鵲森宮|元四天王寺の鎮守「森の宮」は「守屋の宮」?不思議な空間だった。
大阪市中央区、JR森之宮駅すぐのところにある「鵲森宮」は、聖徳太子が589年に建立した古社で、延喜式神名帳に小社として記載ある式内社である。
物部守屋を滅ぼした聖徳太子は、守屋最後の拠点(難波の宅)であったとも言われているこの地に、四天王寺を建立する。
その四天王寺を鎮守するため、両親である用明天皇と穴穂部間人皇后を祀ったのが始まりという。四天王寺はその後、南の荒墓山へ移設されたため、元四天王寺とも呼ばれている。
主祭神は、本殿に、用明天皇、穴穂部間人皇后、聖徳太子を祀り、奧社に天照大神・月読命・須佐之男尊を祀っている。穴穂部間人皇后を祀る神社は、日本にここだけらしい。
奥社は、この敷地内にはない。裏手のビルの屋上にあるという情報があるが、私は未確認である。
「鵲」カササギとは、朝鮮半島や中国に生息するカラスの仲間。コウライカラスとも言う。腹が白いカラスをイメージしていただきたい。
日本書紀によると、「聖徳太子の命により、新羅へ赴いた吉士盤金(きしのいわかね)が2羽の鵲を持ち帰り、難波の杜で飼った」とある。その難波の杜が、この森であるとされたため鵲之森と呼ぶようになり、鵲森宮といわれるようになったらしい。
摂社に「五幸稲荷社」があり、由緒書には「火難・水難・盗難飢餓・産難を除く、宇賀御霊命(うかのみたま)を祀る日本唯一の稲荷社です。」と書かれてある。
鵲森宮 参拝記録
実は、鳥居を発見するまで、ここに神社があることすら知らなかった。鵲森宮という神社の存在も知らないし、ましてや、元四天王寺であることなど、知る由もなかったのだが、この日、奇しくも四天王寺七宮のひとつ堀越神社からスタートし、四天王寺、大江神社、愛染さん、高津宮、難波宮跡と訪問した最後に、偶然立ち寄った神社なのである。
四天王寺の記事はコチラ ⇒ 四天王寺(してんのうじ) 神秘のパワースポット
高津宮の記事はコチラ ⇒ 高津宮(こうづぐう) 縁切りと縁結
難波宮跡の記事はコチラ ⇒ 難波宮跡(なにわのみやあと) 古代宮殿
難波宮跡で究極にのどが渇き、早々に退散したあとのことである。
鵲森宮 発見
自販機で缶コーヒーを購入。そのまま森之宮駅へ向かって歩くわけだが、ふっと、ほんとに、ふっと、この角を曲がってみようと思い立ったのである。曲がると、そこには公園が。営業マンだろうか、ベンチで休憩している。その周辺にカラスが数羽。なんとカラスの多い公園だろう。。。などと思いつつ、缶コーヒーを飲む。
と、ビルとビルの隙間に鳥居があるではないか。見過ごせない何かを感じた私は、鳥居に吸い込まれていったのである。
路地を抜けると、境内である。とても広いとは言えない境内であるが、なんとも奇妙な空気感がある神社だ。これといった特徴がない。というよりは雑多な気が混ざり合っているという感じであろうか。
いったん表の鳥居から出て、入り直す。
表の鳥居
鳥居の正面に、境内摂社が見える。実は、この摂社が曲者?なのであるが。。。
手水舎
手水舎である。まずは、手口を清める。そして、この雑多な気の正体を探ろうでなないか。
五幸稲荷社
まずは、五幸稲荷社である。
由緒書は、下記の通りである。
由緒書(五幸稲荷社)
五幸稲荷社は、火難・水難・盗難飢餓・産難を除く、宇賀御霊命(うかのみたま)を祀る日本唯一の稲荷社です。
平成の遷座で猿田彦命、大己貴命、熊鷹大明神、烏丸明神、天神、八幡大明神、忌部社(手置帆負命・彦狭知命)、真目宮(布留魂命)などを合祀してあります。
五幸稲荷の祭神
宇賀御魂命(うかのみたま)
古事記では「宇迦之御魂神」、日本書紀では「倉稲魂命」。尊称がことなるだけで、どちらも「うかのみたま」と読む。
宇迦之御魂神を祀る神社は、伏見稲荷大社を筆頭に日本各地に沢山ある。しかし、こちらは、日本唯一と銘打ってある。伏見稲荷大社よりも古くからある稲荷社なので、「伏見稲荷大社の分霊ではない」という意味だろうか。
こちらと同じく、「元四天王寺」を名乗り五幸稲荷を祀る「玉造稲荷神社」も、伏見稲荷の分霊ではないという。
猿田彦命(さるたひこ)
ニニギ尊の天孫降臨の際、道案内をしたとされる国津神。中世には、庚申信仰や道祖神と結びついた。その姿は、は七咫、背長は七尺、目が八咫鏡のように、またホオズキのように照り輝いているという。まるで西洋人のようである。
大己貴命(おおなむち)
国譲り神話で有名な大国主命のこと。出雲大社に祀られているとされているが。。。縁結びの神として人気である。
熊鷹大明神(くまたか)
あまり聞かない神様であるが、阿波の狸神とのこと。狸合戦で討ち死にした父の仇討ちを果たした。農家魚家を守護し、交通安全、厄除けに霊験あらたかと言われる。何故、稲荷社に狸神なのだろうか。
伏見稲荷大社にも、熊鷹社が存在する。伏見稲荷大社からの分霊を否定しているのだが。いかに。
烏丸大明神(からすまる)
鍋宮大明神ともいい、河内鋳物師たちの崇敬をうけていた鋳物の神である。
天神(てんじん)
一般的には、天神と言えば菅原道真公である。しかし、天津神という意味もある。ちなみに、私の大好きなスポット、石上神宮の天神社は、「高御産巣日大神」「神御産巣日大神」造化の二柱を祀っている。
八幡大明神(はちまん)
誉田別命こと応神天皇。武運、勝負の守護神である。
手置帆負命(たおき ほおひ)
天岩戸神話に登場する、建築や工匠の守護神。
天照大神が岩戸にお隠れになられたとき、彦狭知命とともに天御量(あめの みはかり)で計測して木材を切り出し、瑞殿(みずのみあらか)という御殿を造営。お出になられた大神は、そこに入られた。
天太玉命の配下にあった神の一柱。
天太玉命は、玉造部の祖神であり、ここ森之宮は旧玉造村である。その配下の手置帆負命が合祀されたのは、十分に理解できることである。
讃岐忌部氏の祖神。
香川県には忌部氏ゆかりの神社が多く、祭神は祖神である手置帆負命。そのゆかりの神社を調べていると、「宇賀神社」を発見した。祭神は宇賀魂神(うかのみたまのかみ)とも、笠縫神とも。
手置帆負命から、玉造・忌部・宇賀魂神とキーワードがつながっていく。面白い。
彦狭知命(ひこ さしり)
こちらも、天岩戸神話に登場する、建築や工匠の守護神。そして、天太玉命の配下にあったことも同じ。紀伊忌部氏の祖神である。
布留魂命(ふるの みたま)
真目宮(まなめ の みや)で祀られていたとされる、布留魂命。
ストレートに考えると、石上神宮に代表される布留御魂大神。饒速日尊の十種神宝に宿る神霊であるが、同じと考えていいのだろうか。であれば、物部系の神となる。忌部の神と合祀されていることになる。
「ふるのみたまのみこと」で検索すると、「布留多摩命」がヒットする。
岸和田市八木地区に本拠を置いた八木氏の祖神である。そして布留多摩命の父神は「和多罪豊玉彦神」であると「新撰姓氏録」にある。
わだつみ豊玉彦神と言えば、日本書紀の「海神豊玉彦」=「古事記」の綿津見大神。
「まなめのみや」が気になるのである。「まなめのみや」の存在が確認できないのだ。連想するのは、やはり「真名井」(まない)であろう。
十種神宝・豊玉彦・真名井から連想するものとは?
本殿
前述のとおり、用明天皇・穴穂部間人皇后と、聖徳太子が祀られている。
亀の井
このあたりに温泉が湧き出していて、長寿の水ということで、聖徳太子が亀井水と名付けたらしい。
今はもう温泉は湧いていないのだろうか。もし湧いているなら、スーパー銭湯「長寿の太子湯 亀の井」なんかを作れば流行るんじゃないかと、つい考えてしまうのである。
ちなみに、現在の四天王寺にも亀井の水がある。
最後に
はっきり申し上げて、パワースポットという感はない。しかし、いろんな疑問を投げかけてくれる面白い神社である。歴史好きにとっては、たまらん神社なのではなかろうか。
元四天王寺の謎、五幸稲荷の謎、真目宮の謎。もしかしたら四天王寺七宮とも関係があるのかも。。
とにもかくにも、鵲森宮の五幸稲荷神社、玉造稲荷神社、河堀稲生神社。この3社の比較であろう。何かが見えてくるのではなかろうかと、期待させられるではないか。
ありがとうございます。
鵲森宮 概要
- 所在地 大阪府大阪市中央区森ノ宮中央1丁目14−2
- 電話番号 06-6941-9294
- 祭神 用明天皇、穴穂部間人皇后、 聖徳太子
- 創建年 593年
- 社格 式内小社、府社
- 公式HP
鵲森宮 アクセス
MAP
最寄り駅
- JR大阪環状線・地下鉄鶴見緑地線「森の宮」徒歩1分
駐車場
- なし
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- 所在地 大阪市中央区森之宮中央1丁目14-4
- 電話番号 06-6941-9294
- 最寄り駅 JR大阪環状線、大阪市営地下鉄長堀線 森之宮駅
- 主祭神 用明天皇、穴穂部間人皇后、聖徳太子
- 創建年 589年
- 社格 式内 社府社
- ご利益
- 公式HP http://www.morinomiya.net/
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