大鳥大社|大阪|ご利益は運気上昇!本殿裏にある謎の祠が怖すぎる!

2016年8月18日

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和泉国一宮である「大鳥大社」は、堺市西区に鎮座する式内社で、和泉国唯一の名神大社。全国の大鳥神社の総本社とされる。

本殿は切妻造・妻入社の「大鳥造」といい、出雲大社造に次ぐ古い形式を持つという。

境内は鬱蒼とした鎮守の森に囲まれている。この森は千種森ちぐさのもりと言われ、日本武尊が白鳥となって降り立った時に一晩で出現したといわれている森。

そんな神社の一角に、あんなにも怖い場所があったとは、、、

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大鳥大社について

大鳥大社 概要

  • 所在地   大阪府堺市西区鳳北町1-1-2
  • 電話番号  072-262-0040
  • 主祭神  日本武尊・大鳥連祖神
  • 創建年      不明
  • 社格   名神大社・和泉国一宮・官幣大社・別表神社
  • 公式HP    http://www.ootoritaisha.jp/

大鳥大社 アクセス

MAP

最寄り駅

  • JR阪和線「鳳駅」徒歩8分

駐車場

  • あり(無料)

西鳥居前のスペースに駐車可能

大鳥大社の祭神

現在の祭神は、「日本武尊やまとたけるのみこと」と「大鳥連祖神おおとりのむらじのおやがみ」の2柱である。

日本武尊

12代景行天皇の御子。14代仲哀天皇の父。熊襲征討・東国征討を行ったとされる日本古代史上の伝説的英雄である。

日本武尊は西征して熊襲を平定し、まもなく東征して東国を平定。

伊吹山征伐時に病に倒れ帰京の途中、伊勢国の能褒野で薨去する。

遺体はその地に葬られたが、その陵墓から魂が白鳥となって飛んでいき、大和国琴引原で留まり、また飛び立って河内国古市に降り、最後に大鳥の地に舞い降りたので、社を建てて祀った。

これが大鳥神社の創祇だとされる。

大鳥連祖神

文字通り、大鳥連の祖神である。

大鳥連は中臣氏と同じく「天児屋根命」を祖神としていたので、「大鳥連祖神」とは「天児屋根命」ということになろうか。

大鳥大社の創建・歴史

創建年代は不明。

史書の初見は、813年に祈雨の幣帛を受けた記述が残る。よって平安初期には存在していたことになる。

平安末期から鎌倉時代の資料によると、天照大神を祭神としていた時期もあったようだが、そもそもの創建時は、大鳥連の祖神すなわち「天児屋根命」を祀る神社であったようだ。

しかし、いつのころか「大鳥」という名称が「日本武尊が白鳥になって飛来した神話」と結びつき、大鳥連祖神と日本武尊が合体して、祭神を「日本武尊」としたようである。

江戸時代に入ると神宮寺であるところの「神鳳寺」の最盛期を迎える中で逆に大鳥神社は衰退。神鳳寺の境内の小さな祠としてかろうじて存続していたに過ぎないという。代々の宮司であった大鳥氏も断絶した状態であった。

明治の神仏分離政策の中、神鳳寺は廃寺となり大鳥神社は復活したが、明治29年には政府による祭神の再考がなされた結果、祭神を「日本武尊」から「大鳥連祖神」に強制変更させられた。元に戻したということになる。

国家管理から外れてしばらくたった昭和36年に、再び日本武尊を祭神に加えたという、あまり類を見ない祭神の変遷を経てきているため、現在も研究対象とされていると聞く。

大鳥大社のご神徳

当初は防災雨祈の祈願社とされてきたが、現在は文武上達・開運・商売繁盛・厄除けの神として信仰を集めている。

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大鳥大社 参拝記録

国道26号線バイパス「浜寺南町3丁」の交差点を東に入ると突き当りに西の鳥居が見える。

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この鳥居前が駐車スペースになっているようで、いいのだろうかと思いつつ私も駐車する。ここから広い参道がまっすぐに伸びている。なかなか、立派な構えである。

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ここを進む。突き当りを右に曲がる。と、右側の植え込みの向こうに気になる建造物を発見。

絵馬殿

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気になる建造物は「絵馬殿」だった。とくに何の特徴もない、ごくフツーの絵馬殿である。

が、ここに入ると、なんとも「まろやか」あるいは「まったり」とした空気が溜まっているのがわかる。

一歩出る。また入る。やっぱり空気が違う。一度、体験して頂きたい。不思議な感覚である。

さてと、さらに進み左へ曲がろう。

祓い所

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玉垣に囲まれた3坪ほどのスペース。奥には榊の木が植えてある。神聖な木である。ここが「祓い所」。

ここまでの行程に「祓戸社」が無かったので、ひとまずこちらで「諸々の罪穢れを祓い清める」こことした。

実はこのあと、この「祓所」に救われることになろうとは、この時点では知る由もない。。。

大鳥大社「鳥居」

さて、ここから神域の中心部である。空が非常にきれいな日であった。

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神楽殿

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神楽殿から参拝することとなる。天皇陛下大阪に行幸された折に幣饌料を下された証が誇らしげに掲げられている。この神楽殿の奥に拝殿があり、その奥に本殿。

参拝すると、左斜め後ろから風が吹いてきた。先ほどの「祓い所」の方角である。

本殿

塀に囲われているため、全体を見ることはできないが重厚な社であることがうかがえる。

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神楽殿横の「謎の祠」

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神楽殿の横、植え込みの中に小さな祠があった。どなたをお祀りしているのだろうと近寄っては見たものの説明は一切ない。社名すら書かれていないのだ。ヒントとなるようなものもない。

ネット情報によると、巳さんであるという説も。

少し気味の悪い雰囲気を感ずる。しかし、思えばこれは序の口であった。いや序章だったのかも。。。

本殿域を出て左へ進むと、摂社が見えてくる。

境内社

大鳥美波比神社(おおとりみはひ)

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大鳥五社の一つで式内社。由緒ある神社である。主祭神は天照大神

大鳥美波比神社の創建

かつての別当「神鳳寺」の伝承によると、

垂仁天皇の御代、天照大神が伊勢の五十鈴に鎮座したあと、白鳳と化して上野峰に現れた

景行天皇24年、勅命により白鳳を探してこの地に来た武内宿禰が、上野峰で崇拝し社殿を建立。

景行天皇55年、千種森に遷座した。

これが、大鳥美波比神社の創建伝承である。

ここにも鳳の由来が存するわけだ。天照大神の化身としての「鳳」。すなわち「大鳥」だ。

その後、長い年月を経て、北王子村にあった当社を、明治12年旧神鳳寺の五重塔跡に移し、すぐちかくの押別神社(押別命)の合祀を経て現在の地(神鳳寺本堂跡)に移された。

さて、岸和田のだんじり祭りよりも長い歴史を誇る「鳳だんじり祭り」。実はこの「大鳥美波比神社」に宮入するのだそうだ。由緒ある名社である。

大鳥美波比神社の右には金網で囲われた謎のスペースがある。ここが前述の五重塔跡らしい。現在は特定の会社の忠魂碑のようである。撮影は憚られた。

稲荷社

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「大鳥美波比神社」の鳥居の手前左手に「稲荷社」が鎮座する。

祭神は、織姫大神・稲荷大神・宗像大神・火鎮大神とある。すべて宇迦之御魂神であろう。

さあ、帰ろうと思ったときのことだ。

フッと「東の鳥居を見て帰ろう」と思い立った。そんなこと思い立たなければよかったのに。。。

大鳥美波比神社を出て右へ曲がり、突き当りを左に曲がると東の鳥居なのだが、その突き当りに本殿裏へ続くと見える小径の入り口に石の鳥居を発見する。

本殿裏の祠

石の鳥居の前に立った。鬱蒼とした森の中へと続く道が見える。本殿裏からの参拝はよくあることだ。興味本位で奥へと歩を進める。道が少し折れ曲がっている。

その曲がり角から、折り鶴・ワンカップやブリックパックの酒が供えられている小ぶりな祠を見た。

怖くて撮影できませんでした。。。ごめんなさい。

その瞬間のこと、、、

後頭部から背中にかけて強烈な痺れが。。。

ほどなく強い嘔吐感が。。。

一歩も前に進めない。これはヤバいと感じる。

何かが背中にへばりついている!

逃げよう!逃げるに限る!

心の中で「南無大師遍照金剛」と唱える。「般若心経」も唱える。「不動明王真言」も。

私の知り得るできる限りのありとあらゆる手立てで、この得体のしれないモノを振り払おうと試みた。

しかし、痺れは取れない。

焦る。

ここで思いつく。先の「祓い所」だ!

「祓い所」で天津祝詞を奏上する。痺れが取れるまで奏上する。しばらくすると、スッと楽になった。

助かったか。。。

霊能者でもなんでもない私であるからして、何かが見えたとか何かが聞こえたというわけではない。

基本的にはビビリなので、よろしくない霊的なものと思ったが、もしかしたら、「強烈なご神霊?」なのかもしれない。

そういえば石上神宮の北奥でも軽い嘔吐感を覚えた。石切神社の上之社のお滝でも違和感を覚えたが。

とすると、「あれは気あたり?」などと考えながら帰路についた。でもほんとに怖かった。

本殿裏の祠の正体

後日、ネットでこの謎の祠について調べた。

祠には「明神影向石」という石柱が祀られているらしい。

土佐守何某という人物がこの石柱を自宅の庭に持ち帰ったところ、夢に「祟り神」が現れて怒った

という言い伝えがあるとも。

神の依代で古代祭祀の場である「磐座」であろうか。しかも「祟り神」とは。。。では、その祟り神の名は?

レイライン

あまり興味がなかったのだが、大鳥大社はまさに北緯34度32分「太陽の道」上に存在する

東は、伊勢湾入口の「神島」に始まり、そこから西へ「伊勢の斎宮」「室生寺」「長谷寺」「三輪山」「箸墓」「二上山」「日置荘」そして「大鳥大社」。

「太陽の道の西の果て」太陽の沈む海岸に「大鳥大社」が存在するのである。東は「生」、西は「死」。そして蘇生への準備としての「夜」「黄泉」がある。

白鳥となった日本武尊の霊魂が、最後に大鳥の地に降り立ち、天高く飛び去った。まさしく黄泉への旅立ちの場所。

もしかすると、あの祠はこの世とあの世の境目なのかもしれない。。。ファンタジーである。

大鳥大社は、いまなお多くの謎が残る神秘的な神社であった。

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