星田神社|大阪交野|星降り伝説の聖地「星田」に鎮座する星田神社には、饒速日尊が祀られていた。

2019年10月16日

星田神社は大阪府交野市星田にある神社。

星田は「星降る里」星田などと言われる通り、降星伝説が伝わる場所。

平安時代、空海が獅子窟で呪文を唱えると、天上から交野に北斗七星が三つに分かれて降ってきたという伝説だ。

その三か所は、星田妙見宮・光林寺・星の森。

残念ながら、この星田神社には降っていないのだが、妙見宮はここ星田神社の境外社だ。

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星田神社について

星田神社の概要

  • 所在地  大阪府交野市星田2丁目5−14
  • 電話番号  072-893-1212
  • 主祭神  住吉四神
  • 創建年    不明
  • 社格   村社
  • 公式HP   https://www.hoshidajinja.com/

星田神社 アクセス

MAP

最寄り駅

  • JR学研都市線「星田駅」徒歩15分

駐車場

  • あり。(星田寺と共用) 無料。

星田神社の創建

創建年代は定かではない。社伝によると、

肩野物部氏がこのあたりに住み着いたとき、この地に聳えていた1本の大杉に祖神である饒速日尊を祀ったのが起源と伝わる。

その後、物部宗家が滅んだ後、饒速日尊を公然と祀ることが憚られた時代に「交野大神」と名を変えて祀り続けられ、中世に入り神仏習合時代に「交野大明神と改名されたと推察する。

1700年代になると、同じように祭神を饒速日尊から住吉四神に変更していた磐船神社の分霊を勧請し、立派な社殿を造営。

これが現在の星田神社の始まりと言えよう。

星田神社の祭神とご利益

主祭神を住吉四神とする。すなわち、底筒男命・中筒男命・表筒男命・神功皇后である。

筒男三神は、伊弉諾尊が黄泉国から帰還して身の穢れを洗うために禊祓を行った際に、海中から現れ出だ神々。住吉三神と称するのが一般的だ。

祓いの神、海の神である。

神功皇后の新羅征伐の際に、その航海を守護したのも、筒男の三神である。

よって、航海安全の神でもある。

神功皇后は、14代仲哀天皇の皇后で、15代応神天皇の母。懐妊しながらも新羅征伐を敢行した。

勇ましい女傑でありつつも、応神天皇を生んだその功績により、安産と子育ての神として信仰を集める。

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星田神社 参拝記録

「星田公園」の東に、星田寺と並んで星田神社が鎮座する。

神社の裏側に星田寺との兼用の参拝者用駐車場がある。ご利用いただければと思う。

ちなみに、星田公園となっている新宮山には、かつて石清水八幡宮の新宮「新宮山八幡宮」が鎮座していた。

平安時代、交野あたりは貴族たちの荘園が開かれた。石清水八幡宮の荘園も。

京都の貴族が新宮に参拝しつつ、余暇を楽しんだのかもしれない。そんなことで、新宮山八幡宮も隆盛を極めたという。

社頭

お濠に石造りの神橋が掛けられていて、神域感を醸し出している。

横長の境内につき、鳥居をくぐると拝殿が間近に迫る。

拝殿

大きな立派な拝殿である。拝所の向こうはガラス張り。本殿がよく見えない。

二拝二拍手一拝。

境内社群

境内社は、境内の右側に並んでいる。

交野社

一番奥に鎮座するのが「交野社」。大杉に祀られていた饒速日尊(交野大神)が祀られているため「古宮」ともいう。

祭神は、天照国照天光櫛玉饒速日尊・建速須佐之男命・大雀命の三柱。

饒速日尊は、天孫瓊瓊杵尊が降臨する以前に、天神から十種神宝を授けられ天磐船に乗って降臨したと伝わる天孫。物部氏の祖とされる。

記紀編纂当時の皇室にとって、瓊瓊杵尊の降臨から始まる自分たちの血統に対して、饒速日尊の降臨から始まる別の皇統があってはならない。饒速日尊は、そんな時代の流れの中で、歴史から故意に消し去られたと考えられている。

須佐之男命は、天照大御神の弟。荒くれ者だったため追放され地上世界に降臨。出雲において大王となる。

大雀命は、16代仁徳天皇。なぜここに、この2柱の神とともに祀られているのかが興味深い。

八幡社

前述の新宮八幡宮である。

新宮山に鎮座していた新宮八幡宮は、本宮の石清水八幡宮と同じく神仏習合の祭祀形態をとっていた。新宮山には多くの寺院が建立されていたという。

明治の神仏分離政策によって寺院が整理されたとき、八幡宮だけが星田神社の境内に合祀され、寺院は廃止されたらしい。

祭神は、誉田別命・息長帯姫命・大雀命・武内宿禰命の4柱。それぞれ、応神天皇・神功皇后・仁徳天皇・武内宿禰である。

こちらにも、安産の神「神功皇后」がいらっしゃる。

恵比寿・琴平社

恵比寿大神、大国主命・三輪明神・市杵嶋姫命の4柱を祀る。

恵比寿大神

恵比寿大神は、もともとは海から漂着した恵みの神。それが、商売繁盛の神へと進化した。

ちなみに、恵比寿神の正体について、「蛭子神」とする神社、「事代主神」とする神社、「少彦名神」とする神社の3派があるのだが、こちらは「事代主派」である。

大国主命

大国主命は、事代主命(恵比寿大神)の父神であり、三輪明神(大物主神)と同一神とされる、国家経営の神である。

また中世以降は、大黒天と習合して七福神の構成員ともなっている。

こちらでは、恵比寿大神と並列の形で祀られていることからして、七福神の「大黒さん」として祀られているのだろう。

こちらでは招福の神として、しかし本質的には国家経営の神であり、現代では縁結びの神として大活躍する神様だ。

三輪明神

この琴平社は、近隣の慈光院から「金比羅社」が遷座され星田神社境内に合祀されたもの。明治の神仏分離政策によるものだ。

金比羅社の時代には「金毘羅大権現」が祀られていたであろう。神仏分離によって、金毘羅大権現から「大物主神(三輪明神)」の改名されたと思われる。

金比羅宮の大物主神の神格は、航海の神。拡大解釈して、交通安全の神といったところか。

市杵嶋姫命

市杵嶋姫命は、天照大御神と須佐之男命の誓約によって生まれた宗像三女神の構成員でありつつ、弁財天と習合したため七福神の構成員でもある。加えて、絶世の美女だったとのこと。誰が見たの?と思うのだが。

このようなことから、財富の神、芸能の神、美容の神として祀られることが多い。

このように見ていくと「恵比寿・琴平社」は、近隣の寺院に祀られていた「えべっさん」「こんぴらさん」「大黒さん」「弁天さん」の4社が、神仏分離政策によってこちらに集められて合祀されたものと考えられる。

天照社と天満社

天照社には、天照大御神・豊受大御神が祀られる。伊勢神宮の内宮・外宮の主祭神たち。こちらに参拝すれば、お伊勢さんに参ったことになるということだ。

加えて、こちらでは豊受大御神は宇迦之御魂神(稲荷神)であるとしているようだ。であるからして、伏見稲荷大社にも参ったことになろう。商売繁盛だ。

こちらの境内には、稲荷社がない。その役割を果たしているのが「豊受大御神」なのであろう。もしかしたら、元々は近隣の稲荷神社を合祀して、豊受大御神に改名したのかも。

天満社には、もちろん「菅原道真公」が祀られている。学問の神様である。

最後に

このように、大きく立派な拝殿もさることながら、境内社・合祀されている神が非常に多い神社であることを考えると、この地域における星田神社の存在が非常に大きなものであったことは容易に想像できる。まさに、星田村の氏神・産土神なのである。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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