道明寺天満宮|藤井寺|道真公ゆかりの天満宮。ご利益はもちろん学業向上
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道明寺天満宮は、藤井寺市道明寺にある天満宮。
全国に多くある天満宮であるが、こちらは菅原氏の祖神を祀る神社を境内社にもつなど、道真公に縁の深い天満宮であるからして、特別なる天満宮と捉えていいと思う。
さて、天満宮と言えば梅。
こちらの境内には80種800本の梅の木があり、梅の名所として知られている。数えてはいないが、大阪天満宮の梅の木よりも、かなり多い。
道明寺天満宮について
道明寺天満宮 概要
- 所在地 大阪府藤井寺市道明寺1丁目16−40
- 電話番号 072-953-2525
- アクセス 近鉄南大阪線「道明寺駅」徒歩5分
- 駐車場 あり(無料)
- 主祭神 菅原道真公、天穂日命、覚寿尼
- 創建年 推:古墳時代
- 社格 郷社
- 公式HP http://www.domyojitenmangu.com/
MAP
道明寺天満宮 歴史
もともとは天満宮ではなく、土師神社であった。
土師神社の創建
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隣りの駅が土師ノ里であることからもわかる通り、このあたりは古墳時代に大活躍した「土師氏」の所領であり、土師氏の祖「野見宿禰」が、かつて遠祖であるところの「天穂日命」を祀った氏神「土師神社」(はじ じんじゃ)を創建した。
これが道明寺天満宮のそもそもの始まりとしよう。
野見宿禰
「野見宿禰」は相撲の祖とされつつ、垂仁天皇の御代に埴輪を発明して、天皇崩御に際する「殉死」という悪しき慣習をストップさせた人物。
この功によって、土師臣の姓を賜り、以降の皇室の古墳の造営や葬儀式関係を牛耳ることで勢力を拡大させたという。
ということから、古市古墳群の西のはずれに所領があったのだろう。
一方、堺市中区にも土師という地名が存在する。なんと、百舌鳥古墳群の西のはずれに位置するのである。
神仏習合時代
飛鳥時代に仏教が伝来すると、土師神社の境内に土師寺が建立された。土師氏の氏寺である。ここから、土師神社と土師寺は混然一体となる。
平安時代、その土師寺に道真公の叔母「覚寿尼」が入った。その縁で道真公は何度か土師寺を訪れたようだ。
冤罪による左遷の旅の途中にも立ち寄り、「覚寿尼」との別れを惜しんだという。
道真公死後の947年、道真公が残した木像を安置し、遺品をご神体として祀ったことから、土師寺は道明寺へと寺名を改めた。道明は道真公の号「道明」に因む。
一方、土師神社はというと、既に神仏混合されているからして、道明寺の境内にある土師神社という位置づけとなっていて、庶民からは「道明寺天満宮」と呼ばれるようになったことは想像に難くない。
明治維新以降
明治維新前後の神仏分離によって、道明寺と道明寺天満宮は分離することになる。
しかし、国家神道の時代においては、一般的に呼ばれていた「道明寺天満宮」という名称を名乗ることは出来なかった。
「宮」は、天皇や皇祖が祀られる神社しか名乗ることが出来ないし、道明あるいは道明寺など、寺院を連想させる名称も使用不可だったからだ。
戦後の昭和27年。国家神道の解体によって、やっと庶民になじみ深い「道明寺天満宮」を名乗ることが出来るようになったとのことだ。
道明寺天満宮の祭神
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上記のようなことから、菅原道真公、天穂日命、覚寿尼公が祀られている。
菅原道真公
平安時代の貴族で政治家。実力で右大臣まで昇りつめた大秀才であり、それが学問の神様といわれる所以だ。しかし、ライバルの讒言によって大宰府に左遷され、ほどなく死去した悲運の人である。
死を前にして「拝天山」に登り、自らの潔白を宣言した祭文を読み上げると、「天満大自在天神」と尊号が書かれた祭文が下りてきたという。
死後、都は度重なる天変地異に見舞われたり、疫病が蔓延したり。これが道真公の祟りであると言われ、京都北野に天満宮を創建することになる。
「日本三大怨霊」の一人とされている。(他、崇徳天皇・平将門公)
現在ではすっかり「国家鎮護」「学問の神様」として昇華された。とされている。
天穂日命
素戔嗚命と天照大神の誓約で生まれた5男3女のうちの次男。兄は天忍穂耳命。
出雲の国譲り神話に登場する。
「国譲りの交渉約として高天原から葦原中國に降臨したが、大国主命に心服して3年間戻らなかった。」
と、記紀では裏切り者のような書かれ方である。
出雲国造の祖であり、野見宿禰の祖、菅原家の祖である。菅原氏は、土師氏の一族でなのである。
覚寿尼公
覚寿尼公は、道真公の叔母にあたる。おそらくは、道真公の父「菅原是善公」の妹「菅原康子」だと思う。
道真公が覚寿尼公との別れに際して詠んだ和歌
「鳴けばこそ別れも憂けれ鶏の音の なからん里の暁もかな」
「鶏が鳴いて別れなくてはいけないことを悲しく思う。これが鶏が鳴かない里の朝であったなら・・・」
これより、道明寺に住む人々は鶏を飼わなかったという。
道明寺天満宮のご利益
もちろん、学業成就である。
道明寺天満宮 参拝記録
土師ノ里の駅から南へ徒歩で600m程で到着する。道案内板があるので、迷うことは無いだろう。
誉田八幡宮からだと、東門前を通る「東高野街道」を北へと進む。道明寺の駐車場がある四辻を右に曲がるとすぐに天満宮の社頭に出るだろう。
1km強の道のりだ。旧の街道であるからして細い道であるが、散策するにはこの程度がよい。
門前を通り過ぎて(東方向に)すぐのところに、駐車場への入り口がある。スロープを上ると上段の駐車場だ。無料。ありがたい。
盆踊りの櫓が組まれていた。
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一旦、社頭に戻ろう。
社頭
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いかにも、寺の山門の体である。かつてはここに土師寺と土師神社があたということだ。
土師窯跡の碑
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前述の通り、土師氏は殉死の代わりに埴輪を埋葬するという、画期的な葬儀方法を編み出した氏族。
ここで登り窯が発掘された。埴輪を作成したのだろう。
日本の陶業発祥の地ということで、大阪陶磁器同業組合によって石碑が立てられたという。
道明寺天満宮の神門
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かつては山門。今は神門。なのだろう。
内参道
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神門をくぐると、内参道が左斜めに伸びる。
祟り神を祀る神社の本殿は、鳥居の正面からずらして造営されると聞いたことがあるが、大阪天満宮は真正面だった。。。
大燈篭
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この大灯篭をはじめ、境内にはたくさんの燈篭が並んでいる。最古のものは1257年のもの。東大寺にあったものらしい。(結婚式場の庭にあるから、一般には見ることが出来ない)
手水舎の水口
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ちょっと残念な手水舎。
残念な点は2点。
- 一つは龍の水口。角が取れて無くなっている。ヒゲも取れているのか?(2018年7月末現在)
- 二つ目は、この手水舎のすぐ前にトイレがある点。本当にすぐ前である。臭う。
これでは、清められた感が少なからず減退するのである。
そして、境内全体に対するイメージにも影響を与えるのである。なぜなら、これが神社の姿勢の表われだと思うからだ。
本殿エリア
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「正一位太政 大威徳天神」だろうか。「天満大自在天」「日本太政威徳天神」など、道真公の神号はいくつかある。
ちなみに、死後に冤罪が晴れて賜った「正一位 太政大臣」を「威徳天」に冠した神号であろう。
臥牛
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鳥居をくぐると左に臥牛の石像、右に臥牛の銅像と、臥牛を納めている祠?がいくつか並んでいる。
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天満宮と言えば臥牛。「撫牛」と呼び撫でることで願いが叶うとされる。撫牛信仰だ。
死を目前にした道真公曰く、「私の亡き骸は、人が曳かずに牛に曳かせなさい。そして牛の赴くまま留まったところに埋葬すること。」
いわゆる遺言である。
道真公の亡き骸を埋葬場所まで牛に乗せて運ぶ道すがら、突然、牛が臥せってテコでも動かなくなった。
遺言の通り、牛が動かなくなったところのそばにある安楽寺に埋葬することにしたという。そこが安楽天満宮となり、大宰府天満宮となるのである。
狛犬
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なかなかもって、優美で流れるような曲線を持ちながらも凛とした佇まいが表現された、実に芸術的な狛犬である。青銅製と見えるこの狛犬は、1738年、北浜の西嶋氏による奉納とのこと。
拝殿
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これが、道明寺天満宮の拝殿である。ちょうどお宮参りの最中だったので、近くからの撮影は遠慮した。
大阪の神社にしては、檜皮葺きの屋根である。珍しい。
二拝二拍手一拝。
となりの社務所から職員さんがじっと見ている。ちょっとイヤな感じ。。。
境内社など
拝殿に向かって右側に朱色の鳥居がある。
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さらに先にもちらっと朱色がある。稲荷社の存在が予想できる。
さらに進むと、梅林で作られたトンネルがあった。春はさぞかし美しいだろう。
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トンネルのドン突きに稲荷社が出現。やはりである。
その手前に、空間が。。。
皇居遥拝所
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さすがに、この中には入らなかった。なんせ、汚いのである。この季節に落ち葉がこれだけ落ちているということは、全く清掃されていないということに他ならない。と思ったからだ。
和合稲荷社
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和合大明神、生田大明神、孫千代大明神の提灯がぶら下がっている。
いかにも自由な稲荷信仰らしい。
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紫の幕が。。。稲荷社は天満宮の管轄外なのだろうが。。。
さっきの皇居遥拝所もそうだが、道明寺天満宮では、こういうちょっとしたところに隙を感じるのである。実に惜しい。
ここから先も、隙が感じられる箇所があったが、もうこれ以上は言うまい。
ここから梅林を取り囲むように、いくつかの摂社・末社がある。
八嶋社
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石造の小祠。594年に土師寺を建立した土師八嶋を祀っている。すなわち道明寺を建立した人である。
白光社(しらみつしゃ)
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この提灯に掲げられた三鱗の紋は、まさしく蛇神を祀るものであろう。
霊符社
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天地開闢で現れた「天御中主神」を祀っている。砂神様と称され土地の守護神としても崇められている。
観梅橋から見る本殿
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梅林の真ん中に「観梅橋」が設置されている。
梅が満開の頃には、梅の花で出来た雲に乗ったような気分になるのではないだろうか。そして、ここいら一帯に、梅の香りが充満するのだろう。
来年の3月3日「桃の節句」。絶対に来ようと思った。梅林拝観料300円也。その値打ちは絶対にあると見た!
裏門
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梅林に面した、本殿の裏門。道真公はここから梅の花を愛でているのかもしれない。
白太夫社
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白太夫は、一説には伊勢の神宮「外宮」の神官「渡会春彦」であるとも。
渡会氏の子宝祈願のお蔭で道真公が誕生したという縁で、誕生直後から菅原道真の守役であったと伝えられる。
若いころから白髪であったために白太夫の名があるという。
元宮 土師社
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元宮だけあって、別格の扱いである。
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割拝殿の向こうに朱色の三連の社殿が見える。
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祭神は、天穂日命・天夷鳥命・大国主命の三柱である。
天穂日命は前述の通り。天夷鳥命は天穂日命の御子。大国主命は、、、
ここに、記紀とは違う天穂日命の出雲国譲りの説話を簡単に紹介しておこう。そこに、この三柱の神々が揃って登場するからである。
天穂日命の末裔とされる出雲国造が天皇への忠誠を誓って奏上する「出雲国造神賀詞」によると、
遠祖「天穂日命」は、高御魂神(たかみむすび)の命により、地上の様子を偵察し復命して申し上げました。
「地上は凄まじく荒れ狂う国でした。しかし、私が皇御孫が安穏平和な国として統治することが出来るよう、すべての荒ぶる神を平定して差し上げましょう」
そして、天夷鳥命(息子)に布都主命(経津主)を副えて派遣し地上を平定せしめました。大穴持神(大国主)も心穏やかに従い、大八嶋統治の大権を譲渡すると誓約しました。
記紀における裏切り者の天穂日命の姿と全く異なる記述に驚かれたことと思う。こちらでは、天穂日命は大活躍なのである。
また、国譲り神話の主役ともいうべき「交渉役」が、日本書紀では経津主命と武甕槌命、古事記では建御雷神と天鳥船神のコンビだったのが、天夷鳥命と布都主命(経津主命)のコンビとなっている。
どちらが真実か、それは誰にも分らない。
しかし、ここは天穂日命を遠祖と仰ぐ土師氏の氏神である。どちらを真実とするべきかは、明白であろう。
道明寺天満宮は前方後円墳にあった?
さて、道明寺天満宮を空から眺めていたら(google earthで)、こんな形が浮かび上がってきた。
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画像右下が道明寺天満宮である。周囲の道路に細い黄色の線を入れてみた。
前方後円墳の形をしているように見えなくもない。允恭天皇陵と同じ角度で、少し小振りな。
妄想である。。。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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