梅宮大社|京都|子宝と安産の神社。

2019年8月9日

梅宮大社は、京都市右京区に鎮座する神社。延喜式神名帳に記載ある式内社で、中でも名神大社に列し、国家的祭祀を行う二十二社にも指定された由緒ある古社である。

特に子宝に霊験あらたかという。

また、梅宮大社の魅力は、季節折々の花。その名にもある「梅」だけでなく、桜、花菖蒲、かきつばた、つつじ、紫陽花などが境内を彩り、秋には紅葉も鮮やかとか。

嵐山観光のついでに、少し足を伸ばしてみてはいかがだろうか。

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梅宮大社について

梅宮大社の本殿の祭神

梅宮大社の祭神は、、、

本殿には、梅宮大社独自の神々、すなわち酒解神、大若子神、小若子神、酒解子神4柱が祀られている。いずれもその正体ははっきりしないのだが、一般的にこういう独自の神には、記紀に登場する神々をあてはめる試みが行われるのである。

酒解神

大山祇神(おおやまづみのかみ)があてられ、酒造の守護神とされている。

大若子神

瓊々杵尊(ににぎのみこと)があてられる。

小若子神

彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)があてられる。

酒解子神

木花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)があてられる。

梅宮大社の相殿の祭神

相殿に嵯峨天皇、橘嘉智子、仁明天皇 、橘清友公の4柱を祀る。

嵯峨天皇

第52代天皇。多くの皇子・皇女がおり財政を圧迫していたので、姓を与えて臣籍降下させた。これは嵯峨源氏の始まりであり、武家の世につながる大きな出来事だったといえよう。

橘嘉智子(たちばなのかちこ)

嵯峨天皇皇后。梅宮大社に祈願して仁明天皇を授かったという。そのとき皇后が跨いだ石が本殿横に今もある。檀林寺を建立したので、檀林皇后と称される。

仏教に深く帰依した皇后で、自分の体を餌として与えて鳥や獣の飢を救うため、または、「諸行無常」の真理を自らの身をもって示して、人々の心に「菩提心」を呼び起こすために、死に行く際に、自らの遺体を埋葬せず路傍に放置すように遺言。

帷子辻において遺体が腐り、やがて白骨化していく様子を人々に示したといわれている人である。

仁明天皇

第54代天皇で、嵯峨天皇と皇后橘嘉智子との間に生まれた第二皇子。

橘清友公

橘嘉智子の父。奈良時代後期の貴族・歌人である。橘氏は、飛鳥時代に、県犬養三千代が元明天皇から「橘宿禰(たちばなのすくね)」を賜ったことから始まる。源氏、平氏、藤原氏と合わせて「源平藤橘」と称された名家である。

梅宮大社の創建

梅宮大社の創建は定かではないが、社伝によると、

まず奈良時代に、県犬養三千代(橘三千代)によって、山城国相楽郡井手庄に祀られたのが創祀であるとし、その子の橘諸兄からは橘氏の氏神として祀られるようになったとう。

さらに天平宝字年間に、三千代の子の光明皇后と牟漏女王(藤原房前の夫人)によって奈良に移されたのち、木津川上流の桛山を経て、平安時代始めに檀林皇后(橘嘉智子)によって現在地に遷祀されたという。

梅宮大社のご利益

梅宮大社のご利益は、酒造守護、子宝、安産とされる。

それは、

木花咲耶姫命(酒解子神)は瓊々杵尊(大若子神)と結婚すると一夜にして懐妊したが、これを瓊々杵尊(大若子神)が疑った。この疑いを晴らすため、木花咲耶姫命(酒解子神)は砂の上に産屋をつくり、

「他の神の子なら無事に生まれない。瓊々杵尊(大若子神)の子なら無事に生まれる。」

と誓約をして、産屋に入り、その産屋に自ら火を放った。しかして、その炎の中で何の支障もなく彦火々出見尊(小若小神)を安産したという。

この伝承により、橘嘉智子皇后が懐妊したとき、こちらの社殿の砂を床の下に敷いて仁明天皇を出産。安産だったとされている。

大山祗神(酒解神)が木花咲耶姫命(酒解子神)が彦火火出見尊(小若子神)を出産したのを喜び、狭名田の茂穂で「天甜酒」を醸造して供えたという伝承もある。これが酒造守護の謂われである。

相殿に祀られている嵯峨天皇は日本三筆の一人であり、橘氏は日本最初の学校を創設した人である。というようなことから、「学業成就祈願」の神社としても信仰を集める。

さらには、仁明天皇が横笛の名手で、日本で最初に雅楽を作曲した人として知られていることから「音楽芸能の神」として、その筋の人々の崇敬を受けている。

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梅宮大社 参拝記録

梅宮大社は、嵐山の松尾大社の桂川を挟んだ向かい側。松尾大社前の橋を渡り真っすぐ進むと「梅宮大社前」という交差点がある。そこから左を覗くと石造りの鳥居が見える。

駐車場

車の場合は、その道は狭いので次の次の信号を左へ入ろう。道なりに進めば赤い鳥居が見えるだろう。その足元が参拝者用駐車場だ。

そこそこ広い駐車場なので、正月などを除けば駐車可能なはずだ。

ちなみに、トイレは無い。事前に済ませておられるのがよかろうと思う。

 

社頭

楼門は、文政13年(1830年)に再建されたもので、左右に豊磐間戸命・奇磐間戸命の2柱の「門の神」が祀られているため「随神門」と呼ぶ。

二十二社に列した大社にふさわしい、大きくて風格のある楼門だ。ご覧の通り、酒造の神様だけあって飾樽が並べられている。

社標には、日本第一 酒造の神、安産守護神と刻まれている。自ら日本第一を名乗るあたり、なかなかもって凛々しいではないか。

拝殿

拝殿。文政11年(1828年)に再建されたもの。こちらも大きな舞殿型の拝殿で、朝廷からの信仰の大きさを物語っている。

本殿

こちらが本殿を取り囲む瑞垣の中門であり「拝所」。

我々一般の参拝者は、ここから参拝させていただくのだ。

二拝二拍手一拝。

正面に本殿の扉が見える。ご祈祷は、ここで行われるのだろう。

風が吹いてきた。

若宮社

瑞垣内の東側に鎮座するのが「若宮社」。祭神は「橘諸兄」(たちばなのもろえ)。

橘諸兄公

もとの名は、奈良時代初期の皇族「葛城王」。臣籍降下なさって、母方の「橘氏」を継いだ。橘氏の祖である。

生前に正一位を賜った最初の人で、当時の最高位の左大臣を務めた。

このようなことから、出世のご利益を頂けるという。

またげ石

白砂に、平たく長い石の上に、小さい卵型の石が二つ。これが「またげ石」

社伝によれば檀林皇后は皇子のないかったのを悲しみ、当社に参拝して「またげ石」を跨いだところ、すぐに仁明天皇を懐妊されたと伝えられている。

これにちなんで、今でも、不妊の女性が「またげ石」をまたぐと子宝に恵まれると言われています。

この「またげ石」には、夫婦揃って子授け祈願をされると、案内して頂けるとのこと。

祓所

おそらく、ご祈祷前にここでお祓いをしてから、瑞垣内に入るのであろう。

護王社

こちらも瑞垣内の摂社「護王社」。御祭神は橘氏公(うじきみ)公。

橘氏公公

橘氏公は、檀林皇后の兄。嵯峨天皇の御世に、右大臣として仕え。日本初の学校「橘学館院」を創立して、学問の興隆に尽力した。学問の守護神である。

よって、こちらの祭神からも「学業向上」のご利益を頂ける。

 

本殿瑞垣内の一番西に、合祀殿がある。2007年に境外末社がこちらに合祀されたもの。

社名と祭神は以下の通り。

  • 幸神社・・・猿田彦命、天宇受賣命
  • 天皇社・・・須佐之男命
  • 愛宕社・・・伊弉冉尊
  • 薬師社・・・大己貴命、少彦名命
  • 住吉社・・・表筒男命、底筒男命
  • 厳島社・・・市杵嶋姫命
  • 春日社・・・天児屋根命
  • 天満宮・・・菅原道実公(おそらくは道真公)

梅宮大社 概要

  • 所在地  〒615-0921 京都府京都市右京区梅津フケノ川町30
  • 電話番号  075-461-0005
  • 主祭神  酒解神・酒解子神・大若子神・小若子神
  • 創建年    平安時代前期(伝)
  • 社格   名神大4社・二十二社(下八社)・官幣中社
  • 公式HP   http://www.umenomiya.or.jp/

北野天満宮 アクセス

MAP

最寄り駅

  • 阪急嵐山線「松尾大社」徒歩15分

駐車場

  • あり(無料)