柴籬神社|大阪|反正天皇の宮殿跡に鎮座する神社

柴籬神社は大阪府松原市上田にある神社で、18代反正天皇の都「丹比柴籬宮」跡に鎮座する古社。

河内国唯一の都跡であること、正月松の内に松原市内の6社にお参りして開運を祈願する「開運松原六社参り」の構成社であること、さらには、全国でも珍しい歯の神様が祀られているということもあり、地元住民だけでなく、歴史愛好家なども参拝に訪れるという、隠れた人気スポットとなっている。

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柴籬神社について

柴籬神社の概要

  • 所在地    大阪府松原市上田7丁目12−22
  • 電話番号   072-331-2138
  • 主祭神    反正天皇
  • 社格     村社
  • 公式HP    https://www.shibagaki.or.jp/

柴籬神社  アクセス

MAP

最寄り駅

  • 近鉄南大阪線「河内松原」徒歩10分

車でのアクセス・駐車場

  • アクセスは容易
  • 駐車場あり(無料)

柴籬神社の祭神

主祭神はもちろん18代反正天皇。相殿に菅原道真公と依羅宿禰を祀る。

18代反正天皇

16代仁徳天皇の第三皇子で、兄の履中天皇から皇位を継承して即位した天皇。兄弟間で皇位継承した初の天皇である。

歯並びが美しかったので、瑞歯別・水歯別命と名付けられた。これが歯の神様として祀られる由縁である。

菅原道真公

平安時代の貴族にして学者でもある政治家。左大臣まで昇進したが政敵による讒言により罪を問われて太宰府に左遷された。これを恨みに思い、死しては雷神と化し、禁裏に多くの厄災を引き起こす怨霊となった。

日本三大怨霊に数えられる天満大自在天神とは菅原道真公のこと。ちなみに、あとの二人は平将門公と崇徳天皇。

全国各地にある天満宮は、道真公の祟りを鎮め、さらにその強力な神威で守護して頂こうという信仰の一つの形である。

その甲斐あってか、今では学問の神・冤罪を晴らす神・和歌の神・武芸上達の神として崇められるようになった。

依羅宿禰

依羅氏は現在の住吉区我孫子・庭井あたりから、松原市天美あたりを本拠とした古代豪族。

ちなみに、庭井には依羅氏が奉斎する神社で延喜式神名帳に名神大社として記載ある「大依羅神社」がある。

柴籬神社の創建

創建年代は定かではないが、社伝によると24代仁賢天皇の勅命によって創建されたと伝わる。5世紀の後半だろう。

反正天皇は仁賢天皇の祖父の弟にあたり、仁賢天皇も反正天皇と同じく、兄から皇位を継承した天皇。

そんなことからして、仁賢天皇はシンパシーを感じて神社の創建を勅命したのだろうか。

丹比柴籬宮の跡地

社伝では、ここが反正天皇の丹比柴籬宮の跡地だとしているが、遺構が発掘されたなどというの確証はない。

がゆえに、考古学的には丹比柴籬宮 のあった場所は未だ「不明」のままである。

がしかし、「河内志」丹北郡の条に、宮跡は「松原荘植田村広庭神祠の東北に在り」とあり、「河内名所図会」にも、「松原村上田、広庭神祠の東北をいふ」としており、

かつて当社が広庭神社と呼ばれていたことや、周辺に極殿山、大門、中門、学堂、若宮、反正山、東宮、堂経、中橋、高見などの皇居ゆかりのあざが残っていたことなどからも

民間伝承レベルにおいては、ここが宮跡の有力候補であることは間違いなかろうと感ずる。

柴籬神社のご利益

柴籬神社のご利益は、

  • 反正天皇のご神徳により、家内安全、厄除け、難事解決、歯のご利益が頂ける。
  • 菅原道真公のご神徳により、学業向上のご利益を頂けよう。
  • 依羅宿禰のご神徳は、、、よくわからない。

その他のご利益は、境内社のコーナーでご紹介できればと思う。

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柴籬神社 参拝記録

近鉄南大阪線の河内松原駅を降りて南側に出る。線路沿いを東へ200mほど行くと「上田東」という交差点がある。そこを南へ曲がり、そのまま南へ南へと進むこと400mほど。柴籬神社の社叢が見えてくるだろう。

車の場合は、駐車場が気になるところだろう。神社の北側(裏側)に「松原市民ふるさとぴあプラザ」という公共施設があり、その駐車場が柴籬宮の駐車場を兼ねているようなので、そこに停めよう。

南側の鳥居の横から入って境内に駐車することも可能だ。

社頭

これが神門。簡素な神門である。当社の神宮寺だった観念寺の山門だったものだそうだ。

その左手に石碑が見える。

反正天皇柴籬宮跡と刻まれている。

一の鳥居

神門をくぐると、一の鳥居がある。

拝殿

本殿拝殿は、一段高い場所に建てられていることがわかる。

横長のシンプルで大きな拝殿。

拝殿前に一対の盛砂がある。盛砂に塩がまかれて清められているようだ。

この盛砂は当社に古くから伝わるもので、お清めの砂として家の鬼門や裏鬼門に撒く風習が残っているそうだ。

拝殿内部

垂れ幕に燦然と輝く十六葉一重菊の紋章。

二拝二拍手一拝。。。

本殿

本殿は銅板葺きの流造り。鰹木が3本とは、、、少しく貧弱に見える。5本欲しいところだ。

境内社

境内社は上段に2社、下段に3社ある。

まずは上段の2社から。

謎の祠

拝殿の右前方にある祠。

いきなり謎の祠とは申し訳ないのだが、社名もご祭神も不明なので仕方ない。

宮司さんに確認したが、「古くからあるので我々にもわからないんです」とのこと。

田座神社

拝殿の左側面に南向きに鎮座するこの祠は田座神社。田坐とも。「田にいます神の社」というわけだ。

もともと田座神社は、当社地の北西、近鉄南大阪線の向こう側に位置する「松原市田井城」にあったのだが、明治41年に政府の政策によって当社に合祀された。そして昭和60年に旧社地で復活して再祀されたという経緯がある。

なので、合祀していた時の名残りということだろうか。

そして、この田座神社の御祭神も定かではない。八幡大神や依羅宿禰、あるいは呉織・漢織の織女を祀るとも言われている。

依羅宿禰だったとするならば、当社の祭神に依羅宿禰は、田座神社を合祀した時に加わったのかもしれない。

では、下段の境内社へと進もう。

稲荷社

赤い鳥居の稲荷社。ご祭神は、稲荷明神・勝手明神とのこと。

社の説明には「日本で最も古い稲荷社」だというが、よくわからない。

稲荷明神は、宇迦之御魂神であろう。

では、勝手明神とは?

稲荷お塚信仰による神名なのか、吉野山の勝手神社からの勧請なのかも、よくわからない。

お塚信仰の神名ならば、勝手明神も「宇迦之御魂神」となろう。

吉野の勝手神社の御祭神だとすれば受鬘命うけりのみこと

倭漢三才図会に「天孫降臨の際に随伴した32神の一也」とあるが、先代旧事本紀の陪従32神の中には存在しない。

ホツマツタヱによると、葛城一言主神の子で剣根の祖父だという。

「うけりのみこと」の「うけ」は食物を表しているように思えるので、いずれにしても食物を司る神が祀られているということになろうか。

ご利益は、商売繁盛と家内安全。

住吉社(歯神社)

奥の覆屋の中に神殿があり、住吉大神と歯神が祀られている。この歯神は反正天皇ではなく、ある母と赤ちゃんの神霊である。

ちちかみはし

”ちちかみはし伝承”

遠い昔、京から来た高貴な身分の母親が愛児に乳房を含ませていました。子どもは母親の乳に満足してスヤスヤと眠っていましたが、急にむずかり、口に含んでいた乳房を歯でかみきってしまいました。このため、母親は愛児を抱いたまま亡くなったのです

松原市HPより引用

乳房を噛み切った場所に橋が架けられ「ちちかみはし」と名付けられたという。今の松原郵便局前にあったという。

そして、この母子は長尾街道沿いの住吉神社(上田1丁目)に合祀された。このようなことで、その住吉神社は歯神社とも呼ばれるようになったとか。

当社に遷座したのは、明治の初め頃。

歯の神「反正天皇」を祀る当社に遷座したのは、ある意味必然とも言えよう。

歯磨き面

神社の前に設置されている翁の面が歯磨き面。

右側の歯を夷歯といい、左側の歯を大国歯と呼ぶ。これらの歯を触ると、歯痛にならないとか。。。

歯は健康の源であるがゆえに、歯の守護神であるとともに健康の守護神でもある。

また、そもそもの住吉大神のご神徳「祓いの神」のご利益も得ることができる。

大歳社

神門を入ってすぐに鎮座するのが、大歳社。大歳神を祀る神社である。

大歳神は、須佐之男命と神大市比売かむおおいちひめ(大山津見神の娘)の間に生まれた神で、宇迦之御魂神とは兄弟となる。

農地や穀物を司る神として祀られる。また当社では延命・再生の神としても崇められているそうだ。

地元の年配の女性が、鳥居の手前の木(上画像の左側手前に少しだけ映っている木)に両手をあてて祈っていた。おそらくは、地元に伝わる「延命長寿のパワーを頂く儀式」ではないかと考える。

遥拝所

こちらも神門を入ってすぐにある、勢の内宮と外宮を遥拝する遥拝所。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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