方違神社|大阪|方位除けの一大聖地。新築引越し旅行の前に参拝しよう
方違神社は大阪府堺市北三国ヶ丘にある神社。
摂津国・河内国・和泉国の三国が接する場所であることから、方位による災いを払う神として信仰を集め、いまも家の新築や転居の際の厄除け祈願に、大勢の参拝者が訪れる。
南隣は反正天皇陵。もさらに南へ行くと仁徳天皇陵、そして履中天皇陵。まさに古代の聖地ベルト地帯に鎮座する神社と言えよう。
方違神社について
方違神社の概要
- 所在地 大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町2丁2−1
- 電話番号 072-232-1216
- 主祭神 方違幸大神
- 社格 郷社
- 公式HP http://www.hochigai-jinja.or.jp/
方違神社 アクセス
MAP
最寄り駅
- 南海高野線「堺東駅」徒歩5分
- JR阪和線「堺市駅」徒歩10分
車でのアクセス・駐車場
- アクセスは容易
- 駐車場あり(無料)
北面する正面鳥居から車で境内へ。反正天皇陵側(西側)に駐車スペースあり。
南にも出入口があるが、車での通行は不可。
交通安全祈願が多いので、土日は混雑すること間違いなし。
方違神社の祭神
方違神社の祭神は「方違幸大神」。
しかしてその構成神は、八十天万魂神、素盞嗚尊、三筒男大神、息気足長姫命となる。
八十天万魂神
天神地祇のこと。天神地祇とは天津神と国津神の総称で、すなわち、日本のすべての神ということである。
ありとあらゆるご神徳の集合体と言えよう。
素盞嗚尊
天照大神の弟。天岩戸神話では荒くれ者の神として、八岐大蛇退治神話では正義のヒーローとして描かれる、なんとも魅力的な神。のちに仏教の牛頭天王と習合した。
疫病除け、厄除けのご神徳を持つ。
三筒男大神
住吉三神のこと。伊弉諾尊が禊祓で穢れを祓ったときに生まれた底筒男命・中筒男命・表筒男命の総称である。
穢れ祓い・航海安全・交通安全のご神徳を持つ。
息気足長姫命
14代仲哀天皇の皇后「神功皇后」のこと。身重の身でありながらも急死した天皇に代わって新羅征伐を敢行。
臨月には冷たい石を抱いて産気を抑えつつ凱旋し、無事に応神天皇を産んだ。
こんなことから、安産のご神徳を持つ。
方違神社の創建
社伝によれば、
崇神天皇5年に蔓延した疫病で未曽有の危機に直面した。そこで崇神天皇8年12月29日(紀元前90年)、物部大母呂隅足尼を茅渟の石津原に遣わせて須佐之男神を祀らせたところ、疫病は収まった。
これが創祇の起源である。おそらくは、神殿や祠はなく磐座か高木を神籬とした祭祀だっただろうと推察する。
さらに、
神功皇后が新羅から凱旋すると、14代仲哀天皇と別の妃との間に生まれていた皇子である押熊王との戦となった。その際、住吉大神の神託により、当地に天神地祇を祀って粽を供えて方災除けを祈願。見事に勝利した。
と続く。この時に、神殿あるいは祠を設けて常設の祭祀場としたと思われる。
さらに、
神功皇后がお亡くなりになったあと、息子の応神天皇によって、天神地祇を祀る当地に須佐之男命と住吉三神と神功皇后を合わせ祀られ、方違大依羅神社と号した。
と伝わる。
大依羅とは、依羅氏を指すのだろうか。
依羅氏は、住吉区の我孫子・庭井、松原市の天美あたりを本拠した古代氏族。庭井には式内名神大社の大依羅神社が存在する。
神功皇后が新羅に遠征する際に「和魂は王身に付き随って守り、荒魂は先鋒として軍船を導く」と住吉神から教えを受けた。これを受けて依網吾彦男垂見は、皇后によって神を祀る神主に選ばれた。
という記述があることから、神功皇后・住吉大神との縁は深い。もしかしたら依羅氏が当社の祭祀を司ったのかもしれない。
方違神社のご利益
当社のご利益は「方位除け」「厄除け」「交通安全」である。
- 崇神天皇が須佐之男神を祀って疫病を収めた
- 神功皇后が粽を供えて方位除けの祈願を行った
- 熊野詣の安全を祈願する神社だった
という伝承に因む。
さらに、当地の地名「三国丘」は、摂津・河内・和泉の三国の境に位置するが故に「三国丘」で、いずれの国にも属さない、すなわち方位の無い清地とされた。
その清地にある神社の境内の砂に霊力が無かろうはずがない。
ということで、砂を持ち帰り自宅の敷地に撒くようになったとか。。。
ちなみに、堺市の「堺」は、 摂河泉三国の「境」が由来といわれている。
「いずれの国にも属さない」という部分が、どこの大名の配下にも入らずに自治を貫こうとした「自治都市:堺」とも相通じる。面白い。
方違神社 参拝記録
方違神社の鳥居前を通る道路は、摂津と大和を結ぶ古代の幹線道路「長尾街道」。また、東側には熊野街道が通っている。すなわち、方違神社は古代の街道が交差する地点に鎮座しているのだ。
そのようなことで、熊野詣が盛んな時代には多くの参拝者が当社に旅の安全を祈願したという。
社頭
境内の北に鳥居がある。ここから境内に車で乗り入れることができる。
交通安全祈願も行っていることから、車での乗り入れもさほどの違和感はない。
一部のサイトに「南からも入ることができる」と書かれてあるが、それは徒歩のみ。車ではこの鳥居からでしか入れない。ご注意いただきたい。
手水舎
参拝者の多い神社だけに手水舎も大きい。コロナ禍のため使用不可となっていた。
拝殿
とても新しい拝殿。当日も何かのご祈祷が行われていた。
二拝二拍手一拝。。。
5年ほど前に新築のご祈祷をして頂くために参拝したが、その時は改修中だったので残念な思いをした。
本殿
拝殿の左側から回り込むと本殿が見える。この角度からしか見えないので、あまりカッコいい画像は撮れない。
大きな屋根に鰹木が3本。間延びした感じで少しく残念だが、「3」と言う数字にも何か意味があるのだろう。
ご祭神は、前述した「方違幸大神」以外にも、近隣の神社を合祀したことにより、たくさんの祭神が祀られている。
向井大神
明治末期の神社統廃合政策によつて明治40年に合祀した向井神社の祭神の総称である。
向井神社は楯井原神社ともいい、方違神社の東南約半町の所にあった神社。孝徳天皇の大化6年(650)正月に創建されたという古社である。
- 大鷦鷯天皇・・・仁徳天皇
- 去来穂別天皇・・・履中天皇
- 瑞歯別天皇・・・反正天皇
- 菟道稚郎子命・・・仁徳天皇の弟
- 百済王仁・・・菟道稚郎子命の学問の師
水天宮
幕末ごろの創建された神社、今の戎島5丁に神社跡がある。明治28年に、鉄工場を建設するために方違神社に遷座し合祀された。
祭神は明示されていないが、一般的に水天宮と言えばは以下のご祭神である。
- 天御中主神・・・天地開闢で初めに現れた神
- 安徳天皇・・・81代天皇。壇之浦の戦で入水して崩御。
- 建礼門院・・・安徳天皇の母。平清盛の娘。
- 二位の尼・・・建礼門院の母。安徳天皇の祖母。安徳天皇とともに入水。
他にも、多くの神社が合祀されていて、十二柱に及ぶという。
境内社の御紹介
境内社は鳥居の脇に1社と境内の北東に4社ある。
神明社
鳥居の脇に鎮座するのが「神明社」。ご祭神などの説明書きは無いが、社名からして天照大御神が祀られているものと推察する。また横長の形状からして、他の神も祀られているやも知れぬ。
さて、神明社から社務所の裏を進むと、朱色の鳥居が建ち並ぶエリアがある。お稲荷さんの雰囲気が満載だ。
大年・鈴山稲荷大明神社
鳥居をくぐった正面に鎮座するのが、大年・鈴山稲荷大明神社。大年大神と鈴山大神が祀られている。
大年神は素戔嗚尊と神大市比売神の子。穀物の神・農耕の神といわれているので、稲荷神といえないこともない。
鈴山大神は、そのように名付けられた宇迦之御魂神であろう。伏見稲荷大社から勧請された宇迦之御魂神には自由に神名をつけることができる。
ちなみに、宇迦之御魂神と大年神は同母兄弟。兄妹?(性別はわからない)
八幡大神
大年・鈴山稲荷大明神社の左奥に鎮座するのが八幡社。ご祭神は八幡大神。
近隣の八幡神社が方違神社に合祀されたとの記録があるので、その八幡神社であろうと思われるが、、、
八幡大神といえば応神天皇。がしかし、こちらの祠にはキツネが置かれてある。
もしかして八幡大神と名付けれられた宇迦之御魂神なのだろうか???
それはなかろうと思うが、、、よくわからない。
末次社
大年・鈴山稲荷大明神社と背中合わせに鎮座するのが末次社。ご祭神は末次大神と名付けられた宇迦之御魂神なのだろう。稲荷社である。
白鬚社
大年・鈴山稲荷大明神社の右奥に鎮座するのが 白鬚社。ご祭神は 白鬚大神。
びわこに浮かぶ鳥居が神秘的な「白鬚神社」の祭神は猿田彦大神であるが、こちらの 白鬚社 はキツネがお出迎えしているので、 白鬚大神と名付けれらた稲荷神と推察する。
がしかし、そもそも伏見稲荷大社の祭神の一柱「佐田彦大神」は猿田彦命のことだとする説がある。よって、猿田彦命を稲荷神として祀ってもおかしなことではないか、、、
楠木姫社
本殿横に鎮座するのが楠木姫社。ご祭神は楠木姫大神。楠木がご神体と推察する。
およそこのようなロケーションで「楠」が付く神名の場合は蛇神が祀られていることが多いが、
こちらは、楠の木のご神霊であろう、、、湿った感じはなく、なかなかに気持ちの良い場所である。
反正天皇陵
方違神社の隣には前方後円墳がある。18代反正天皇の百舌鳥耳原陵に治定されている楯井古墳である。
神社の境内から見た景色。手前が後円部で奥が後円部。
拝所は前方部にある。そこまでは200mないので、急ぐ用事がなければ寄って行こう。
境内の南口から出て、道なりに進む。
ある程度進んで振り返って見た画像。
左が古墳。右手には大豪邸。そして、この道が熊野街道。
拝所
これが反正天皇陵の拝所。玉砂利の箒目が美しい。
反正天皇は、聖帝として有名な16代仁徳天皇の第三皇子。兄の17代履中天皇を継いで即位した。
生まれつき歯並びが美しかったので瑞歯別天皇ともいう。
その宮は、丹比柴籬宮といい、松原市にある柴籬神社の場所あたりにあったという。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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