坐摩神社|摂津一之宮|住居の守護神「坐摩神」は、宮中で祀られる大いなる神である。

2018年2月16日

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坐摩(いかすり)神社 概要

坐摩神社(いかすりじんじゃ)は、大阪市中央区久太郎町という商人の町「船場」のど真ん中に鎮座する神社である。式内大社で、摂津国一之宮を称する古社である。

本来はもっと東の天満橋南詰あたりに鎮座していたのだが、大阪城築城にともない現在地に遷座されたという。

周囲には、高速道路や四ツ橋筋・御堂筋などの幹線道路が走り、大手企業の大阪本社ビルなどが立ち並ぶ、騒々しいエリアであるが、境内はなかなか落ち着いた空間である。

坐摩神社の創建

神功皇后が三韓征伐の帰りに淀川の河口に神社を造営した。これが創建とされている。創建の地は現在地とは異なり、淀川(大川)の八軒屋船着き場あたり、すなわち天満橋と天神橋の中間あたりであったとされる。現在でもそこには、神功皇后が座ったとされる巨石があり「坐摩神社行宮」と称されて守られている。

また、熊野九十九王子の最初「窪津王子」も坐摩神社境内にあったのではないかとされているのだ。どうやらこの「坐摩神社行宮」はとんでもない聖地なのかもしれない。

ところが、この坐摩神社や窪津王子も、生國魂神社と同じく、大阪城築城の際に遷座させられるのである。ちなみに窪津王子は四天王寺七宮の一つで、一願成就の「堀越神社」境内に遷座した。

坐摩神社の祭神

祭神は以下の5柱の神で、総称して「坐摩神」という

生井神 (いくゐのかみ)

井水の神で、中でも、いきいきとした生命力のある井戸水のを司る神である。

福井神 (さくゐのかみ)

井水の神で、中でも幸福と繁栄の井戸水を司る神とされている。

綱長井神 (つながゐのかみ)

こちらの井水の神で、中でも「釣瓶を吊す綱の長く」ともいわれ、深く清らかな長寿の井戸水を司る神である。

波比祇神 (はひきのかみ)

須佐之男命の御子である大歳神の御子とされる。境界線を司る神で、屋敷の神の一柱である。

阿須波神 (はすはのかみ)

こちらも須佐之男命の御子である大歳神の御子とされる。足場・足下・足の神。いわゆる屋敷を建てるための土地や基礎の神である。こちらも、屋敷の神の一柱とされる。また、旅の神とされる場合もある。

天皇の守護神 生國魂神と坐摩神

「坐摩神」の五柱。あまり聞きなれない神名が並んでいるが、生國魂神社の祭神「生島大神」「足島大神」と同じく、宮中で祀られていた由緒正しき神なのである。

生國魂神社の祭神「生島大神」「足島大神」が、天皇の統治国土を司る大神として祀られるのに対して、

こちらの「坐摩神五柱」は宮中においては「坐摩巫祭神五座」と呼ばれ、天皇の住居を司る神として祀られるのである。

坐摩神社のご利益

上記の祭神をご覧いただければ一目瞭然であろう。「住居の守護」「家内安全」「健康」「子宝・安産」「長寿」「旅行安全」のご利益がいただけるのである。

古くは神功皇后が応神天皇のご安産を坐摩大神にご祈願になり、近くは明治天皇がお生まれになるときにも特に宮中よりご祈願があり、秋祭の当日(旧暦)に皇子がご降誕されたことから、安産祈願の崇敬を集めております。 坐摩神社HPより

とのこと。黄色の岩田帯が販売されている。5か月目の戌の日に是非巻いていただきたい。

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坐摩神社 参拝記録

大阪城を後にして、森ノ宮駅から地下鉄中央線に乗り、本町で下車。船場センタービルのエスカレーターを使って地上に出る。

御堂筋との交差点を超え中央大通り西行き車線の歩道を西へ3分ほど歩くと「カレーショップ」がある。その角を左(南)へ曲がると鳥居が見える。

三ツ鳥居

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ちょっと近づき過ぎたため全体が写っていないのだが、三輪そうめんのマークでおなじみの三ツ鳥居である。

手水舎

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こちらの手水舎は、自動で水が流れ出ている仕組みであるが、水量が極めて少ない。背景に見えるガラス張りのビルが大阪神社庁である。

境内北側の摂末社群

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境内の北側には、五つの摂末社がならんでいる。

左側から、

大江神社

祭神は神功皇后、応神天皇・武内宿禰命である。五社の中で一つだけ大きい社殿である。

繊維神社

祭神は、天羽槌雄命(あめのはづちお)、天棚機姫命((あまたなばたつひめ)である。

大國主神社

祭神は、事代主命、大国主命とされる。

天満宮

祭神は、菅原道真公である。

相殿神社

祭神は、春日神・住吉神・大神受美・猿田彦命・大宮比賣命・多賀社・天御中主神・産靈神・直比神・諏訪神・事平社・大歳神と言われている。

造化三神(と思われる)が、他の神々とともに合祀されていようとは、驚きである。

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中はこんな感じである。

拝殿・本殿

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では、本殿に参拝である。

二礼二拍手。天津祝詞。一礼。境内全体の柔和な気を感じるのみである。

禊場

拝殿に向かって右の億に見える白壁の建物が、「禊場」である。

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この中に禊場があるようだ。近くに行き看板を見つけるまでは「土俵?壁のある土俵は珍しいな」などと思っていた。

 

さて、拝殿の左側の奥に進むもう。そこには2つの摂社・末社が並んでいる。

本殿は東向き、摂社・末社は南向きで、いずれも境内中央の広場に向かって鎮座していた。しかし、この2社のみ西向き、すなわち、ほかの社殿と歩調を合わせることなく、そっぽを向いているように感じるのである。違和感である。

防火陶器神社

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「防火陶器(ひぶせとうき)神社」の祭神は、「大陶祇神」(おおすえつみのかみ)と「迦具突智神」(かぐつちのかみ)である。

「大陶祇神」

別名「陶津耳命」(すえつみみのみこと)とも言われ、大物主神の妻となった活玉依比売命の父神である。

「迦具突智神」

「迦具突智神」は、生まれる際に伊弉冉尊に大火傷を負わせた「火の神」である。伊弉冉尊は、この火傷によって亡くなり黄泉の国へ隠れるのである。そこから伊弉諾尊の「禊祓」へと神話はつながっていくわけである。

何故、ここに陶器の神社?

そもそもは、陶磁器商人たちの手により靱南通り祀られていた「火除け地蔵」が起源であるという。明治に入り廃仏棄釈運動が盛んになった折に、地蔵尊の祀りは廃止せざるを得なくなり、かわりに「火の神」を祀り「防火陶器神社」を創建したらしい。

その後、市電の敷設による移転を余儀なくされたため、坐摩神社境内に遷座してきたのである。

「陶器問屋」が多く立ち並んでいる通称「せともの町」の方向を向いて鎮座している。これが、西向に社殿がもうけられた由縁である。

このように、坐摩神社の境内に鎮座するとは言え、坐摩神社の由来には一切関係ない摂社であるからして、これはこれで一つの独立した神社と考えてもいいのだろう。違和感は解消した。

稲荷神社

陶器神社の左となりに、同じく西向に鎮座する「稲荷神社」

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祭神は、「宇迦之御魂神」である。言わずと知れた食物を司る神であり、現在では、転じて「商売繁盛」の神とされている。

こちらの稲荷神社の由緒がもう一つわからないのだが、陶器神社と同じく西向であること、西門の鳥居前に鎮座されており、近隣の商売人たちが、ひょこっと横を向いて手を合わせてから通りすぎることができる位置にあることなどから、陶器神社と同じく、船場か靭あたりのどこかから遷座されたものではないかと思うのだが。。。

癒しのパワースポット発見

一通り参拝させてもらって、陶器神社と本殿の間を歩いていた時のこと。

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何気なく、藤棚がある小さな庭の中に入っていったのだが、

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ここが、格別に気持ちがいいのである。気持ちがいい場所は、イヤシロチ・パワースポットなのである。ちょうど本殿の横になるのだが。

癒されること間違いなしである。

近くのサラリーマンさんOLさん! 本殿前の広場で休憩ってのももいいですが、こちらもそれ以上のパワーがあるので、癒されに来てみてくださいね!

ありがとうございました!

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