香椎宮|福岡市|開運・縁結び・不老水など香椎宮のパワースポットを一挙公開!
香椎宮(かしいぐう)は、福岡市東区香椎に鎮座する官幣大社に格付けされた権威ある神社であり、かつ仲哀天皇の「廟」でもある。
現在も、国内16社しかない勅祭社の1社であり、香椎宮は宇佐神宮とともに10年ごとに勅使が遣わされる。まさに九州の大社である。
そんな香椎宮の歴史をご紹介するとともに、開運パワースポットや不老長寿のパワースポットなどの見どころを一緒に見ていきたいと思う。
しばらくの間、お付き合いいただければ幸いだ。
香椎宮について
香椎宮の概要
- 所在地 福岡県福岡市東区香椎4-16-1
- 電話番号 092-681-1001
- 主祭神 仲哀天皇、神功皇后
- 創建年 724年(200年)伝
- 社格 官幣大社、勅祭社、別表神社
- 公式HP http://kashiigu.com/
アクセス
- JR香椎線「香椎神宮前」下車4分
車でのアクセス・駐車場
- 車でのアクセスは良好
- 駐車場あり
MAP
創建と歴史
西暦200年
熊襲征伐の大本営として「橿日宮(訶志比宮)」を造営し滞在していた仲哀天皇が崩御された。そのとき神功皇后が「橿日宮(訶志比宮)」に祠を創建したのが始まりという。
西暦724年
時は流れ、神となった神功皇后の神託が降りて、聖武天皇の命により神功皇后の「廟」が造営され、仲哀天皇の神霊も遷され「香椎廟」と称した。
「廟」であるからして墳墓である。よって神社という捉え方はされていなかったのだろう。延喜式神名帳には見えない。
平安時代末期か鎌倉時代初期
香椎廟が普通の神社と同じように扱われるようにり、祭神から仲哀天皇が除かれ神功皇后の一柱とされるようになった。
同じくして、除かれた仲哀天皇の神霊を祀る摂社が新たに創建された。これが「古宮大明神」である。
大正4年
大正になってやっと、仲哀天皇の神霊を神功皇后が鎮まる本殿に合祀。すでに相殿に八幡大神と住吉大神が祀られていたようで、これで現在の4柱体制が完成した。
大正4年と言えば日韓併合から5年。古代の三韓征伐の主役達を祭神に並べた形である。朝鮮半島統治を強く意識した祭神と感じざるを得ない。
香椎宮の祭神
主祭神は、仲哀天皇と神功皇后の二柱。配神に、応神天皇と住吉大神を祀る。
14代天皇。熊襲征伐のために福岡に宮を置く。
その時、住吉大神の「熊襲より新羅を討て」との神託を疑ったため、神の怒りに触れて崩御した。
仲哀天皇の皇后にして、第15代応神天皇の母。
仲哀天皇の死後、住吉大神の神託に従って三韓征伐を行った勇猛果敢な女帝である。凱旋後に応神天皇を産んだことから安産の神として信仰を集める。
第15代天皇。神功皇后のお腹の中にいるときに、住吉大神から「天皇になるべき子」といわれたため、生まれながらにして天皇になる子「胎中天皇」とも称された。
秦氏が奉じる外来神「八幡神」と習合し、さらには仏教とも習合して八幡大菩薩と呼ばれた。
全国の八幡宮・八幡神社の祭神で、武士からの特に源氏からは絶大なる信仰を集めた。
伊邪那岐命の「禊」で現れた三柱の神、底筒男命・中筒男命・表筒男命の総称である。よって祓いの神と言えよう。仲哀天皇を死に至らしめた恐ろしい神であり、三韓征伐を守護し海上を安全に導いた強い神である。
全国の住吉神社に祀られている。
香椎宮のご利益
香椎宮発表のご利益は次の通り。前述の祭神紹介と照らし合わせると合点がいくご利益となっている。
- 仲哀天皇・・・国家安寧・世界平和・家運隆盛
- 神功皇后・・・外交・安産育児・芸能上達・土木治水
- 応神天皇・・・国家繁栄・厄除開運・武運長久・成功勝利
- 住吉大神・・・清祓・除災招福・海上安全・交通安全
香椎宮 参拝記録
博多駅から鹿児島本線の区間快速に乗って3駅目「香椎駅」で香椎線に乗り換える。
がしかし、乗り換え待ち時間が20分もある。少しく迷った結果、香椎駅から徒歩で目指すことにした。
改札を出て通りを左へ。線路沿いに歩く。途中、川が流れていた。小魚が沢山泳いでいる。大阪にこのような風景は無い。
川沿いを歩くことにした。香椎高校の運動場を左に見ながら歩くことになる。しばらくすると右へ道成り?に。
大木の並木道に出た。
香椎宮から西に伸びる参道で大楠の並木道である。かつては朝廷からの勅使しか通ることが出来なかった道だという。よって勅使道と呼ぶ。
ここまでくれば、もうすぐだ。駅から15分ぐらいで社頭に到着した。
石造りの神橋を渡り神域へと入る。
ちなみに、この鳥居の右手に大きな無料駐車場がある。車で来ても安心だ。
弁財天
まずは左手の池に弁財天社が鎮座している。祠の中には弁財天像が安置されている。
現在の祭神は、「市杵嶋姫命」。ご利益は、財運・開運招福・芸能上達。香椎宮八所の一つとして、創建当初から祀られているという。
猿田彦大神の石柱
内参道の途中に「猿田彦大神」と刻まれた石柱が、ぽつねんと立っている。
天狗のモデルにもなっている猿田彦命は、瓊瓊杵尊の降臨の際に道案内役をした国津神。伊勢国の大地主神である
かつては、道標として、あるいは魔除けとして、全国各地の村々の入口に猿田彦命を祀る石柱が立てられていたそうだ。この石柱も、どこかの村にあったものをこちらに移設したのだそうだ。
二の鳥居
さあ、二の鳥居から一段高い場所に楼門が見える。自然と気が引き締まるというものだ。
参道の石畳の筋をご覧いただきたい。鳥居の部分で「くの字」に曲がっているのがわかる。祟り神を祀る神社は、参道が曲がっていると聞いたことがある。
仲哀天皇は祟り神ではないが、ある意味、この神社も「鎮魂」の意味合いが強いとは思う。
楼門
鳥居をくぐると石造りの神橋があった。それを渡ると古めかしい楼門がそびえている。檜皮葺総欅白木造りで、戦火によって焼失したものを、明治36年に再建したのだとか。
明治36年より前に起こった戦火とは?西南戦争のことだろうか。。。
などと考えつつ、手水舎で手口を清めよう。神社の規模の割に小さな手水盤である。
開運のパワースポット
楼門をくぐり手水を越えて、狛犬がある場所まで来たら一旦立ち止まって頂きたい。ここが開運のパワースポットだといわれているからだ。
開運のパワーを頂く作法をご紹介しよう。
①この「吽形」の狛犬を触る。「阿形」ではない。くれぐれも「吽形」を触って頂きたいのである。
②手水舎前にある、一枚だけ色が白い石畳の上に立つ。
③楼門を見る。
見た風景が、下の画像。
楼門越しに鳥居が見えるだろう。門の中に鳥居。。。門の中に⛩。。。この景色は「開」という字を表すのである。そして、先ほど吽形の狛犬を触った。これは「運」を表わす。
もうおわかりだろう。この一連の作法により運が開かれたのだ。すなわち開運のパワースポットなのである。
うーむ・・・・・・
さあ、ここから本殿の一段下、折れ曲がる参道の曲がり角にある、パワースポットの呼び声高い「綾杉のご神木」へ、さらに本殿域へと進むことになる
それは次回のページにて。。。
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