添御県坐神社|奈良|ナガスネヒコを祀る神社が鳥見の丘に存在した!

2019年10月22日

添御県坐神社(そうのみあがたにいますじんじゃ)は、奈良県奈良市三碓にある神社。延喜式神名帳に「大社」として掲載される、極めて格式の高い古社である。

富雄駅の南方にある小高い丘陵の中腹に、微妙に南に振った西向きに鎮座している。それはちょうど生駒山を越えたところにある枚岡神社の神津嶽本宮を向いているように見えるが、偶然だろうか。

何か関係があるような気がする。。。

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添御県坐神社について

添御県坐神社の概要

  • 所在地  奈良県奈良市三碓3丁目5−8
  • 電話番号  0742-43-1428
  • 主祭神  建速須佐之男命、武乳速之男命、櫛稲田姫命
  • 創建年    不明
  • 社格   村社
  • 公式HP   http://soumi.sub.jp/index.htm

添御県坐神社 アクセス

MAP

最寄り駅

  • 近鉄奈良線「富雄」徒歩15分

駐車場

  • あり。(根聖院と共用) 無料です。

添御県坐神社の祭神

祭神は、建速須佐ノ男命・武乳速之命・櫛稲田姫之命の三柱。

武乳速之命(たけちばや)

記紀をはじめとする史書に武乳速之命の神名は見えず、似たような神名として武乳遺命(たけちごり)が見えるのだが、同一がどうかは定かではない。

ちなみに、武乳速之命が武乳遺命だとすると、、、

  • 先代旧事本紀・・・興登魂命の子。すなわち天児屋根命の弟。
  • 新撰姓氏録・・・津速魂命の子。この後裔に天児屋根命がいる。

よって、いずれにしても中臣氏の遠祖となろう。枚岡を向いて鎮座していることと符合する。

ところがである。

当神社の言い伝えによると、武乳速之命の真の名は、添御県の一帯を開発し治めていた首長の那賀須泥彦(ながすねひこ)であるとのこと。

はたしてそれは、、、

ホツマツタヱに登場する武乳遺命は、

クシミカタマハ オシクモト
ナカスネウテハ ニケユクオ
オヒテカワチニ トトマリテ
タケチノコリト アウヱモロ
ヤマトノソフニ フセカシム   

クシミカタマは オシクモと
ナガスネ撃てば 逃げ行くを
追ひて河内に とどまりて
タケチノコリと アウヱモロ
大和の層富(添)に 防がしむ

このように、ナガスネの反乱の時、大日諸とともに大和の層富(添)にナガスネ軍の動きを防いだとある。

となれば、 武乳遺命はナガスネヒコではない。

もっとも、武乳速之命と武乳遺命が同じとも限らないので、完全に否定することなど出来ようはずもない。

個人的には、ナガスネヒコだと嬉しいと思っているし、地元の人たちはナガスネヒコが祀られていることに誇りを持っておられるそうだ。

建速須佐ノ男命

当社は江戸時代には牛頭天王社と称されていたという。いつのころからか牛頭天王が合祀されメインになった思われる。

明治に入り神仏分離によって、須佐之男命に神名を変更したのだろう。

櫛稲田姫之命

須佐之男命の妻である櫛稲田姫命も、江戸時代までは牛頭天王の妻である波利采女が祀られていた。

同じく明治に入り神仏分離によって、櫛稲田姫命に神名を変更したのだろう。

ちなみに、牛頭天王社の時代においては、武乳速之命は牛頭天王の子「八王子」の名で祀られていたという。

添御県坐神社の創建

創建年代は定かではない。

添県主が、添御県の国魂神(武乳遺命)を祀ったのが始まりとも、小野氏が氏神(牛頭天王)を祀ったのが始まりとも言われている。

延喜式神名帳に記載あるため、延喜年間以前から存在することは間違いないと思われる。

社伝のようにナガスネヒコを祀る神社であるとするならば、もっと前の古墳時代まで遡ることにもなるのだろうか。

倭の六縣・御縣六座

御縣とは、飛鳥時代に設置された朝廷の直轄地のこと。大和国内に6つの御縣があった。ゆえに「倭の六縣」と称される。

これらの御縣には、甘菜や辛菜を天皇に献上する役割が与えられていたようだ。

祈年祭(としごいのまつり)祝詞(抜粋)

御縣皇神等さく、高市葛木十市志貴山邊曾布御名して、つの御縣づる甘菜辛菜參來て、 皇御孫命長御膳遠御膳すがに、 皇御孫命宇豆幣帛を、稱辭竟らくと

そして、それぞれの縣には縣主がいて、縣の守護神が祀られていた。それを御縣六座という。

6縣のおよその場所と御縣坐神社は次の通り

  • 曽布(添)縣・・・奈良市・生駒市・・・添御縣坐神社(論社2社)
  • 山辺縣・・・天理市あたり・・・山邊御縣坐神社(論社2社)
  • 磯城縣・・・桜井市あたり・・・磯城御縣坐神社
  • 高市縣・・・橿原市今井町あたり・・・高市御縣坐神社
  • 十市縣・・・橿原市北部・・・十市御縣坐神社
  • 葛城縣・・・葛城市から御所市・・・葛木御縣神社

このように、添縣の御縣坐神社と山辺縣の御縣坐神社については、それぞれ論社が2社ずつある。

645年(大化元年)に、それぞれに使者がたてられて、戸籍調査と石高調査が行われたという記録が残る。

とはいえ、添県主の姓が与えられたのが奈良時代のことであるからして、奈良時代の創建なのだろう。

もう一つの添御県坐神社

がしかし前述の通り、論社がもう一社あるからややこしい。同じ奈良市の歌姫に鎮座する「添御県坐神社」だ。

三碓の添御県坐神社、歌姫の添御県坐神社のどちらが式内社なのか。

江戸期から明治にかけて編纂された神社に関する資料の多くは「式内社の添御縣坐神社は三碓村にあって、今は天王と称する」としている。

しかし、大正3年の「大和志料」は、次のような理由から「歌姫説」を説く。

  • 歌姫は添御県の中心部の北に位置する。(添上と添下の接点)
  • 歌姫は分水地点であるからして、水分の神などの神祀りに相応しい場所。
  • 歌姫は山城と大和の国境であるからして、疫病除けの神などを祀るに相応しい場所。
  • 歌姫町字御県山が旧地名。

私は、どちらでもいいと思っているが、、、

六県と六座マップ

添上郡と添下郡を合わせて添県、式上郡と式下郡を合わせて磯城県、葛上郡と葛下郡を合わせて葛城県、というような考え方で県域を囲ってみた。

本来の御縣がこんな広範囲だとは考えにくい。それぞれの御縣坐神社の周辺部のみだったと考える。

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添御県坐神社 参拝記録

生駒市から矢田丘陵を越えると、富雄川が北から南に流れている。その川沿いの道路を富雄駅から南へ約900mほど進み、右手に「スーパー中村屋」のある交差点を東へ折れる(左折)。

交差点名も看板も何もない所を左折して極めて細い道に入っていく格好になる。極めて細い道路に見えるが、入ってみるとそうでもないから、臆することはない。

田んぼの畦道のような道路を進むと正面に鳥居が見えてくるだろう。

鳥居をくぐり急な坂道を上がると社頭が見えてくる。神社境内の一段下、左手に参拝客用駐車場があるから心配は無用だ。

社頭の風景

これが、境内へと続く石段。石段の手前左手が駐車場。

駐車場の奥に「根聖院」という寺院があり、そこに、当地の地名「三碓」の由来を物語るモノがあるらしい。

私は興味がなかったのでスルーしたが、、、

境内の風景

綺麗に清掃された境内である。気持ちがいい。

右手に見えるのが拝殿。左手に見えるのが舞殿である。

拝殿

割拝殿と言っていいのだろうか。中央部が通り抜けできるように設計されている(実際は通せんぼされているが)ので割拝殿としておこう。

本殿(重要文化財)

正面の朱色が美しい建造物が本殿。瑞垣の瓦で隠れてしまって、ちょっと見にくいのだが神座が三つ連なる美しい本殿である。

二拝二拍手一拝。

こちらの方がわかりやすいか。この本殿は室町時代の建造物

であるからして、昭和4年に国宝保存法により国宝に指定され、戦後の昭和25年に文化財保護法により国の重要文化財に指定されている。

覆屋に守られていたため痛みが少なく、室町時代のものが現在まで残っているのだとのこと。

そして、室町時代から三連の神殿であったということからして、牛頭天王と波利采女が合祀されたのは室町時代以前ということになろう。

境内社

本殿の左裏山中腹に境内社が2社。境内の右奥の小径をいくと境内社が2社。

福神宮と九之明神

画像の右側の祠が福神宮。祭神は「小野福麿公」。添県主が衰えた後の奈良時代にこの地を支配した豪族「小野氏」の首長。

天平10年の農民一揆の時に襲われて、従者とともに殉死。こちらの境内に祀られたという。

その左の祠は、その殉死した従者9人を祀ったもの。

ネット情報に、この小野福麿公が春日大社の氏神である牛頭天王を勧請し、神社を創建したのが当社の起源であるという説がある。

小野氏は和爾氏の系統であるからして、春日氏と同系統だ。従って、春日大社や枚岡神社との縁も深そうである。

「春日大社の氏神の牛頭天王」という部分は気になるが、この説もあながち無くもないと思った。

遥拝所

一旦拝殿前まで降りて、境内の右手を見ると「遥拝所」がある。春日大社を遥拝するものなのだろうか。。。

遥拝所の右側から、山の奥に向かって小径が伸びる。

天香具山社

境内右手から山道を少し登ると、小さな祠が見える。

このあたりでは良質の陶土が採取できたということから、それに因んで「天香具山社」が祀られたという。

「それに因む」というのは、天香具山は古来より神聖なる陶土の採取場所だからだ。

龍王社

その山道をもう少し奥へ行くと、突き当りに「龍王社」。雨乞いの神として龍神を祀る。

そして、龍王社の裏には龍王池が。ちょっと近づきにくい雰囲気がある。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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