中臣須牟地神社|矢田|須牟地神の謎に迫る!ことができるのか?

2018年8月4日

中臣須牟地(なかとみすむち)神社は大阪市東住吉区矢田に鎮座する、延喜式神名帳に記載された式内大社である。

須牟地(すむち)は住道(すむじ)とも書く。住吉の道の神という意味だろうか。この住吉の道の当時の名称は磯歯津路(はしつみち)。

住吉の港から大和国の朝廷をつなぐ古代の幹線道路で、大陸からの渡来人はこの磯歯津路(はしつみち)を通って大和入りした。そして磯歯津路に沿って複数(4社とも)鎮座していた須牟地神の一つが、ここ中臣須牟地神社である。

現存する他の須牟地社としては、神須牟地神社と須牟地曽祢神社があるが、なかでも中臣須牟地神社だけが「式内大社」なので、複数ある須牟地社の中でも特別な存在であったのだろうと推察される。

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中臣須牟地神社について

中臣牟地神社 概要

  • 所在地   大阪府大阪市東住吉区住道矢田2丁目9
  • 電話番号  06-6208-9166
  • アクセス  近鉄南大阪線「矢田駅」徒歩12分
  • 駐車場   なし
  • 主祭神      中臣須牟地神
  • 創建年      不詳
  • 社格   式内大社
  • 公式HP   なし

中臣須牟地神社 MAP

中臣須牟地神社の創建

創建年代は不明である。

文献では、清和天皇・貞観元年(859)、中臣須牟地神に従五位上が授けられたとあるため、800年代には確実に存在したとしていいだろう。

磯歯津路(はしつみち)の守護のために創建されたとすれば、雄略天皇の御代。すなわち西暦400年代。

中臣須牟地神社の祭神

主祭神は中臣須牟地神。そして、神須牟地神・須牟地曽祢神・住吉大神を配祀するとされる。

中臣須牟地神

須牟地神の実体は不明。

  • 住道首(すむぢのおびと)という氏族の祖神であるという説。
  • 中臣を冠するからには「天児屋根命」であろうという説。
  • いやいや、藤原不比等が祖神「天種子命」を祀ったのだという説。

須牟地と称する神が他にもあることからして、住道首が祖神「住道神」を祀っていたが、後に中臣氏が祭祀を任され、中臣氏の祖神を合わせ祀るようになったと考えるのが自然だと思う。

しかし、こんな説もある。

住吉大社神代記の「子神(末社)」を列記した箇所に、「赤留比売神(中臣須牟地神、草野神)」との記載がある。となれば、中臣須牟地神の正体は赤留比売神であるということになる。

謎である。

神須牟地神

こちらも不明。

こちらに残る「叢社記」には、「神須牟地神社は当社の西の天神山にあり、少彦名神を祀る」とあるらしい。となれば、少彦名命が神須牟地神となろうか。

須牟地曽祢神

こちらも不明。

物部系氏族に「曽祢氏」がある。饒速日尊の6世孫。和泉国を本拠としたとも。その曽根氏が祖神を祀ったものが須牟地曽祢神であるとすれば、饒速日尊か伊香我色雄命か。

中臣須牟地神社のご利益

延喜式に、外国からの使節などを饗する時の式次第が、次のように記載されている。

  • 新羅から入朝した者には神酒を振舞わなければならない。
  • その神酒を醸造するための米は、大和国の賀茂、意富、纏向、倭文の四社、河内国の恩智社、和泉国の安那志社、摂津国の住道社、伊佐具社から30束ずつ、合計240束を「住道社」に送ること。
  • 大和国の片岡社、摂津国の廣田・生田・長田の三社からは50束ずつ、合せて200束を生田社に送ること。
  • いずれも神部に造らせ、中臣一人を派遣して、酒使とし、生田社で醸したものは敏馬崎で、住道社で醸したものは難波館で饗するべし。

使節だけでなく、渡来人が日本に帰化する際にも行われた儀式のようだ。神酒で穢れを祓うことで日本人になるということらしい。

ここで米が送られる先、すなわち酒を醸す神社として登場する「住道社」が中臣須牟地神社であるとする説もある。

それは、複数ある住道神の中でここだけが「中臣」を冠しているからだ。

というようなことから、酒造の神と言いたい。

また、磯歯津路の守護神という側面から、交通安全や旅行安全

さらに、日本への帰化を望む外国人の方々にもおすすめしたいと思う。

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中臣須牟地神社 参拝記録

長居公園通りを長居から平野方面に走る。湯里6の交差点を右折(南へ)すると500mぐらい進むと右側に中臣須牟地神社がある。

神社には駐車場は無い。神社の北側にコインパーキングがるあるので、そこを利用しよう。このあたり、路駐はやめた方がいいだろう。

神社には2つの鳥居がある。

正面の鳥居

この鳥居は、境内の南東角にあたる。木製の門が閉まっていた。あとから調べると、この門は常に閉じられているらしい。

境内の南西角にもう一つの鳥居がある。ここから神域に入る。

拝殿

境内は清掃が行き届いている。私が訪れたのは午前7時前なのだが、既に誰かがきれいに清掃されたようだ。

シンプルな拝殿。大きな賽銭箱も拝殿の中の少し高い所に設置されていて、お賽銭を入れにくいと感ずる。

二拝二拍手一拝。天津祝詞。

蝉が鳴き出した。

境内には、4基の祠がある。いずれも説明がないので、社名や神名がわからない。

境内社1(楠社?)

拝殿の前に大きな楠木。その枝の中に小さな祠が設置されている。雰囲気から感ずるものとしては、お稲荷様か蛇神様ではなかろうか。

境内社2(厳島社?)

ネット情報では厳島社であるとの設が多いが、特に何も掲示されていないのでわからない。

境内社3(道祖社)

こちらは道祖社。猿田彦命が祀られている。

本殿裏の土塀跡

本殿を取り囲んでいた土塀の跡。だろう。

一見、日本庭園に置かれたオブジェのような、和テイストのデザイン性を感じたのだが、どうやら風化した土塀。

境内社4(謎の狛犬様)

本殿裏手の北東角に謎の祠というか、足元を修繕した跡がある狛犬さん(おそらく)が祀られている。

どのような謂れがあるのか、わからない。

これで境内をぐるっと一周したことになる。

最後に

最後に、正面の開かずの鳥居から前方を見渡すと、、、

道路を挟んだ向かい側に空き地の一部が少し盛り上がっていて、そこに「榊」かなにかの灌木が1本。

どうも、こちらも神域であったような気がしてきた。

さらに目を転じると、

注連縄こそしていなないが、ロープで保護された樹木が1本。

かつてはここも境内だったのだろう。ここで何らかの祭祀が行われていたのかもしれない。

こちらの神社には神職さんは常駐されていないため、確認することもできなかったが。。。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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