都留彌神社|東大阪|布施の氏神さんは、ご利益満載!

2017年12月26日

都留彌神社は、延喜式神名帳に「河内国渋川郡 都留彌神社」と記載される式内社を引き継ぐ、東大阪市荒川にある神社。

近鉄奈良線の布施駅・河内永和駅、近鉄大阪線の俊徳道駅の3駅を結んだ三角形の真ん中に位置し、荒川小学校の北に面することから、子供たちの遊び場になっているようだ。

また、布施エリアにあった8社の合祀社であるため「布施の氏神さん」と呼ばれ、地域の老若男女から親しまれている。

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都留彌神社について

都留彌神社 創建

創建年代は不詳ながら社伝によると、仁和2年(886年)の国史に記載がある古社で、延喜式神名帳(927年)に「渋川郡 都留彌神社」とある式内社である。

延喜10年(910年)の河内国大干ばつを受けて、醍醐天皇の勅命により河内国12社が選定され雨乞い祈願がなされ、見事に順雨を得ることができ、この奇跡により「都留彌神社」の社号が与えられたと伝わる。

しかし一説には、古大和川口にあった一対の美しい島があり「つるむ島」都留美島から都留彌に転化し、都留彌神を豊漁の神として祀ったとも。

後世、河口の1対の島の神を、記紀に登場する1対の河口の神に神名変更したのではないだろうか。。。

明治、大正時代に近隣の8社を合祀し、旧社地から現社地に遷座。

ちなみに旧鎮座地とは、現在の布施戎神社の場所。そこには都留彌神社御旅所が設置されている。

都留彌神社 祭神

8社を合祀したため、現在の祭神は10柱を数えるが主祭神は、速秋津日子命・速秋津比売命である。

速秋津日子命・速秋津比売命

合祀前の都留彌神社の祭神とされる。

伊邪那岐命と伊邪那美命の「神産み」で、海の神「大綿積神」の次に生まれた、水の神・港の神・河口の神。兄と妹、あるいは夫婦神とも。

大祓詞にも登場し、海に流れてきた罪穢れを飲み込んでくれる祓いの神とされる。

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菅原道真公

戦国時代、相殿に菅原道真公を祀る。

平安時代の貴族にして政治家。冤罪によって左遷され失意の中、大宰府にて死去。天満大自在天神となる。

死後、平安京では災害が多数発生したため、道真公(天満自在天神)の祟りと恐れられ、祟り封じ・鎮魂のために北野天満宮が創建される。

天神信仰の始まりは、怨霊を御霊に昇華させるための信仰であったことは忘れてはいけないだろう。

時代を流れの中で、平安末期から鎌倉時代には慈悲の神、正直の神、冤罪を晴らす神として、戦国時代には怨敵調伏・戦勝祈願・王城鎮護の神として信仰された。

学問の神として信仰を集めるようになったのは、江戸時代からだという。

ここまでの3柱の神が、もともとの都留彌神社の祭神。

ここからは合祀された神社、すなわち、、、

  • 天神社(岸田堂)
  • 稲荷神社(菱屋西)
  • 子守神社(大平寺)
  • 大歳神社(長堂)
  • 産土神社(三の瀬)
  • 子守神社(永和)
  • 素戔嗚神社(永和)
  • 鹿島神社(荒川)

素戔嗚尊

永和にあった素盞嗚命神社・長堂にあった大歳神社の合祀による。

伊邪那岐命の御子にして、天照大御神と月読命の弟。三貴子とも称される血統を持ちながら、粗暴であったがゆえに高天原から追放される。

流転の身となったが、八岐大蛇退治をきっかけに妻を娶り出雲に居を構え、出雲から九州までを支配した。天津神でありながら国津神の祖神ともなった大王と言えよう。

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豊受姫命

菱屋西にあった稲荷神社の合祀による。

神宮外宮の正宮に祀られる豊受皇大神と同じ。古事記では、稚産霊(わくむすび)の子で、食物・穀物をつかさどる神とされる。

伊勢神宮外宮の社伝には、雄略天皇の夢枕に天照大御神が現れ「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の比治の真奈井(ひじのまない)にいる御饌の神、等由気太神(とゆけおおかみ)を近くに呼び寄せなさい」といったので、外宮にお祀りしたと記載されている

少彦名命

岸田堂にあった天神社(あまつかみのやしろ)の合祀による。

造化三神の一柱「神皇産霊神」の御子で大国主命とともに国造りを行った、医薬・酒造・呪いの神。

ちなみに、天神というと菅原道真公=天満自在天神を指す場合と、少彦名命=天津神を指す場合があることに注意するべきである。

武甕槌命

荒川にあった鹿島神社(現:都留彌神社鎮座地)の合祀による。

茨城県の鹿島神宮の主祭神で、荒川の鹿島神社もそちらからの勧請だろうか。

武甕槌命は、神話「国譲り」に登場する。天照大御神と高皇産霊神の命令により、大国主命に国を譲るよう天下った。

その武力は凄まじく強く、大国主命の息子で武神である「建御名方命」を一ひねりで打ち負かしたとされる。

雷神、刀剣の神、弓術の神、武神、軍神として信仰を集める。

保食神

荒川にあった鹿島神社(現:都留彌神社鎮座地)の合祀による。

日本書紀に登場する神。食物・穀物をつかさどる神である。

月読命を饗するために、口から様々な食べものを出してもてなしたが、月読命は「汚らわしい」と言って、保食神を斬り殺した。

古事記では同じ説話が須佐之男命と大気都比売命で展開されている。

推古天皇

三の瀬にあった産土神社の合祀による。

33代天皇で女帝である。日本書紀に「姿色端麗 進止軌制」とあるほど、容姿や立ち振る舞いが美しく整った姫であったようだ。

聖徳太子を摂政として起用。蘇我氏と聖徳太子の力関係をうまく調整しながら、太子が存分に手腕を発揮できる環境を整えた。

美しいだけでなく、聡明で毅然とした女帝であったと伝わる。

三穂彦命

荒川にあった鹿島神社、子守神社の合祀による。

三穂津彦命と思われる。とすれば、すなわち大国主命。

天津神に国を譲った大国主命に対して、天照大御神はさらに忠誠を誓わせる意味で、高皇霊産尊の娘「三穂津比売命」を妃とするよう命じる。

これを受けた大国主命は、自らの名を三穂津彦命を変えて、忠誠を誓った。

あるいは、三穂津比売命がことのほか美しかったので、自らの名も変えたとも。女好きの大国主命らしい説である。

都留彌神社 ご利益

これほど多くの神々が本殿に祀られているからして、ご利益のデパートのようなものだ。

  • 速秋津日子命・速秋津比売命・・・祓い・浄化
  • 菅原道真公・・・学業向上・学業成就
  • 素戔嗚尊・・・厄除け・疫病除け
  • 豊受姫命・保食神・・・五穀豊穣・衣食住の充足・商売繁盛
  • 少彦名命・・・病気平癒
  • 武甕槌命・・・勝運上昇
  • 推古天皇・・・才色兼備
  • 三穂彦命・・・縁結び・経営力向上

推古天皇を祀る神社は多くはない。女性の皆さんにはありがたい神社ではないだろうか。

参拝記録は、次のページをご覧くださいませ!