竈山神社|和歌山|神武天皇の長兄「五瀬命」の終焉の地。
竈山神社は、和歌山市和田にある神社。
紀国一之宮の日前宮から真南に3km行くと、こんもりとした森が見える。そこが、神武東征における日下の戦いで負った傷がもとで亡くなった、神武天皇のお兄さん「彦五瀬命」の墓がある。
その南横に、墓所を守るようにして竈山神社が鎮座している。
式内社にして、官幣大社。現在は別表神社に指定されるという、由緒ある霊験あらたかな神社だ。
竈山神社について
竈山神社 概要
- 所在地 〒641-0004 和歌山県和歌山市和田438
- 電話番号 073-471-1457
- 主祭神 彦五瀬命
- 創建年 不詳
- 社格 式内社・官幣大社・別表神社
- 公式HP
竈山神社 アクセス
MAP
最寄り駅
- わかやま電鉄 貴志川線 「竈山駅」 10分
駐車場
- あり(無料)
竈山神社の祭神
主祭神は彦五瀬命。左脇殿に主祭神の兄弟を祀り、右脇殿には神武東征に従軍した神々を祀る。
彦五瀬命
竈山神社の祭神
主祭神は彦五瀬命。左脇殿に主祭神の兄弟を祀り、右脇殿には神武東征に従軍した神々を祀る。
彦五瀬命
鸕鶿草葺不合尊と、海神の娘の玉依姫との間に生まれた4兄弟の長男である。
古事記によると、
神武は東征の前に、「この国を治めるに相応しい場所はどこか」について五瀬命で話し合ったと描く。
また、日下の戦に敗れたとき、「我々は日の神の御子だから、日に向かって(東に向かって)戦うのは良くない。廻り込んで日を背にして(西に向かって)戦おう」と神武に助言したのも五瀬命である。
そして、その時の矢傷がもとで、この竈山の地でなくなった。だからここに墓所があるとしている。
主祭神の兄弟
左脇殿に祀られる兄弟たちを列記する。
- 稲飯命(いないのみこと)
- 御毛入沼命(みけいりぬのみこと)
- 神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)
神日本磐余彦命が神武天皇である。
従軍戦士たち
右脇殿に祀られる東征従軍戦士たちを列記する。
高倉下命(たかくらじのみこと)
- 熊野で気を失っていた神武を助けた。
可美眞手命(うましまでのみこと)
- 饒速日尊の御子で物部氏の祖。最終盤に、十種神宝を献上して神武天皇に仕えた。十種神宝を使った祭祀を取り仕切る一方で、ヤマト王権の国軍的軍事力を持つ氏族に発展する。
天日方竒日方命(あめのひがたくしびがたのみこと)
- 鴨王の別名で、大物主神の御子とも八重事代主神の御子とも。大神氏祖。
天種子命(あめのたねこのみこと)
- 中臣氏の祖で、祖父は瓊瓊杵尊が降臨する際にお供した天児屋根命。
天富命(あめのとみのみこと)
- 忌部氏祖。祖父は瓊瓊杵尊が降臨する際にお供した太玉命。
道臣命(みちのおみのみこと)
- 大伴氏の祖。神武東征の先鋒を務めた。神武即位以降は、親衛隊や近衛兵のような護衛職的軍事氏族として発展。
大久米命(おおくめのみこと)
- 久米氏の祖。神武東征で道臣命とともに大活躍した武神の一人。神武天皇即位後は最側近の位置づけか。
椎根津彦命(しいねつひこのみこと)
- 倭氏の祖。所説あるが、大阪湾北部を支配していた海神族の首長だったとも。途中から神武軍に合流し、兄磯城誅殺での活躍などが評価され、倭宿禰の姓が与えられた。
頭八咫烏命(やたがらすのみこと)
- 賀茂建角身命のことであるとする説が有力。賀茂氏の祖。
竈山神社創建
竈山に五瀬命の墓を作り、同時にその神霊を祀る祠を建てたと紀伊続風土記に記載あるため、創祇は神武天皇即位前ということになろう。
延喜式神名帳に記載あることから、平安時代までには存在していたことは確かだ。
竈山神社のご利益
竈山神社では、赤ちゃんの命名を行っている。
それは、古来から神様から名を頂くことで一生涯の守護を得るという風習があったからだ。お七夜(出生後7日目)の日に命名の儀式が行われていたという。
こちらでは、子供の姓名判断もしてもらえるとのこと。
そういえば、ここから真南へ6kmの地点にある海南市の藤白神社では、境内社の楠神社から名前を頂く風習があったと聞いた。
和歌山出身の生物学者で民俗学者の「南方熊楠」も、「熊」を藤白神社から、「楠」を楠神社から頂いたという。
藤白神社は、熊野三山の入り口であり、遥拝所でもあったから「熊」なのだろう。
竈山神社 参拝記録
日前宮の駐車場出口から真っすぐに南へ車を走らせると、大きな鳥居が出現する。川に架かる橋の欄干も含めて、いかにも参道という趣のある佇まいだ。
そんな道路を行くと、数分でこんもりとした森に出くわす。そこが竈山墓である。
駐車場は、南側面にある。ドン突きを右折するとすぐに駐車場入り口がある。
大鳥居
白く美しい鳥居。
▼日前宮の鳥居も白だった。
内参道
真っすぐに伸びる内参道。
左手には、ちょっとした遊具と、少年野球サイズの球場がある。この球場、小さいながらもちゃんとマウンドが設えてあった。
さすがは野球王国だ。そうそう、ここから南へ少し進むと「智弁学園和歌山」がある。
神門
ここから、本殿域へと入る。少しく緊張感が走る。
拝殿
質素で控えめでありながらも優美な曲線を描く屋根が素晴らしい。
幣殿は見えるが、本殿の扉は見えない。本殿は、かなり高い所にあるようだ。
二拝二拍手。天津祝詞奏上。二拝二拍手一拝。
柏手の音が拝殿内で共鳴して、素晴らしく美しい音となる。
そして、ムッと流れくる古い木材の香りは、かつて和歌山の下津にあった祖母の家を思い出させてくれた。
感謝である。
本殿
やはり、かなり高い場所にある本殿。檜皮葺きだろうか。本殿だけ屋根の色が違う。
この裏に五瀬命の墓があるのだろう。
境内社3社
拝殿の隣に境内社が3社。左から、合祀社、結社、子安社。祭神は不明である。
青葉神社
本殿域の外、すなわち玉垣外に鎮座するのが青葉神社。こちらも祭神についての説明はない。
自動車のお祓いは、この社の前で行われるようだ。
竈山墓
一旦、境内から外に出て、境内の東側面を北へ歩く。境内の北の端に、御陵の入り口がある。
この橋で周濠を越えると、、、
残念ながら、ここからは立ち入り禁止である。
ズームで撮影したのがこちら。
これが限界。
この古墳は円墳。高さ9メートルの丘の上に、高さ1メートルの円墳が築かれているらしい。
被葬者は明らかになっていないが、宮内庁が五瀬命の御陵に治定している。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません