藤森神社|京都|午年の守護神・競馬高額配当の守護神

2019年1月10日

藤森神社は京都市伏見区にある神社。学問と勝ち運の神様として古来より信仰を集めている。

5月5日に行われる駈馬神事が有名で、昨今では競馬関係者や競馬ファンからの信仰を集めるようになった。

また、菖蒲の節句(端午の節句)の発祥の地でもある。6月には、参道に沿って3500株もの紫陽花が美しく咲き乱れる。花の神社でもある。

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藤森神社について

藤森神社 概要

  • 所在地   京都府京都市伏見区深草鳥居崎町609
  • 電話番号  075-641-1045
  • 主祭神   素盞鳴命はじめ12柱
  • 創建年      204年(伝)
  • 社格   府社
  • 公式HP     http://www.fujinomorijinjya.or.jp/

藤森神社 アクセス

MAP

最寄り駅

  • 京阪電鉄「墨染駅」徒歩5分
  • JR奈良線「深草駅」徒歩5分

駐車場

  • あり

藤森神社の創建

当社の縁起・由来書によると、、、

中座に祀られる神々の創始

<祭神>
素盞鳴命、別雷命、日本武尊、応神天皇、仁徳天皇、神功皇后、武内宿禰

神功皇后3年(206年)のこと。三韓征伐から凱旋した神功皇后は、山城国深草里藤森を聖地として選び、そこに「纛旗」を立て、「兵具」を納め、「塚」を造り、神を祀を行った。

これは、城南宮と同じような縁起である。もっと言えば、真幡寸神社と同じと解釈できよう。

それはさておき、さらに次のような記述がある。

延暦13(794)年には、桓武天皇より弓兵政所の称が授けられ、遷都奉幣の儀式が行われた。

さて、794年にそのような待遇であった神社であるにもかかわらず、藤森神社は927年に完成した延喜式神名帳に記載がない。少なからず違和感を覚える。

一方で同じような縁起を持つ「城南身宮」、いや「真幡寸神社」が式内社であることを考えると、藤森神社の「中座」とは、真幡寸神社であったのでは?と思ってしまう。

東座に祀られる神々の創祀

<祭神>
舎人親王、天武天皇

舎人親王は天武天皇の御子にして、日本書紀の編纂者である。藤森神社では、「学問の神」として祀られているようだ。

天平宝字3(759)年、深草の里「藤尾の地」に「舎人親王」を祀る神社として創建されたという。

永享10(1438)年には、後花園天皇の勅により、稲荷山山頂の稲荷の祠が山麓の藤尾の地に遷されたため、押し出されるように藤尾大神(舎人親王)を藤森の地(現在地)に遷座した。

藤尾の社が藤森の地へ。そこで、藤森の地にあったかもしれない真幡寸神社が、さらに押し出されて竹田の地へ、、、

西座に祀られる神々の創祀

<祭神>
早良親王、伊豫親王、井上内親王

この3柱の神々は、まさしく御霊信仰の神々である。

御霊信仰とは、、、

人々を脅かすような天災や疫病の発生を、怨みを持って死んだり非業の死を遂げた人間の「怨霊」のしわざと見なして畏怖し、これを鎮めて「御霊」とすることにより祟りを免れ、平穏と繁栄を実現しようとする日本の信仰のことである。

Wikipediaより

  • 早良親王は、桓武天皇の弟。
  • 伊豫親王は、桓武天皇の第三皇子。
  • 井上内親王は、桓武天皇の父である光仁天皇の皇后。

三人ともあらぬ罪を着せられて非業の死を遂げ、怨霊となったとされる。

延暦19年(800年)、早良親王の怨念を鎮めるために「崇道天皇」と追号され、塚本の地(京都市東山区本町)に祀られた。天長3年(826年)には、その塚本社に伊豫親王、井上内親王の二柱を合祀。

その後、深草に遷座したが、応仁の乱で焼失。藤森社に合祀されたという。

藤森神社のご利益

中座の創祀由来にもあるように、三韓征伐で掲げた「御旗」をはじめ、剣や矛や鎧兜などの「兵具」などをご神体として祀られたわけなので、古来より勝ち運の神として信仰を集めていた。

毎年5月1日から5月5日まで行われるのが「藤森祭」。その最終日である5月5日には、「武者行列」が行われ、「駈馬神事」でクライマックスを迎える。

これにより、藤森神社は「馬の神」として信仰され、ジョッキー・調教師や馬主などの競馬関係者、そして万馬券を夢見る競馬ファンが集う聖地となっている。

もちろん、馬の神であるからして「午年の守護神」であることは言うまでもない。

そして、持統、文武、元明、元正、聖武の5天皇の国政に携わった長老「舎人親王」にあやかって「学業成就」のご利益がいただける。

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藤森神社 参拝記録

伏見稲荷大社の南2kmほどの地点、京都教育大学の西に藤森神社はある。最寄り駅は京阪本線の墨染駅で330m。わかりやすいのはJR深草駅。一直線で鳥居前に到着する。350mだ。

社頭

ここから車で入ることが出来る。この参道の右側が細長い駐車場で、左側は紫陽花苑。

拝殿

大きな大きな割拝殿。

拝殿の屋根を水平に撮影すると、地面が右に傾いて写る。

本殿

藤森神社の本殿。

本殿の屋根を水平にあわせて撮影すると、今度は、地面が左に傾いて写る。

どうも、しっくりこない。参拝していても落ちつかないのである。

地形だから仕方なのだが。。。

学業の神 舎人親王崇敬碑

本殿東座に祀られている「舎人親王」は学業の神としても信仰されている。ここには合格を祈願する多くの絵馬がかけられていた。

ちなみに、舎人親王の息子「淳仁天皇」は、藤原仲麻呂の推しによって天皇として即位したが、仲麻呂の失脚とともに廃帝され憤死した。まさに怨霊となるにふさわしい身の上なのである。

大将軍神社 天満宮社

本殿エリアの裏手に末社が並んでいる。

左奥に「天満宮社」が鎮座。祭神は「菅原道真公」。こちらも学問の神だ

そして、その手前が「大将軍社」。祭神は「磐長姫命」。大山祇神(おおやまつみ)の娘で、木花開耶姫(このはなさくやびめ)の姉である。

うーん。

道真公は日本三大怨霊の一人。

そして磐長姫命も、怨霊ではないが醜さゆえに恨みの念を持ったであろう女神である。貴船神社「結社(ゆいのやしろ)」の祭神だ。貴船神社は丑三つ刻参りでも有名な神社である。

どうもこの藤森神社の本質は、御霊神社であるように思えてならない。

七宮社

天満宮社・熊野神社・厳島神社・住吉神社・諏訪神社・広田神社・吉野神社の七社が集合。

これらは、伏見城築城に際してこちらに遷されたものらしい。

八幡宮 祖霊社

本殿の右裏に鎮座する2社。右が八幡宮社で、左が祖霊社。

腰痛に効く!旗塚

本殿の、向かって右側に切り株がある。これが「旗塚」で、神功皇后が纛旗を立てた場所。この地が聖地となった瞬間だ。

なんと、この切り株におまいりすると腰痛が治るといわれれている。新撰組の近藤勇も参拝したらしい。

不二の水

二つとない、すばらしい水ということで名づけられた湧き水。現在の水は三代目。地下100mから湧き出ているらしい。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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