高市御縣神社|奈良|名神大社
高市御縣神社は、橿原市四条町に鎮座する神社。
延喜式神名帳に記載ある式内社の中でも名神大社に列する、格式高く霊験あらたかな神社だ。倭の六縣に創建された御縣六座はみな式内大社格だが、名神大社に列するのは当社だけ。
すなわち、御縣六座の筆頭である。
そんな大社も、今は、、、集落の小さな神社のような規模になってしまっているのは寂しい限りである。
高市御縣神社について
高市御縣神社 概要
- 所在地 奈良県橿原市四条町761
- 電話番号
- 主祭神 天津彦根命、高皇産霊神
- 社格 名神大社
- 公式HP なし
山辺御縣坐神社のアクセス
MAP
最寄り駅
- 近鉄橿原線「八木西口駅」徒歩8分
- 近鉄大阪線「大和八木駅」徒歩18分
- JR策街線「畝傍駅」徒歩10分
駐車場
- なし
北隣の「今井まちなみ交流センター」のパーキングを利用。トイレあり。
倭の六縣・御縣六座
まずは、社名にある「御縣」について。
御縣とは、飛鳥時代に設置された朝廷の直轄地のこと。大和国内に6つの御縣があった。ゆえに「倭の六縣」と称される。
これらの御縣には、甘菜や辛菜を天皇に献上する役割が与えられていたようだ。
祈年祭(としごいのまつり)祝詞(抜粋)
御縣に坐す皇神等の前に白さく、高市・葛木・十市・志貴・山邊・曾布と御名は白して、此の六つの御縣に生ひ出づる甘菜・辛菜を持ち參來て、 皇御孫命の長御膳の遠御膳と聞し食すが故に、 皇御孫命の宇豆の幣帛を、稱辭竟へ奉らくと宣ふ
そして、それぞれの縣には縣主がいて、縣の守護神が祀られていた。それを御縣六座という。
6縣のおよその場所と御縣坐神社は次の通り
- 曽布(添)縣・・・奈良市・生駒市・・・添御縣坐神社(下記の論社2社)
- 山辺縣・・・天理市あたり・・・山邊御縣坐神社(下記の論社2社)
- 磯城縣・・・桜井市あたり・・・磯城御縣坐神社
- 高市縣・・・橿原市今井町あたり・・・高市御縣坐神社
- 十市縣・・・橿原市北部・・・十市御縣坐神社
- 葛城縣・・・葛城市から御所市・・・葛木御縣神社
このように、添縣の御縣坐神社と山辺縣の御縣坐神社については、それぞれ論社が2社ずつある。
高市御縣神社の祭神
現在の祭神は、天津彦根命と高皇産霊神である。
天津彦根命(あまつひこねのみこと)
古事記では、
天照大御神と須佐之男命が、天安川を挟んで「誓約」して子を生み、須佐之男命の心が清いか悪いかを占った。その時に、天照大御神の玉から生まれた五柱の男神のうちの三男が天津彦根命。 |
と記述されている。
そして、
- 凡川内國造(おおしこうち)
- 額田部湯坐連(ぬかたべのゆえ)
- 木国造(きのくに)
- 茨木國造(いばらき)
- 倭田中直(やまとのたなか)
- 山代國造(やましろ)
- 馬来田國造(うまきた)
- 道尻岐閇國造(みちのしりのきへ)
- 周芳國造(すは)
- 倭淹知造(やまとのあうち)
- 高市縣主(たけち)
- 蒲生稲寸(かまふ)
- 三枝部造(さきくさべ)
などの氏族の祖と記されている。
高皇産霊神(たかむすびのかみ)
古事記では、高御産巣日神。天地開闢のとき、天之御中主神の次に神産巣日神とともに現れた造化三神の一柱。
ムスビは生産・生成を意味する言葉で、創造神という位置づけとなる。
常に高天原におり、重要案件の際には必ず登場し、天照大御神を補佐して政治的決断を下していくという立場で描かれる。そういう意味では、天照大御神と高皇霊産神のどちらが最高神なのかわからない。
また、高皇霊産神の娘「万幡豊秋津師比売命」が天照大御神の息子「天忍穂耳尊」と結婚して生まれた子「瓊瓊杵尊」が高天原から天下り、地上世界の最初の皇孫となったというから、史上最初の皇室の外戚と言えよう。
高市御縣神社の創建
創建年代は定かではない。
延喜式神名帳に記載があることから、平安時代初期には存在していたということは間違いなかろう。
日本書紀には、孝徳天皇大化元年(645年)に、「倭の国の六つの県に遣わされる使者は、戸籍を造り同時に田畑を検知せよ」と記載ある。
さらに天武天皇即位前(678年)の壬申の乱を描いた部分に、「高市郡の大領の高市県主許梅が神懸かりして、神武天皇の御陵に馬や武具を奉納して祈願するべしと言った。」との記事もある。
この記述から、飛鳥時代に高市御縣と高市県主が存在していたと推定される。これを以って同時期に高市御縣神社が存在した証拠とはならないが、普通はそう考えるのが自然だと思う。
高市御縣神社 参拝記録
大和八木駅の南西に、江戸時代の街並みを残す今井町がある。ここはかつて一向宗の布教活動の拠点として発祥した寺内町で周囲を掘で囲んだ環濠集落であった。
その今井町の南東のはずれに「今井まちなみ交流センター:華甍」がある。そのパーキングに駐車するのをお勧めする。
というのも、すぐ南に高市御縣神社があるからだ。
まあ、路駐もできるだろう。がしかし、パーキングを目の前にしつつ200円惜しさに路駐するなんて、神社参拝を志す者の倫理に反すると思うのである。
パーキングから神社を望むと、、、
社標
式内大社とある。名神大社として欲しいところだ。
他の御縣の神社は、「十市御縣坐神社」というように、「坐」ないしは「座」が付く。しかし、高市御縣には「坐」はつかない。
その理由はわからない。
鳥居
素木鳥居の両脚に、後ろ側にだけ控え柱を据えるという珍しい鳥居。
拝殿
入母屋造りで、屋根は板葺きという、実にシンプルな拝殿。
二拝二拍手一拝。
本殿
玉垣の中に、春日造りの本殿が鎮座。こちらも板葺きか。
かつての六御縣筆頭で名神大社列した格式高い神社の面影は、1ミリも残っていない。。。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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