吉備津神社|岡山|吉備国総鎮守はパワースポットの宝庫

吉備津神社は岡山県岡山市北区にある神社で、延喜式神名帳に掲載されている式内社。その中でも名神大社に指定される、極めて霊験あらたかな神社である。

吉備国の総鎮守だったが、吉備国が備前・備中・備後の三分割されたあとは備中国の一之宮、近世の社格制度では官幣中社に列していたという、中国地方きっての大社である。

その境内は広く、今回の記事ではすべてを網羅することは出来なかったことを、まずはお詫び申し上げて置く。

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吉備津神社について

吉備津神社の祭神

主祭神

主祭神は大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)。

第7代孝霊天皇の皇子。古事記では、比古伊佐勢理比古命で、亦の名を大吉備津日子命と紹介されている。

崇神天皇10年、全国平定のための4人の将軍「四道将軍」の一人として山陽道に進攻。異母弟の若日子建吉備津彦命と協力して吉備地方を平定した。

大吉備津日子命若建吉備津日子命は、二人で、針間氷河前(はりまのひかはのさき)に、忌瓮(いわいべ)を置き、播磨を前線基地として吉備國(きびのくに)を平定しました。
出典:読みやすい古事記 現代語訳

その子孫が吉備の国造となり、古代豪族・吉備臣へと発展していった。

この吉備津彦命の吉備遠征が即ち、吉備津彦命の温羅(うら)征伐であり、童話「桃太郎」の鬼退治のモデルとなったと、岡山県は主張している。

温羅とは異国から渡来して吉備に移り住み、製鉄技術を吉備地域へもたらした。鬼ノ城を拠点として一帯を支配したという。
出典:ウィキペディア

相殿神

相殿神として、吉備津彦命の一族が祀られている。

  • 御友別命(みともわけのみこと)・・・ 吉備一族の子孫。
  • 仲彦命(なかつひこのみこと)・・・吉備一族の子孫。
  • 千々速比売命(ちちはやひめのみこと)・・・大吉備津彦命の異母姉。
  • 倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと) ・・・ 大吉備津彦命の同母姉。
  • 日子刺肩別命(ひこさすかたわけのみこと) ・・・ 大吉備津彦命の同母兄。
  • 倭迹迹日稚屋媛命(やまとととひわかやひめのみこと) ・・・ 大吉備津彦命の同母妹。
  • 彦寤間命(ひこさめまのみこと) ・・・ 大吉備津彦命の異母弟。
  • 若日子建吉備津日子命(わかひこたけきびつひこのみこと) ・・・ 大吉備津彦命の異母弟。

外陣

本殿の外陣の四隅に、御崎神が祀られる。

  • 艮御崎神・・・温羅命・王丹命
  • 巽御崎神・・・楽楽森彦命・留玉臣命
  • 坤御崎神・・櫛振命・小奇命・真振命
  • 乾御崎神・・・真楫命・真綱命・真艪命

このように、

丑寅の方角すなわち鬼門の方角に桃太郎の鬼のモデルである温羅命と王丹命が祀られている。征服された側が征服した側を祀る神社に合祀されているという恰好だ。

これは何を意味するのか。。。

吉備津神社の創建

創建年代は定かではない。

伝承によれば、吉備津彦命から5代孫の加夜臣奈留美命(かやおみなるみ)という人が、吉備氏の祖神として祀ったのが創祇と言われている。

また、若建日子吉備津彦命から3代孫の稲速別命(いなはやわけ)・御友別命(みともわけ)・鴨別命(かものわけ)が、社殿を造営したとも伝わっている。

さらには、16代仁徳天皇が、皇后の嫉妬によって国元に追い返された「黒姫」を追いかけて吉備国までお越しになった際に、社殿を創建したのが起源とも。

様々な伝承が残っており、これはこれで楽しいのである。

吉備津神社のご利益

ご本殿のご利益といえば、次の2つであろうか。

健康・長寿

ご祭神の大吉備津彦命は、281歳まで生きたという。ほんまかいな。。。

事業発展・子孫繁栄

大吉備津彦命から始まる吉備氏は、ヤマト王権を中心とした緩やかな連合体であった国において、ヤマト王権に並ぶ勢力を誇った一族に発展した。

そのほかにも、境内に祀られる様々な神様から頂けるご利益もある。おってご紹介させていただくこととする。

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吉備津神社 参拝記録

岡山市中心部から西へ6kmほどに、中山という小高い山がある。

前述の温羅との戦いでは、吉備津彦命は中山に陣を敷き、後に中山に宮を建てて住まいしたという聖なる山だ。

この中山の北西麓に備中一之宮の吉備津神社がある。中山の北東麓には備前一之宮の吉備津彦神社がある。ややこしい。

というのも、この中山は、備前国と備中国の境目となっていて、山の西は備中国、山の東は備前国だからだ。

前述したとおり、もともとは吉備国一国だったものが、備前・備中・備後と3国に分けられた。そこで、吉備国一国の総鎮守だった吉備津神社も3社に分かれたということらしい。

ちなみに備後の一之宮は、広島県福山市にある吉備津神社。

駐車場

鳥居前に広い駐車場がある。正月でもなければ満車になることは無いだろう。

本当は、松並木の参道を歩くのがいいのだろうが、、、

社頭

ここが、吉備津神社の入り口。参拝当日は1月15日。そろそろ正月仕様も終わるころだろうか。

矢置石

吉備津彦命と温羅の戦いの際、この岩に矢を置いて、ここから射掛けたと伝わる巨石。

本殿への石段

鳥居をくぐると、石段が伸びる。

朱塗の新しい「北随神門」をくぐって、さらに登ると、大きく口を開けた授与所の建物が待ち構える。私は、朱塗りの綺麗な随神門より、この枯れた感じの授与所の方が好きなのである。

この建物は割拝殿のようにも見えるが、拝殿は本殿と一体となる形でちゃんと別にあるため、ここは授与所としておこう。

ちなみにこの石段、パワースポットという噂も。確かに、昇り切った時の清々しさには格別なものがある。

拝殿

授与所をくぐると、すぐそこに拝殿が。

「平賊安民」の文字が躍る。吉備津彦命の温羅征伐のことを指すのだろう。福岡「筥崎宮」に掲げられていた「敵国降伏」の額を思い出した。

二拝二拍手一拝。

一段と冷たい空気が拝殿内から流れ出てくる。身が引き締まる。

本殿

吉備津神社といえば、なんといってもこの本殿。間近で見ると、とんでもなく大きい。日本で2番目に大きい本殿らしい。ちなみに、1番は京都の八阪神社で、3番目は出雲大社。

大きさだけではない。

建築様式も極めて珍しいもの。「比翼入母屋造」という建築様式で、全国探してもここにしかない。よって「吉備津造」ともいう。

大きさと建築様式だけでもない。

創建以来、記録に残る限り2度の火災による焼失があったというが、私たちが今見ることができるこの本殿は、なんと、約600年前の室町時代「将軍足利義満」の時代に再建された建造物だ。

古いだけではない。

その1425年の再建以降、一度も解体修理を行っていないとのこと。

というわけで、この本殿と拝殿を合わせて、国宝に指定されている。国の宝であるからして、心して鑑賞しようではないか。

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