豊國神社|大阪|日本一の出世の神様「豊臣秀吉公」を祀る神社

2016年10月24日

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大阪市中央区。京都市東山の豊国神社の大阪別社として創建された、豊臣秀吉を祀る神社である。大阪城内に鎮座する。読み方は「とよくに」ではなく「ほうこく」である。

豊国神社が鎮座する大阪城のあるあたりは、上町断層にそって流れ込む龍脈パワーが溜まる場所とされ、古代よりの聖なる場所とされてきた。

日本列島の守護神生國魂神社いくたまじんじゃ坐摩神社いかすりじんじゃが創祇された場所であり、坐摩神社の創祇元四天王寺が建立されたともいわれる場所であり、難波宮が造営された場所でもあり、石山本願寺が建立された場所でもある。

信長がこの場所を切望したのも、秀吉がここに城を築いたのも、頷ける。

しかしである。国家運営上の要所であったがために、数々の戦が繰り広げられ幾多の人々の命が失われた、いわば忌むべき場所、だともいえる。そういう意味では、パワースポットでもあるが、死んでいった人々の「念」が残った場所でもあることを念頭に置いて訪れて頂きたいのである。

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豊國神社について

豊國神社 概要

  • 所在地   大阪府大阪市中央区大阪城2−1
  • 電話番号  06-6941-0229
  • 主祭神  豊臣秀吉公; 豊臣秀頼公; 豊臣秀長卿
  • 創建年   1879年(明治12年)
  • 社格   府社
  • 公式HP   http://www.osaka-hokokujinja.org/

豊國神社 アクセス

MAP

最寄り駅

  • JR大阪環状線・地下鉄長堀緑地線「森ノ宮駅」徒歩15分
  • 地下鉄谷町線「谷町4丁目駅」徒歩20分

私は今回、森ノ宮駅から歩いたが、谷町4丁目からの方が、大阪歴史博物館、大手門、多門櫓、千貫櫓などを見学しながら歩くことができるので、近く感じるのではないかと思う。

駐車場

  • あり(有料)

ありとは言っても、大阪城公園の駐車場である。神社に横付けできるわけではない。

 

豊國神社の創建

明治元年、大阪裁判所に対して明治天皇から、京都の豊国神社の大阪別社として豊國神社の造営の勅命が下され、明治12年、中之島(現:中央公会堂)に神社を造営。これが創建である。

大正元年には、現:中央公会堂あたりから、現:大阪市役所あたりに遷宮。

大正10年、京都の豊国神社から独立。昭和36年、大阪城二の丸に遷宮され、現在に至る。

豊國神社の祭神

豊國神社の祭神は、豊臣秀吉公、嫡男の秀頼公、そして秀吉公の弟である大納言秀長公である。

秀長公あっての秀吉公。秀長公をお祀りしているとは、嬉しい限りである。

豊國神社のご利益

もちろん「出世開運」である。

また、名参謀「秀長公」の人徳と切り盛り上手にもあやかって「家内安全」のご利益もいただきたいところだ。

天下の台所と謳われた大阪の礎を築いた秀吉公と、さらには2社ある境内社はいずれも稲荷社。宇迦御魂神うかのみたまのかみにあやかって、「商売繁盛」も間違いないところと考える。

 

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豊國神社 参拝記録

JR環状線の森ノ宮駅を降りると、交差点の向こう側に大阪城公園の入り口がある。すぐ近くには、元四天王寺の鎮守ともいわれる鵲森宮かささぎもりのみや(通称:森の宮)もある。

鵲森宮|元四天王寺の鎮守「森の宮」は「守屋の宮」?

豊國神社までの道程

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ここからまっすぐにメイン通りが伸びる。遠くに大阪城天守閣が見える。また、白い水しぶきが上がっているのが確認できるだろうか。

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この通りの突き当りに、大噴水がある。

大噴水

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ここは、風の通り道であろうか気持ちのいい場所である。

ここから玉造口方向へ向かおう。

市民の森

周囲の森の緑が優しい気持ちにさせてくれる。野鳥のさえずりが心を穏やかにする。都会のど真ん中であることを忘れさせてくれるのだ。

特にこのあたり。

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このあたりの空気は他とは少し違うように思う。優しく穏やかに加えて、まとわりつくような濃密感がある。

「このあたり」とは、下の画像の風景が見える場所の右側の森である。 って言われても、わからんよね。

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さて、玉造口から二の丸に入ろう。

ちなみに、この濠でカワウソ?のような生物を目撃したことがあることを、念のために報告しておこう。

生駒山

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石垣から東を見ると生駒山が。生駒の山はいつ見ても素晴らしい。心が落ち着くのである。

3年ほど前に森ノ宮の成人病センターに入院していたのだが、その病室からも生駒が見ていた。朝焼けの生駒山を思い出し、少しく涙する私であった。

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石垣から南を見る。枝葉・石垣・お堀のコントラストが美しい。

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二の丸から本丸方向を見上げると、旧陸軍指令部の遺構がある。

そして、本丸への入り口のちょうど正面あたりに、今回の目的地「豊國神社」が鎮座する。

豊國神社

大鳥居

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鳥居の前に、秀吉公の像が凛々しい姿で立っている。こんなにカッコよかったのかな?と思いながら通り過ぎるのである。

大阪城は外国人観光客で大いに賑わっているのだが、この画像でもわかるように、豊國神社だけは人が極端に少ない。これはありがたい。

とはいえ、大阪は今や、アジア系外国人の一大観光地である。流行りの「インバウンド」。大阪の経済にとっては非常にありがたいのである。どんどんお金を使っていただきたいものだ。

さて、大鳥居の左にも小さな鳥居がある。

小鳥居

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大鳥居から本殿にかけての広場は日当たりがいいのに対して、こちらは木々が茂り、若干木陰になっているようだ。この方が神域感が出てよろしい。

まずは境内社へ参拝と思うのだが手水舎が見当たらない。よって、大鳥居側の手水舎まで戻る。

手水舎

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水口無し、水盤無し、柄杓無し。実に衛生的かつ画期的である。そういえば、かつて大阪城公園は、ホームレスのメッカであった。そういう対策なのだろうか。

画期的ではあるが、情緒が無い。

あらためて境内社へ向かおう。2社並んで鎮座されている。

若永神社

2社並んだ左側が「若永神社」。祭神は、宇迦御魂神うかのみたまのかみである。

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全国の米相場を決めたといわれる米市を立ち上げた豪商「淀屋辰五郎」の鎮守の社であったと伝えられている。

大川町に鎮座していたが、昭和2年、御堂筋の道路拡張の為「豊國神社」境内に遷座した。

「宇迦御魂神」は稲荷大神であり「商売繁盛」のご利益があるわけだが、どえらい豪商「淀屋」の鎮守であるからして、どえらいご利益があるかもしれないと思うのは私だけであろうか。。。

白玉神社

右側に「白玉神社」。祭神は、こちらも「宇迦御魂神」すなわち「稲荷神」である。

もともとは、中之島字山崎の鼻の藩蔵屋敷に祀られてあった「白玉稲荷神社」。野崎喜三郎なる者が淡路町の自宅に移して祀っていたものを、明治12年に境内社として遷座し「白玉神社」と称したというから、創建当初の「大阪別社」の時代から豊國神社と共に歩んできたということになる。

拝殿

拝殿はコンクリート造りである。大阪市内の神社の多くはコンクリート造りである。仕方がない。

二礼二拍手一礼。

もちろん、自らの出世について祈願することはしないのである。ここは謙虚に大阪を日本一の商売の街に発展させてくれた「秀吉公」「秀長公」に感謝申し上げるにとどめるべきであろう。

大阪の景気はもう一つ上向いて来ないが、豊國神社がある限り、必ずや元気を取り戻すのである。そうすれば我々もそれにあやかることができるという寸法だ。

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秀石庭

本殿に向かって右奥に「秀石庭」が人知れず存在する。昭和47年に奉納された庭園である。

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千成瓢箪の形を地割模様として、磐座に見立てた阿波産の緑泥片岩を組み合わせており、海に面した大阪をイメージして一木一草を使わず、もともと「石山」と言われたこの地をも合わせて表現した、神社様式の庭園である。

本当は、庭に正対する「石舞台」から鑑賞したかったのだが、鉄扉の柵が施してあるため、斜め鑑賞とならざるを得なかった。とは言え、趣のあるいい庭だと思う。

最後に

さて、市民の森の中であそこだけ空気が違うと感じた場所について調べてみた。大阪城本丸から見て南東の場所であるのだが、、、

この古地図をご覧いただきたい。上が東である。

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この古地図が正しいとして、石山と表示されている丘に大阪城が築かれたとした場合、その南東の方角にあたるのは「鵲森宮」であろうか。

そして大阪城の南に「生玉社」があり、大阪城の東側に「坐摩宮」がある。その間には「熊野一之王子」や「高津宮」描かれている。

さらに、この石山本願寺合戦の絵図をご覧いただくと(こちらも上が東である)

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石山御坊の裏の小山に大阪城が築かれたとして、その南東の方角にあるのは「生玉社」の境内になろうか。そして大阪城の西側に「坐摩宮」

というわけで市民の森のあたりには、鵲森宮もしくは生國魂神社があったのではないかと思うのである。

オフィシャルには、かつての生國魂神社は、現在の「生國魂神社お旅所」あたりにあったのではないかとされているので、私が他とは違う気を感じた場所は、かつての鵲森宮もしくは元四天王寺の境内の一部だったのかもしれないと思う次第である。

しかしまあ、大阪城築城のために、いくつの社寺が移転させられたのであろうか。。。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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