神宮 概略

  • 所在地  兵庫県淡路市多賀740
  • 電話番号  0799-80-5001
  • 主祭神  伊弉諾大神 伊弉冉大神
  • 創建年  不詳
  • 社格   式内社(名大社) 淡路國一之宮 旧官幣大社
  • ご利益  縁結び 子宝 子育て
  • 公式HP  http://izanagi-jingu.jp/hp/

伊弉諾神宮 アクセス

MAP

最寄り駅(バス)

  • 淡路交通 西浦線 伊弉諾神宮前バス停下車

駐車場

  • あり

ここから南へ車で30分程度の南あわじ市にイザナギとイザナミが降り立った「おのごろ島」の伝承地のひとつ「おのごろ島神社」がある。あわせて参拝いただきたい。

伊弉諾神宮の創建

日本書紀や古事記によると、

国生み・神生みを終えた伊弉諾尊は、最初に産んだ島「淡路島」多賀の幽宮に鎮まった

との記述があり、それが起源となるが、神社としての創建年代は定かではない。

幽宮(かくりのみや)

余生を過ごした隠居のための宮のこと。墳墓ではない。

実は、伊弉諾大神の幽宮と主張している神社が、もう一社ある。滋賀県多賀にある多賀大社である。

それは、古事記のたくさんある写本の一つに、次のような記述があるからだ。

故其伊耶那岐大神者坐淡海之多賀也。

淡海は近江のことを指すがゆえに、滋賀県の多賀と解釈できるとのこと。

がしかし、他の写本の全ては、淡海之多賀ではなく、、、

故其伊耶那岐大神者坐淡路之多賀也。

日本書紀に至っては、一貫して淡路之多賀と表記されている。淡路はもちろん淡路島のことだ。

淡路に伊弉諾尊が祀られいてたであろうことがわかる文献上の初見としては、、、

日本書紀に、履中天皇5年(405年)9月の出来事として次のような記載がある。

天皇が淡路島へ狩りに行った時の事。「馬を引いていた河内飼部(馬飼い)の顔に刺した入れ墨の血の匂いが臭いからイヤだ」と伊奘諾神が神託したので、以降、河内飼部の入れ墨をやめさせた。

との記述がある。405年には伊弉諾神が淡路島に祀られていたと考えてよい記述だ。

このようなことから、幽宮は淡路の当社だと考えるのが妥当と感ずる。

伊弉諾神宮の祭神

伊弉諾神宮の現在の主祭神は伊弉諾大神と伊弉冉大神の2柱

この両神は夫婦神。神代七代かみのよななよの七代目。男女の対で成った神で、初めて男女のまぐわい(性交)を行い、日本列島をはじめ、森羅万象に宿る様々な神々を生んでいく。

この両神は、天地開闢以降登場してきた神々とは異なり、喜怒哀楽があり、失敗もするという、実に人間味溢れる神として描かれている。

興味のある方は、国産み・神産みの神話を参照いただきたい。

伊弉諾神宮は本当に縁結びなのか?

最初の夫婦の神様というわけで、縁結びのパワースポットと言われているのだが、本当に縁結びのパワースポットと言ってしまっていいのだろうか。

古事記の伊弉諾・伊弉冉の神話を要約すると。。。

伊弉諾大神と伊弉冉大神は、二人で島を次々と作っていきました。最初は淡路島。次に四国、、、日本の全ての島を生んだあと、今度は、多くの神をお生みになりました。海の神、川の神、山の神、風の神、、、

そして、最後に火の神を生みました。その時伊弉冉大神は陰部に大ヤケドを負って病になり、やがて黄泉の国にお隠れになります。伊弉諾大神は、亡き妻を取り戻したくて、死後の世界(黄泉の国)に伊弉冉大神を訪ねていきます。

と、ここまでは愛し合う夫婦、失った妻への愛慕。。。美しい話となっているが、、、

死後の世界で、妻から、「戻ることができるか黄泉の国の神様と相談するから、ちょっと待っててね。その間、私を絶対見ないでよ」と言われていたのに、我慢できずに見てしまいます。

その姿の凄惨たるや!体中にウジ虫が湧き体中から雷を発している妻を見てしまった伊弉諾大神は、一目散に逃げてしまいます。これに怒った伊弉冉大神は、追いかけます。逃げる伊弉諾大神は、黄泉の国への坂道に大きな岩を置いて通れなくしてから、「もう、別れよう」と妻の伊弉冉大神に言いました。

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すると、怒り狂った妻の伊弉冉大神は、「あなたの世界の人間を1日1000人殺します!」と言いました。それに対して伊弉諾大神は、「ならば、私の世界の人間を1日1500人、生まれるようにしよう!」と言いました。

これはもう、縁切りではないか。。。

さて、こんな別れ方をした二人は、その後、復縁したのだろうか。。。

そもそもは、伊弉諾大神だけを祀っていたのであって、伊弉冉大神を合祀しのは明治になってからという。

ここが縁結びのパワースポットと言えるのだろうか。。。

伊弉諾神宮の御利益

起死回生

人生で一区切りついた時に訪れて、それまでの人生を振り返り、さらなるステップアップを願うのがいいと感ずる。もしくは、ひどい別れ方をした過去を反省している人、罪の意識をお持ちの方、そういうものを少しでも軽くしていただくのも良いかと思う。

子宝

そして、縁結びというならば、むしろ「子宝」だろう。伊弉諾と伊弉冉は一体何柱の神を生んだことか。。。その延長線上に「縁結び」があってもいいかとも思うがメインではなかろう。

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”縁結び・子宝” 伊弉諾神宮 参拝記録

明石海峡大橋を渡り、「津名一宮インター」を降りて右折。ほぼ道なりに一本道で5分ぐらい車を走らせる。田園風景の広がるのどかな場所に伊弉諾神宮はある。

白い鳥居が目印だ。駐車場は、鳥居の右横から入ることが出来る。

正月三が日は神宮に近づくのも一苦労だが、手前の学校の校庭が臨時駐車場となるので、駐車場の心配は不要である。

大鳥居

鳥居をくぐると、ゆったりとした落ち着いた気が流れている。癒される。

真っすぐ伸びた内参道を通り正門を入ると、拝殿の右手にひときわ大きな木が聳え立つ。

子宝、縁結び 夫婦大楠

天然記念物の「夫婦大楠」。このご神木が、縁結び・夫婦円満のご利益ありと言われている楠木だ。

伊弉諾大神と伊弉諾大神の2柱の神が宿っていると言われているが、そうだとすると、どんな顔で同居してるのだろう。見てみたいものである。2本の楠が大きくなって根元が1本に合わさっているところが、縁結びであり夫婦円満なのだろう。

手を触れると温かさが伝わってくる。ご利益は別として、パワーは充分に感じる。まさにご神木だ。

木の幹にポツポツを見える白いイボのようなものは1円玉。お賽銭として差し込まれているだが、痛々しい。こんなことして願いが叶うと思っているのだろうか!

拝殿

幣殿と本殿

伊弉諾神宮の幣殿と本殿。三間流れ造り。檜皮葺きの屋根が本殿と幣殿をつないでいる。

本殿は伊弉諾大神の神陵の上に建てられ、床下には神陵に使われていた聖石が収められているという。聞くだけでドキドキするではないか。

境内社

では、拝殿右側にある境内社からご紹介させて頂こう。

左右神社

「左右神社」の祭神は、伊弉諾尊の左目と右目からそれぞれ生まれた天照大神と月読尊を祀っている。そういうことで、目の病気を治してくれるという言い伝えがあるらしい。

では、顔の真ん中にある鼻から生まれた須佐之男命は?どこへ?

鹿島神社・住吉神社

「鹿島神社」は、鹿島神宮の主祭神建御雷神たけみかづちのかみ。こちらには、香取神宮の主祭神経津主神ふつぬしのかみも祀られている。両神とも軍神だ。

「住吉神社」には、もちろん住吉三神が祀られている。底筒之男命そこつつのおのみこと中筒之男命なかつつのおのみこと表筒之男命うわつつのおのみことである。海の神であり祓いの神でもある。

浄化のパワースポット 本殿裏

本殿の裏を通って反対側に行こうとしたとき、本殿裏に拝所を発見。

ここのパワーが素晴らしく強い。本殿に一番近い場所。すなわち神陵に一番近い場所であるからして、至極当然といえば当然だ。

二拝二拍手一拝。天津祝詞を奏上。

頭がぐるぐる揺さぶられ、体が前後左右に揺れる。そして、スッキリ!おすすめのスポットだ。浄化パワーと感ずる。

熱田神宮もそう。渋川神社もそう。今宮戎もそう。本殿の裏側の方が強くパワーを感じることが多いのは私だけであろうか。。。

しばらく、本殿裏でゆっくりするのが良かろうと存ずる。

竈神社と根神社

反対側にある境内社はここだけ。

「竈神社」は、奥津彦命 奥津姫命。竈の神様として台所に祀られる神である。

「根神社」には、須佐之男命。根の国に行かれたから根神社なのであろう。さすがの須佐之男命も父神の前ではおとなしく根の国に納まっているようだ。

 最後に

伊弉諾大神と伊弉冉大神。実際のところは、どうだったんだろう。

古事記に書かれてあるように、憎しみ合って別れて終わりだったのか。。。

参拝したあと、そういう疑問がフッと頭をよぎった。

というのも、結構、幸せな気分になったからである。

調べてみた。

やはり、縁結びのパワースポットかも

「黄泉の国の神話の実態は、こういうことだったのでは?」という仮説があったのでご紹介しよう。

伊弉諾率いる日向王国は、若い須佐之男率いる出雲王国に責められ、追い込まれていきます。

技術力の差、鉄製の武器の圧倒的な戦力を目の当たりにします。

負けを悟った伊弉冉尊は伊弉諾尊に降服をすすめますが、伊弉諾尊は、それを受け入れることができませんでした。

思い悩んだ伊弉冉尊は、独断で、末子を連れて須佐之男尊の元に向かい、降服します。もちろん、日向の民の命を守るために。(この末子が、オオナムジ。後の大国主命)

これを知った伊弉諾尊は逆上します。そして、戦いを続け、負けてしまいます。

完敗してはじめて悟るのです。身を呈して民をそして自分を救おうとした伊弉冉尊の気持ちを。

時すでに遅し。強烈に反省します。そして、海岸で、禊を行います。

その後、伊弉諾尊は捉えられ、その当時の出雲王国の最東端「淡路国」に流され幽閉されます。

これなら、憎しみ合って別れたということではなさそうである。淡路と日向、離れていても心は通じ合っていたとも。

伊弉諾神宮で感じた雰囲気は、この仮説の方が、しっくりくる。ということは、やはり縁結びの神様なのかもしれない、、、と思わざるを得ないのだ。

だれにもわからない、今後もわかるはずのない、神代に起こった出来事である。。。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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