豊崎神社|大阪|孝徳天皇の難波長柄豊崎宮跡に鎮座する古社

豊崎神社は、大阪市北区豊崎にある神社。

北は淀川の堤防、東と南はJR貨物線、西は新御堂に囲まれた、中小の工場や倉庫と住宅が混在するという、どちらかというと雑然とした一角にあるのだが、なんとこの場所、36代孝徳天皇の宮廷「難波長柄豊崎宮」があったと伝わる歴史ある場所。

そのような歴史や雰囲気など、豊崎神社の魅力を伝えることが出来ればと思う。

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豊崎神社について

豊崎神社の概要

  • 所在地    大阪府大阪市北区豊崎6丁目6−4
  • 電話番号   06-6371-5264
  • 祭神    (主)孝徳天皇、(配)素戔嗚尊・応神天皇
  • 社格     村社
  • 公式HP   なし

豊崎神社  アクセス

MAP

最寄り駅

  • 大阪メトロ御堂筋線「中津」徒歩9分
  • 阪急「梅田」徒歩18分

車でのアクセス・駐車場

  • アクセスは容易
  • 駐車場あり(境内)

境内への車の乗り入れは、あまり好まず。
よって近隣のコインパーキングを利用。(神社の北側に3か所ほどあり。)

豊崎神社の祭神

主祭神に孝徳天皇を祀り、配神として素戔嗚尊と応神天皇を祀る。

創建当初は孝徳天皇の一柱だけだったと思われる。応神天皇は八幡宮を合祀したため、素戔嗚尊が祀られる理由は定かではない。

孝徳天皇

飛鳥時代の36代天皇。

中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を殺害した「乙巳の変」の直後に皇極天皇(女帝)から譲位されて即位した天皇である。史上初めて元号を制定した。その元号が「大化」。

血塗られた飛鳥から、海運・陸運の要衝である難波に遷都し、各種改革を行った。この改革は後に「大化の改新」と呼ばれることとなる。「大化」とは元号で、実はこれが日本史上初の元号である。

素戔嗚尊

伊弉諾尊の禊祓で生まれた神代の神。同時に天照大神と月読尊も生まれ、合わせて三貴子(三貴神)と称される。

伊弉諾尊は三貴子に対して、天照大神には高天原を、月読尊には夜の食国を、素戔嗚尊には海原を、という具合に分割統治を命ずる。ところが素戔嗚尊は、母を慕って「根の堅洲国」へ行きたいと言い出したため伊弉諾尊から追放を言い渡される。よって、素戔嗚尊は野に下り、出雲で国津神となった。それを引き継いだのが大国主神。

応神天皇

古墳時代の天皇。全国第2位の大きさを誇る誉田御廟山古墳が応神天皇の御陵として治定されている。

応神天皇は、全国の八幡宮の祭神として祀られている。本来的には応神天皇を主座として、比売ひめ神、神功じんぐう皇后を配する形をとり、その三座の総称を八幡神とするのだが、応神天皇だけが祀られることも多い。

豊崎神社の創建

社頭の由緒書に、

当社は孝徳天皇の御旧跡にして、日本書紀に大化元年冬12月、都を難波長柄豊碕に遷すとあり。其後一条天皇正暦年中、藤田重治なる人、孝徳天皇故宮の煙滅せんことを恐れ、林中に祠を作り、皇蹟を崇敬追拝し奉る。是則豊﨑神社の創祀である。

と紹介されている。

大化元年とは645年。でも実際に完成したのは652年なので遷都は652年となろうか。

そのたった2年後の白雉5年(654年)に孝徳天皇が崩御されたため、皇極天皇が再び即位して斉明天皇となり、もとの飛鳥に遷宮。よって、難波長柄豊崎宮が皇居だったのは2年間だけということになる。

その後も建物は残されていたが、朱鳥元年(686年)の正月に全焼して消滅。ここに宮殿があったのは34年間のこと。

時が経ち約300年後の正暦年間に、藤田重治が祠を建てて創祇したという。

難波長柄豊崎宮

このように、社伝ではここが長柄豊崎宮跡だというが、難波長柄豊崎宮があった場所には3つの説がある。

ご紹介だけしておこう。

上町説

大阪城の南にある難波宮跡が難波長柄豊崎宮であるという説。昭和28年の発掘調査で大規模な都跡が発見され、火災の跡も確認できたので、考古学的には、ここに難波長柄豊崎宮があったと結論付けた。今、一般的にはこの説に落ち着いてる。

ではあるが、この場所だと「長柄豊崎宮」と名付ける理由が見当たらない。また、古代において、難波(大阪)には多くの宮廷や官邸が造営された記録があるが、たくさんある中で「こここそが長柄豊崎宮である」という根拠が「火災跡」だけでは心もとない。よって、以下の説を支持する人々も根強く残っているそうだ。

下町説

上町説の逆で、今に残る地名を根拠とする説。何といっても、当社のある場所は「豊崎」であり、東隣には「長柄」という地名が現存する。

よって、ここしかないだろうということになろうが、考古学的な根拠が得られていないため、宮跡が出土した上町説には敵わない。なかなかに苦しいところではある。何か発見されれば、、、と思う次第である。

しかし、宮が無くなって300年後の人が「ここに長柄豊崎宮があった」としたのは、伝承という記憶からなのであろう。こちらの方が正しいように思えてならない。

宮原説

宮原とは、今の新大阪駅の北あたり。

新撰姓氏録に「孝徳天皇の御代に大旱魃があったが垂水の湧水だけが枯れなかったので、そこから長柄豊崎宮まで水を引いた」との記述によるもの。

要するに垂水の湧水からの距離的見地からの説と言えよう。

豊崎神社のご利益

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豊崎神社のご利益は、

  • 孝徳天皇のご神徳より国家安寧
  • 素戔嗚尊のご神徳より病気平癒
  • 応神天皇のご神徳により必勝祈願・武運長久

を挙げることができよう。

さらには、大化の改新を実施した天皇であるからして、改革改善を行う役割の方々の味方になってくれると思うのである。

その他、境内社のご利益は次の「参拝記録」の中でご紹介したいと考える。

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豊崎神社 参拝記録

豊崎神社は、地下鉄中津から徒歩で約10分。グーグルマップをご覧いただければ、迷うようなことも無かろうと思う。車でお越しの場合も、境内に駐車スペースがあるから安心。

がしかし、正面の鳥居から車で乗り入れるのは抵抗感があるとおっしゃる方もおられるだろう。私もそうだ。

神社から見える範囲にいくつかのパーキングがあるので、そちらを利用しよう。大阪市内ではるが安いので心配は無用だ。

社頭

11月中旬に訪問。境内の木々が色づき始めた頃で、なかなかに美しい光景である。11月といえば七五三のシーズン。境内のあちこちに可愛らしいモノが配置されていた。

黒字に金の扁額が、これまた美しい。

この鳥居の下に立っていると、いい気持ちになる。久しぶりに「パワースポット」という言葉を思い出した。

本殿は鳥居の正面にある。境内に祓戸社は無い。がゆえに、いきなり本殿に参拝することにした。

拝殿

大きな千鳥配置に、これまた大きな唐破風を組み合わせた、なかなかに堂々たる拝殿だ。天皇が鎮まる神社に相応しい。

拝殿内部

いわずもがなだが、手前の床几が並んでいる場所が拝殿。その奥の供物を供する場所が幣殿。そして一番奥の扉が本殿。

垂れ幕には皇室の紋章「十六弁八重表菊紋」が燦然と輝いている。天皇を祀る神社であることを再認識する。

手前にあるオレンジの御旗は、左が白虎で右が玄武。画像には映ってないが朱雀と青龍の旗もある。これらは、四方を司る霊獣で四神という。東の青龍・南の朱雀・西の白虎・北の玄武という具合に割り当てられている。

二拝二拍手一拝。。。。。

小鳥のさえずりが心地よい。

本殿

左横に回り込むと、流造りの本殿がバッチリと見える。

孝徳天皇沓脱の石

拝殿の左手前の木の下にぽつねんと置かれてあった石。これが「孝徳天皇沓脱の石」だそうだ。

この石に座って沓を脱いだか、脱いだ沓を置くための石か、昇殿のための踏み石か。。。定かではない。

境内社

当社の境内社は、境内の左側に並んでいる。本殿に近い順番に紹介して行こうと思う。

厳島神社

本社拝殿の横に並ぶような位置に鎮座するのが鹿島神社。摂社の位置づけである。

江戸時代の初め頃に疫病が流行したため、鹿島神宮のご分霊を祀ったのが始まりという。ご祭神は武甕槌神。

ご利益は、勧請の目的からすると疫病退散。本来のご神徳からすると武運長久である。

恵比須神社

鹿島神社の手前に並ぶ末社4社の一番左に鎮座するのが恵比須神社。ご祭神は恵比須大神。

恵比須大神であるからして、エビス神が祀られると思ったが、、、

神額を見ると、、、これは、「えべっさん」と「だいこくさん」のお顔ではないか。

ということで、エビス神(事代主神)と大黒天(大国主神)が祀られていると判断した。

ご利益は、商売繁盛となろう。

東照宮・厳島神社(合祀)

恵美須神社の隣が東照宮社。東照宮社の御祭神は徳川家康公。

その由来はというと、、、

大阪冬の陣で怪我をした家康公が本庄村に立ち寄った際、ここで献上された麦飯が大層美味しかったため、家康公の死後に東照宮を祀ることを許された

とのこと。

ご利益は、天下統一の大仕事を成し遂げた家康公にあやかって、仕事運、上昇運、勝負運の向上を頂こう。また、大変な長寿だったので、不老長寿、生命力向上も頂こうではないか。

そして、この東照宮社には厳島神社が合祀されている。ご祭神は市杵島姫命。

ご利益は、美麗、芸事、財福とされる。

稲荷社

その隣が稲荷社。ご祭神は宇迦之御魂神。ご利益は商売繁盛。

伏見稲荷大社からの勧請であろうか。定かではない。

謎の祠

東照宮社と稲荷社の間に、小さな祠がある。社名もご祭神も不明。社務所に確認しても「特になにもない」という返答。「お祀りはしていない」ということだろうが、、、由来を伺うことは出来ず、、、

私としては、東照宮社の敷地内にあることから、合祀された厳島神社の旧社ではないかと想像するが確証はない。

最後に

豊崎神社は大阪市北区のはずれにある住宅と倉庫が混在する地域に鎮座しているが、一歩境内に入ると、静寂な空間に小鳥のさえずりが聞こえるという別世界が広がる、とても気持ちのいい場所だった。

特にその空気感を濃密に感じたのがここだ。

画像の右に移っている丸く刈られた木の左横あたりに立つと気持ちがいい。

精神的に疲れた時、充電したいと感じた時、訪れてみてはいかがだろうか。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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