北條神社|大阪|日本最大級のだんじりを保有する北条の氏神様。

2019年10月23日

大阪府大東市北條、生駒山地の北端に聳える飯盛山の麓に鎮座する北條神社。北條地区の氏神様である。

北條神社の目玉は「だんじり」。秋祭りに行われる「だんじり曳航」には、日本最大級巨大の地車が登場するのだ。

北條中之町地車だ。明治12年に作られた地車で、木本与三郎が大工、そして彫刻は小松源助という、地車ファン垂涎の北河内讃良型の大形地車である。

これを見るために、全国各地から北條神社秋祭りに来られる方々も多いと聞く。

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北條神社について

北條神社の概要

  • 所在地  大阪府大東市北条5丁目11−2197
  • 電話番号  072-879-5380
  • 主祭神  誉田別命、菅原道真公
  • 創建年    不明
  • 社格   村社
  • 公式HP   なし

北條神社 アクセス

MAP

最寄り駅

  • JR学研都市線「四条畷駅」徒歩15分

駐車場

  • なし。

路駐可能と思いますが、自己責任でお願いしますね。

北條神社の創建

創建年代は定かではない。

伝承によると、、、

かつて天皇の命令により、北野天満宮の神木で神像をたくさん作られ賀茂川に流された。それは、その神像が流れ着いた土地に天満宮を祀れということだった。

その神像の一つが深野池の池端「津之辺」に漂着した。そこは森だったため「明神の森」と名づけて、その神像を祀ったのが始まりという。すなわち、北條神社は天満宮なのである。

明神の森あたりの平地は洪水が多い場所だったため、何度となく洪水の被災に遭ってきた。そこで、高台の現鎮座地に遷座し奉った。

一方、鎌倉時代に石清水八幡宮が八幡山に勧請された。戦国時代には飯盛城に詰める武家がこぞって、その八幡宮に武運長久を祈願したそうだ。

江戸時代、四條村が分裂したとき八幡宮は久具領?(場所が特定できない)の産土神となった。

その八幡宮が北條の天満宮に合祀されることとなったのは、明治5年のこと。

北條神社の祭神

というわけで、現在の北條神社には、八幡宮からの「誉田別命」と天満宮の「菅原道真公」の二柱が祀られている。

誉田別命

15代応神天皇のこと。全国の八幡宮に祀られる神。八幡大神とも。天照大御神に並んで皇祖神の位置づけになっている。

宇佐神宮を本宮とする八幡大神は、平安京の鎮守のために京都と大阪の境目にある「男山」に遷座された。それが石清水八幡宮である。

菅原道真公

平安時代の学者であり政治家。藤原氏全盛の時代にあって、その能力のみで大出世した大秀才にして武芸にも優れたスーパーマン。

がゆえに妬まれ、冤罪を着せられて左遷された。西の果て大宰府で無実を叫びながら亡くなった。その怨念から「天満大自在天神」となり、都に災いを及ぼす怨霊と化したという。

日本三大怨霊に数えられる恐ろしい神。これが、今や学問の神といわれる菅原道真公の真の姿なのである。

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北條神社 参拝記録

旧170号線は、かつては東高野街道と呼ばれた幹線道であった。

石清水八幡宮で京街道から分岐し、淀川水系や河内湖を避けるように、すなわち生駒山地沿いに敷かれた街道は、京都と高野山をつなぐ最短ルート。多くの参拝客で賑わったことであろう。

道中に多くの著名な神社仏閣が建ち並ぶ街道でもある。石清水八幡宮・野崎観音・石切劔箭神社・枚岡神社などなど。

北條神社は、そんな東高野街道から東へ少し入った飯盛山の裾野に鎮座している。

北條神社の社頭

急な坂道を登っていくと、その突き当たりの左に鳥居が見える。これより先は登山道だ。

駐車場は無い。

鳥居の手前、「みどりの里」への入り口付近の道路が少し広くなっているので、そこに駐車するのがよろしかろうと思う。

少しすさんだ印象を持ったが、境内に上がると綺麗に清掃されている。広くて明るい、いい雰囲気の境内だ。

近所のおじいさんが体操をしていた。(休憩中)

拝殿

拝殿はかなり古びている。壁が少し剥がれているのはよろしくない。

大型台風が襲来すると、危ないかも、、、な雰囲気がする。

本殿は、覆屋に覆われていて全く見えない。

善女大龍王

本殿の横に、西向きに鎮座する境内社がある。北條神社の境内社はこの社ひとつのみ。

覆屋の中を覗くと、、、

意外にも美しい社が。そして賢木も新しそうだ。

キチンと祀られている様子が見て取れて、うれしくなるではないか。

祭神は、水の神様。

この大東市は河内湖がグッと入り込んだ地域。河内平野で最も標高の低い地域と言える。が故に、洪水に見舞われることしばしばであった。

野崎参りは船で行くって歌もあったし、私が小学生の頃(昭和40年代)でも、深野には大きな湿地帯のような空き地があったぐらいだから、中世ならば推して知るべしである。

ということからして、龍王様は、雨量のコントロール、すなわち水害除けとして祀られたのであろうと推察する。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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