磐船神社|饒速日尊降臨の地は浄化と癒しのパワースポットだ!人気の「岩窟巡り」も再開!
磐船神社は、大阪府交野市私市に鎮座する神社である。大阪府と奈良県の県境、交野市から生駒へ抜ける国道169号線沿いを流れる「天野川」の川辺にある。
こちらの特徴は、船型の巨石をご神体とする神社であることと、岩窟巡りだろう。
岩窟巡りは、山から転がってきた巨石が天野川に折り重なるように横たわっていて、その巨石の隙間を昇ったり滑り落ちたりしながら進む一種のアトラクションのようなものだ。
磐船神社について
磐船神社の創建
磐船神社の創建年代は不明である。
弥生時代の後半。饒速日尊の6世孫であるところの伊香色雄(いかしこお)命が大和から磐船を抜け天野川流域に住み着き農耕文化を伝えた。伊香色雄命の一族が後の肩野物部氏となる。
その伊香色雄命なのか、その子なのか、いつの頃かわわからないが、祖神である饒速日尊を氏神として降臨伝説の地に祀ったであろうことは想像に難くない。
磐船神社の祭神
とううわけで、祭神は「饒速日尊」。
船型の磐座「磐船石」をご神体とし、その磐座に宿る神を崇拝するとういう「磐座信仰」の形式を今に残す。
その磐座に宿る神こそが、我らが饒速日尊なのである。
正式名称は、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)という、とんでもなく素晴らしい神名なのである。
先代旧事本紀によると、饒速日尊は、、、
- 天孫瓊瓊杵尊より先だって、
- 十種神宝をもち、
- お供を32名従えて、
- 空飛ぶ天の磐船に乗ってやってきて、
- 河内國の河上の哮ヶ峯に天降り、
- 日本という名を初めて発したとされる天孫
天孫(天照大神の孫)であり、十種神宝を持つということは天照大神のお墨付きがあるということであるからして、仰々しい神名であることも頷けるのである。
では、ここが降臨の地と言えるのかどうか、、、
- まずは、磐船神社の北西の山を哮峯といいます。(後付けが出来なことはないですが。)
- そして、太古の大阪平野は海で、交野付近まで入江になっていた。船で近づくことも容易だった。
- さらに、生駒山系の北の端で標高が低く、天野川が流れているので、難なく大和へ入ることができる。
- 極め付けは、船のような形状をした大きな大きな岩が、山肌からニョキっと突き出ている。
となると、ここを饒速日尊降臨の地としないわけにいかないのでる。
磐船神社のご利益
饒速日尊の持つ神宝の霊力で、起死回生、病気平癒のご利益を頂けること間違いなしである。
磐船神社 参拝記録
大阪府の交野市から天野川沿いに生駒山地に入り、奈良県に入る少し手前にトンネルがある。そのトンネルの手前を右に入ると、坂を上がったところ左手に「磐船神社」の看板が見えてくる。
▼下の画像は、奈良側からの撮影なので右手にある。
磐船神社を通りすぎて50mぐらいのところに、無料の駐車場がある。トイレも完備されているので、こちらに停めることをおすすめする。
境内の空きスペースに駐車してもいいのだが、神域に車で乗り入れることに抵抗感がある。よって。ワタシは遠慮しておくのだ。
鳥居をくぐって神域へ。
正面に赤い欄干の橋がある。それを渡ると社務所。と言っても普通の住宅である。
この橋の上、とても気持ちのいい場所だ。是非とも立っていただきたい。そして天野川を覗きこんでいただきたいのである。
下を流れる小川が本来の天野川。橋から上流方向を見ると、緑豊かなせせらぎが。癒される。
一方、下流を見ると、巨石がゴロゴロと。薄暗くて、神秘的である。
しばらく、ここで癒されることにしよう。
鳥居横の巨石。なにやら和歌が刻まれた石板を埋め込んである。そして、あまりかわいくない置物があったりして。
ちょっと興ざめチックに思えたんですが、しか~し!
この巨石の前、すごく穏やかな優しい気が漂っている。川からの気が、ここに溜まってる感じだろうか。ここも癒し効果ありだ。
ここまでは、すなわち境内の上流側(奈良側)半分は、穏やかや癒しのスペースということになります。
では、下流側(大阪側)半分は?というと、、、
不動明王が刻まれた巨石があった。神仏習合、山岳信仰の名残だろう。
般若心経と真言を唱える。過去いろいろとあって、不動明王と弘法大師は、ワタシを正しい道に導いてくれると信じてる。
その右に、お稲荷さん。
対岸に、巨石に刻まれた四体の仏像を発見。
大日如来・観音菩薩・勢至菩薩・地蔵菩薩。鎌倉時代に刻まれた。
実は、この巨石は平安時代には住吉四神をお祀りした磐座だったものを鎌倉時代に彫り直したらしい。。四体の石仏は本地垂迹の思想による本地仏。
では、なぜ住吉四神を祀ったのか。
物部氏と蘇我氏の宗教戦争で物部氏の宗家が滅亡してからというもの、その祖神である饒速日尊をお祀りすることがはばかられた時代があって、
河内の古い物部系の神社の多くは、饒速日尊をお祀りする代わりに、住吉神をお祀りしたり、神名を変えてこっそりとお祀りしたらしいです。。。
ということは、鎌倉時代には「ほとぼりが冷めた」ということなのだろうか。
このあたりは、川に近いということもあってか、先ほどの穏やか系の気とは違って、清涼感のある浄化系のパワーを感じることができる。
磐船石
一段降りて、いよいよ巨大な磐船とご対面!まっ、最初から見えてましたけどね。こんだけ大きかったら見えないはずないし。。。
でかいことより、この大きな大きな石が、なぜ倒れてこないのか?拝殿に支えられているとも思えない
させて頂きます。参拝は拝殿から。
二拝・二拍手・天津祝詞×3回奏上・一拝。体が前後左右に揺さぶられる感覚に身を委ねる。
岩窟巡り
拝殿のすぐ横に、岩窟巡りの入口がある。
磐船神社の名物アトラクションだ。これが目当てで来られる方が多いと聞く。。ワタシが滞在した小一時間の間に、10名ぐらいの方々が、この穴に吸い込まれて行かれた。
天野川の上に積み重なった巨石の間を、すり抜けて進んでいく「岩窟巡り」。
何年か前に、この岩窟内で事故死された方がいらっしゃった。痛ましいことである。
安全が確保されるまで岩窟巡りは閉鎖されていたのだが、再開されている。
しかし、
神社には、いろんな神霊がおられる。そして、岩窟の中は当然ながら暗く、川が流れているので当然ながら湿っぽい。。。これぐらいにしておこう。
実際、社務所で拝観料500円を支払う際に、その危険性の説明がされます。一人では入れてもらえない。
若いカップルが、キャッキャ言いながら吸い込まれていくのを確認してから神社をあとにした。少しく、うらやましく思いながら。。。
最後に
ワタシが若い頃、天野川は、この磐船神社のところで極端に川幅が狭くなってました。大水のときは、えらい事になってました。同じように、天野川沿いの国道168号線も、磐船神社のところで道幅が狭くなり、脱輪した車が止まってました。
今回、久しぶりに来てみると、国道は付け替えられてバイパス化され、天野川もトンネルを流れていくという具合に進化していました。
なので、昔に比べると、車は通りやすくなったし、境内を流れる水位は激減したものと思われます。
太古の昔に思いをはせると、
この磐船街道は、高低差という点では、暗峠や十三峠に比べると比較的楽な街道だったでしょうが、唯一ここだけが、両側から山がせまり、川が流れている、「難所」だったんじゃないかな。
増水すると、たちまち道が無くなってしまうわけですよ。
だから、ここの巨石を依り代にして神様をお迎えし祈願する。「川の神様、お鎮まり下さい」と。
また、ここら辺にいっぱいある巨石を見ると、もしかしたら、落石の多い場所だったのかもしれませんね。
だとしたら、「山の神様、石を落とさないで下さい」と祈ったのかもしれません。
また、現在の地形を見た時、磐船神社から大阪側は急な下り坂になってます。
川よって浸食される前の様子を思い浮かべると、、、そうです。ここに滝があってもおかしくないのです。
滝は神聖なる場所。ますます自然への信仰を感じずにはいられません。
このような自然信仰が、磐船神社の起源だったんじゃないかな~と思いました。
なんか、最後は小学生の作文みたいになっちゃいました(汗)
ありがとうございます。
- 所在地 大阪府交野市私市9-19-1
- 電話番号 072-891-2125
- 最寄り駅 京阪私市駅からバス(土日のみの運行)、近鉄生駒駅からバス
- 駐車場 あり 3台ぐらい
- 主祭神 饒速日尊
- 創建年 不詳
- 社格 なし
- ご利益 厄払い、仕事運
- 公式HP http://www.osk.3web.ne.jp/
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません