石上神宮|奈良|国内屈指のパワースポット!七支刀のお守りに、蘇り・起死回生の霊力を込める!
奈良県天理市、日本最古の街道「山の辺の道」の北端に位置し、龍王山と布留山の西麓に鎮座する石上神宮。日本書紀によると、伊勢神宮とならんで日本最古の神宮号を冠した神社とされる。
延喜式神名帳には「石上坐布都御魂神社」(いそのかみにいますふつのみたま)と記述さる名神大社であり、二十二社の中七社に列せられる、霊験あらたかな神社である。
他にも、文献によっては、石上坐布留御魂神社・布留社・石上神社・石上布都大神・布都奴斯神社・石上振神宮・石上社などがある。
「石上」に続く文字として「布留」もしくは「布都」あるいは「布津奴斯」の3種類あるのがわかる。実は、この3種類が祭神なのであるが、どれを「主神」とするかで神社名が異なる。その文献を編纂した者の主観なのか、それぞれの時代の価値観の違いなのか、、、
石上神宮について
石上神宮の創建
神宮の略記によると、崇神天皇の勅命により、「饒速日命」の御子であり物部氏の祖とされる「宇摩志摩治命」の6世孫「伊香色雄命」が宮中で祀られていた韴霊剣と十種瑞宝布留の高庭に移して奉祀したのが始まりとしている。
以来、石上神宮は神宝としての武器を収める武器庫とさた。各地で服従させた部族から押収した神宝としての武器を収容するのである。戦利品倉庫のようなものであろう。
そんな武器庫の警護を担ったのが、朝廷の警察機関であり軍事氏族であった物部氏。そういうことから、石上神宮は物部氏の総氏神とされたようだ。
石上神宮の祭神
布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)
布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)に宿る神霊。
布都御魂剣とは、武甕雷神(たけみかづちのかみ)が、国譲りの時に持っていた剣。神武東征の際、熊野で苦戦した神武に高倉下を通じて遣わされた。国土の平定に使われた剣である。
布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)
十種瑞宝(とくさのみずたから)に宿る神霊。
十種瑞宝とは、饒速日尊が天照大神から授けられたとされる神宝。死人を蘇らせる霊力を持っているといわれている。
布津斯御魂大神(ふつしみたまのおおかみ)
天十握剣(あめのとつかのつるぎ)に宿る神霊。
須佐之男尊が八岐大蛇を退治したときに使われた剣といわれている。
石上神宮の配神
配神に、宇摩志摩治命(うましまじのみこと)、五十瓊敷命(いにしきのみこと)、白川天皇、市川臣命 (いちかわおみのみこと)が祀られている。
宇摩志摩治命(うましまじのみこと)
神武天皇に十種神宝を譲り、また、これを使った呪術と物部部族の軍事力でミカドの治世に貢献した人物。その後の物部氏の繁栄の礎を築いた。
五十瓊敷命 (いにしきのみこと)
垂仁天皇の御子である。皇位にはつかず剣を造っては石上神宮に納めた皇子とされている。よって石上神宮の神宝は、次第に五十瓊敷命が掌握することになる。この権力が後に物部氏の手に渡ることになるのだ。
白川天皇
石上神宮を崇敬した天皇である。宮中の神嘉殿を拝殿に寄進した。
市川臣命(いちかわおみのみこと)
石上神宮社職の始祖である。その子孫は「布留宿禰」と称し、物部氏に副って祭祀を司った。
御本地(禁足地)
拝殿の奥に御本地(禁足地)がある。
ここは2000年の間、いかなる人も入ってはならない場所とされてきた。
御本地(禁足地)の中央には、主祭神のご神体が埋斎されており、配神は拝殿に祀られていたのである。
明治時代になって、国の許しを得た大宮司さんが初めて御本地(禁足地)を掘り起こしたところ、やはりそこには、ご神体の剣が埋斎されていたそうだ。
当然ながら、一般参拝者はその場所を見ることすらできない。
石上神宮の御利益
十種瑞宝(とくさのみずたから)に宿る神霊のご神徳により、起死回生の御利益を頂きたい。
また健康長寿・病気平癒の御利益も頂けるであろう。
そのほかにも除災招福・百事成就の守護神として信仰を集めている。
石上神宮 参拝記録
公共交通機関では、なかなかアプローチしにくい立地である。車でのアプローチであれば、天理教本部の近くに案内板が出ている。山に向かって進むと、石上神宮がある。
駐車場は無料である。トイレも完備されている。
駐車場は鳥居と本殿エリアの中間にあるため、一旦徒歩で駐車場から出て、あらためて一の鳥居から訪問しよう。
大鳥居
さあ、表の鳥居に回り込む。鳥居から入場するのが筋ということもあるが、鳥居をくぐると空気が変わるという、神社参拝の醍醐味を味わいたいからである。
しかも、この石上神宮は、かの聖徳太子がこの鳥居をくぐったときに、「ただならぬ気配を感じる」とおっしゃったという逸話もあるのだ。聖徳太子は実在しなかったとも言われているが。。。
ご覧の通り立派な鳥居である。存在感がハンパない。材木の一つ一つが太い。そして、なんとも言えない照りがある。そして神額が極めてデカイ!
とにかく重厚である。
近づいていくと、鳥居をくぐる前から冷気が迫ってくる。シャキっとする感覚だ。活力アップのパワースポットである。
東天紅
先に進もう。ニワトリがたくさん飼われている。神様の使いである。
このニワトリは東天紅。中華料理屋のような名称だが、この鳥は天然記念物。
長鳴き鳥の一つで、夜明けの東の空が紅に染る頃に天性の美声で謡うところから命名されたという。
私が入っていくと、コケコッコーと歓迎ムードだ。ニワトリの鳴き声を聞くと良いということであるからして、いい感じだ。
境内社
牛の銅像にも挨拶して、まずは境内社から参拝しよう。
石上神宮の境内社の大部分は、本殿エリア回廊の南の外側、本殿よりも一段高い正面の斜面に、西向きに鎮座する。対して本殿は南向きである。
見方によっては、本殿が境内社群を拝しているようにも見える。しかし、それはあまりにも穿った見方であろう。
ちなみに、本殿ー拝殿ー楼門を通る直線を延ばしていくと、なんと三輪山の山頂磐座に到達するのである。
しからば、本殿は三輪山を拝していると言えよう。
出雲建雄神社の「拝殿」(いずもたけおじんじゃはいでん)
拝殿前から階段を上がると踊り場のようになっていて、その右側に「出雲建雄神社拝殿」がある。
国宝だ。中央が土間で通り抜けられるようになっている「割拝殿」という様式である。
現存する「割拝殿」としては最古の物件で、元々は、石上神宮の南にあった内山永久寺の鎮守の住吉社の拝殿であったが、火災で住吉神社の本殿が焼失し、廃仏毀釈で寺も廃寺となったため、こちらに移築されてきた。
国宝であるがゆえに、この拝殿から拝することはできない。この写真は拝するべき社側から拝殿を見下ろした図である。
出雲建雄神社
国宝の拝殿の向かい側はさらに高台になっており、そこに4つのお社が見える。
その4つのお社の右側から2番目が、「出雲建雄神社」で草薙の剣の荒御魂「出雲建雄神」を祀っている。
草薙の剣は、尾張氏の氏神である熱田神宮のご神体である。
尾張氏は海部氏と並んで、物部氏の中でも最上格の氏族のひとつである。そして草薙の剣は、三種の神器の一つである。石上神宮の主祭神に負けないぐらいの力を持った神様であり神剣であろう。
その荒御魂が天武天皇の御代にこの地に現れて、「皇室と諸民を守りに来た」と言って自ら鎮座なされたとの言い伝え。海部氏・尾張氏と縁の深い「天武天皇」が熱田神宮から草薙剣を持ってきてしまったのだが。。。
尾張氏と天武天皇の関係
ちなみに、草薙剣・熱田神宮・尾張氏と、天武天皇の関係はというと、壬申の乱のとき大海人皇子を援助したのが尾張氏。その大海人皇子が後の天武天皇である。
さて、鳥居からここまで、極めて厳粛かつ重厚なる気を感じつつも、どこか癒しの気も合わせ持った、いわば女性的な印象であった。
しかし、隣に鎮座する「天神社・七座社」からガラッと雰囲気が変わるのだ。次のぺージをお読み頂きたい。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません