鐸比古鐸比賣神社|大阪|柏原市に鎮座する製鉄の神。
鐸比古鐸比賣神社(ぬでひこぬでひめ)は、大阪府柏原市大県にある神社。生駒山地の南部に聳える「高尾山」の中腹に西向きに鎮座する。
延喜式神名帳に記載ある、いわゆる式内社。神名帳には鐸比古神社と鐸比賣神社として別々に記載されているが、現在は1社にまとめられている。
山腹にあるだけあって、一段と冷たい空気が流れる。綺麗に清掃された境内、程よく整えられた木々の具合もよく、非常に気持ちいい空間である。
是非、参拝頂きたいと思う。
鐸比古鐸比賣神社について
鐸比古鐸比賣神社の概要
- 所在地 〒582-0018 大阪府柏原市大県4丁目6−1
- 電話番号 072-972-0016
- 主祭神 鐸比古命・鐸比賣命
- 創建年 成務天皇21年(伝)
- 社格 式内社・郷社
- 公式HP なし
鐸比古鐸比賣神社 アクセス
MAP
最寄り駅
- 近鉄大阪線「堅下」徒歩10分
駐車場
- なし
鐸比古鐸比賣神社の祭神
鐸比古鐸比賣神社の祭神は、社名の通り鐸比古命と鐸比賣命の2柱である。
いずれも記紀には登場しない神だ。
神社縁起には、、、
「鐸比古命は垂仁天皇の御子にして、記紀には沼帯別命あるいは鐸石別命とある。」
と紹介されている。調べると、、、
古事記に、
垂仁天皇が氷羽州比売命(ひばすひめ)の妹の沼羽田之入毘売命(ぬばたのいりびめ)を娶って産んだ子供が、沼帯別命(ぬたらしわけ)・伊賀帯日子命(いがたらしひこ)の2柱です。
日本書紀に、
垂仁天皇の妃の渟葉田瓊入媛(ぬはたいりひめ)は鐸石別命(ぬてしわけ)と膽香足姫命(いかたらしひめ)を生みました。
とあった。
和気清麻呂公の長男が創立した和気氏の私学「弘文院」の伝承によると、
「和気氏の先祖である鐸石別命(ぬてしわけ)は、成務天皇19年に亡くなり、高尾山に葬られた。同21年に祠が造営され、これを鐸彦神社という。」
とある。
これが故の、当社縁起であろう。
鐸比古鐸比賣神社の創建
創祀
先ほどの弘文院に伝わる通り、創建は成務天皇21年としている。西暦に直すと151年らしい。とんでもない古社である。
もっとも、その当時は高尾山の山頂にあった。山頂には大きな磐座があり、それが信仰の対象となっていたという。
一方、お妃であると思われる鐸比賣命は、高尾山の南の姫山に祀られていたらしい。
遷座
現在地に遷座されたのは、奈良時代説と江戸時代説がある。
神社境内に信長の陣が設営されたという文献があることから、その室町時代には既に山腹に遷座していたと思われる。
となれば、江戸時代説よりは奈良時代説の方が有力だ。
鐸比古比賣神社 参拝記録
生駒山地沿いに南北に走る東高野街道:旧の170号線を八尾から柏原方面へ南下する。
平野の交差点を過ぎてしばらく進むと、道沿いの左側に鳥居が見える。
駐車場
ここを入っていっても、残念ながら神社付近に駐車スペースは無い。
鳥居前を通りすぎて大県の交差点までいくと、コインパーキングがある。そこに駐車しよう。そこから神社までは徒歩で5分程度だ。
電車だと、近鉄大阪線の「堅下」から徒歩10分。
いずれにしても、アクセスは悪くはない。
先ほどの鳥居をくぐって、真っすぐの参道をテクテク進むと、、、
鐸比古鐸比賣神社の社頭
社頭に到着だ。鳥居から真っすぐ。迷うことは無い。
ここまでも、そこそこの坂道だったが、ここからがラストスパートだ。頑張って昇ろう。
手摺がある石段にさしかかると、一気に温度が下がる。体感して頂きたい。
境内の様子
12月初め。ちょうど紅葉が綺麗な時期だった。横に広い境内。
ここに信長公が、、、と思うと、なかなか感慨深いものがある。
さて、鳥居は珍しく両部鳥居だ。笠木についた屋根?がクネっとしていて、可愛らしい鳥居である。
拝殿から本殿を望む
拝殿前に立つと、さらに体感温度が下がる。清々しい。さらに、幣殿奥の本殿付近に日が差しているため、そこだけが明るい。清々しく、神々しい。
二拝二拍手一拝。
一陣の風が吹いた。
本殿域の境内社
本殿の左右に、春日神社と猿田彦神社を祀っている。
これは、手前の小さな社が猿田彦神社。その奥に本殿が見える。さらにその向こう側に同じように春日神社が鎮座しているのだが見えない。
拝殿から下界を見る
画像ではよくわからないが、遠く大阪市内まで一望で出来る。晴れた日の午後なら大阪湾が白く輝く様を見ることができる。
真西ではなく少し北に振れているので、ちょうど住吉大社の方角を見ることになる。
稲荷社
一段下に稲荷社が鎮座する。
昇龍大神、高倉稲荷大神、黒嶽稲荷大神が祀られている。
最後に
近くで大県遺跡が発見された。そこでは製鉄工場の跡が発掘されている。物部系氏族が製鉄を行っていたらしい。
また、高尾山を挟んで反対側の堅上には金山彦神社、金山媛神社があり、タタラ製鉄が行われていたとも。
このように、堅上・堅下地域は製鉄と縁が深い。
であるからして、「鐸比古命」が垂仁天皇の御子「鐸石別命」かどうかは置いておくとして、製鉄に係る部族が、その守護神として「鐸比古命」と命名した神を祀っていたのは、極々自然なことであろうと思う。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
ディスカッション
コメント一覧
法善寺一丁目にある鐸比古鐸比賣神社についてもしっかりと解説していただきたいです。どういった経緯で上から現在の地に下りてきて、法善寺と神社の関係性等が知りたいです。