廣田神社|大阪|神使のアカエイは痔平癒の神様?

2019年12月1日

廣田神社は、大阪市浪速区にある神社。
大阪で最も有名な「えべっさん」である今宮戎神社のすぐ北に鎮座する小さな神社だ。

一方、おとなりの兵庫県西宮市には、全国のえびす神社の総本宮とされる「西宮神社」があり、その北方にも廣田神社がある。

まるで、どちらかがどちらかを真似たようにも思える。

さて、大阪の廣田神社とは、どんな神社だろう。

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廣田神社について

廣田神社 概要

  • 所在地  〒556-0004 大阪府大阪市浪速区日本橋西2丁目4−14
  • 電話番号  06-6641-1771
  • 主祭神  向津姫命(天照大御神荒魂)
  • 創建年    不明
  • 社格   村社
  • 公式HP   なし

廣田神社 アクセス

MAP

最寄り駅

  • 南海本線「今宮戎」徒歩3分

駐車場

  • なし

廣田神社の創建

創建年代は定かではないが、古くから天王寺の鎮守とされていたことからも、長い歴史を持つ神社と推察する。

神功皇后が三韓征伐から帰還し筑紫国で応神天皇を生み、筑紫国から大和国に戻る途中、応神天皇の異父兄弟が謀叛を起こして明石海峡で待ち伏せしているとの噂を聞きつけた。

よって、神功皇后一行は大きく迂回して南海から紀伊水道を経て難波津へ向かったが、大阪湾で船が思うように進まなくなった。

やっとのことで務古水門(むこみなと)に到着して占ったところ、天照大神の神託を得た。

「我が荒魂を、皇居近くではなく廣田国に祀るべし」

そこで、山背根子の娘「葉山媛」に祀らせた。

当神社は、この伝承をもって創建としている。

2つの廣田神社

しかし、同じ伝承をもって創建としている神社がある。西宮にある廣田神社だ。

さて、どちらが本家本元か、、、

社格の比較

明治から戦前までの旧社格を比較すると、大阪の廣田神社が村社であるのに対して、西宮の廣田神社は官幣大社。

さらに言うと、西宮の廣田神社は延喜式における名神大社であり、平安末期においては皇室の守護神・護国神として二十二社に選定されるほどの大社であった。

このように、その差は歴然である。

しかし、社格が上だから本家は西宮に決まり!というわけではない。

伝承からの推察

神功皇后は、前述した占いで、廣田神社だけでなく「生田」「生田」「本住吉」の各神社の創祀にも関わっている。

天照大神が「我が荒魂を皇后に近づけてはならない。広田の国に祀りなさい。」と告げた。そこで山背の根子の娘、葉山姫に祀らせた。<現在の廣田神社>

また稚日女尊が「吾は活田の長峡(いくたのながお)の国にいよう。」と告げた。そこで海上五十狭茅(うながみのいさち)に祀らせた。<現在の生田神社>

また事代主命が「私を長田の国に祀りなさい。」と告げた。そこで葉山姫の妹の長姫に祀らせました。<現在の長田神社>

また、表筒男・中筒男・底筒男の三柱の神が、「吾が和魂(にぎみたま)を大津渟中倉之長峡(おおつのぬなくらのながお)に祀りなさい。そこで往来する船を見守ろう。」と告げた。<一般的には住吉大社だが、私は本住吉神社だと思う

これらの「長田」「生田」「本住吉」「廣田」神社はすべて神戸から西宮にかけて、等間隔でキレイに並んでいる。廣田神社も、この場所のほうがしっくりくると思える。

▼詳しくは、こちらの記事を参照いただきたい。

廣田神社の祭神

廣田神社の祭神は、

撞賢木 厳之御魂 天疎 向津姫命。
つきさかき いつのみたま あまさかる むかつひめのみこと

短く表現すると、こうなる。

天照大神荒魂
あまてらすおおみかみのあらみたま

伊勢の神宮内宮の第一別宮「荒祭宮」の祭神と同じ。

そして、当然ながら西宮の廣田神社とも同じだ。

西宮の廣田神社の戦前の由緒縁起には、「祭神は瀬織津姫命」と明記されていたという。

ホツマツタヱにおいても、ムカツヒメホノコはセオリツヒメであり、アマテラスの内宮(正妃)となったとの記述がある。

向津姫命=瀬織津姫=アマテラスの后

となると、アマテラスは女神ではなく男神だったということになろう。

廣田神社の御利益

ここ廣田神社の神の使いは「赤鱏」(アカエイ)。あの平べったいエイである。大阪では「アカエ」と呼ばれていたらしい。

境内に入るとすぐに掲示板がある。

抜粋すると、、、

このアカエ、痔疾をはじめ難病悪疫の守り神として広く信仰されており、美味しく、漢方薬としても珍重されていたアカエを断って、つまり断食して祈願すれば、難病も治癒するとされた。

また、アカエの尾には鋸状の歯が逆向きに並んだトゲがあり、これに刺されると傷口が荒れ、その毒によって物凄い痛みを覚える。なので漁師はアカエを捕らえると同時に尾の付け根から切り落とす。

この「尾を断ち切る」と「断食の断つ」をかけて、トゲに刺された痛みのような激痛を伴う疾患を癒すという信仰が生まれた。特に「痔」。

この地域は漁師町で、舟底の冷えなどで漁師に多かったといわれる「痔」に霊験あらたかとされたようだ。

このように、西宮の廣田神社が国家鎮護の大社として発展しているの対して、大阪の廣田神社は庶民の生活に根ざした神社であったように思われる。

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廣田神社 参拝記録

大阪で最も賑わう十日戎まつりで有名な「今宮戎神社」の裏門から北へ100m。歩くと1分で到着する至近距離。小さな境内に廣田神社が鎮座している。

社頭

アカエの話

拝殿

拝殿は絵馬殿と社務所も兼ねているようだ。

二拝二拍手一拝。

拝殿内には、大きなエイの絵馬が奉納されている。

祖霊社と絵馬掛け

アカエ絵馬

五七桐紋とアカエイが描かれた絵馬。

本殿

本殿横の朱色の鳥居と灯篭を通っていくと、、、

赤土稲荷神社

廣田神社の本殿裏に、境内社の赤土稲荷神社がある。

正面の鳥居は、境内の外。なので、こちらから見ると独立した神社のようにも見える。

拝殿

なかなか立派な拝殿である。

拝殿の中を覗くと、3つの稲荷社が合祀されていた。

楠稲荷大神、赤土稲荷大神、米倉稲荷大神が祀られているようだ。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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