サムハラ神社|大阪|災難除けに効果絶大な指輪守りの購入方法とは?

2016年9月29日

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サムハラ神社は、大阪市西区立売堀のビジネス街のど真ん中に鎮座する。

事故などの災難から守って頂けるという「指輪お守り」が入手困難なほどにご利益がある!ということで一躍有名になった神社だ。

しかしながら、大阪生まれの大阪育ちである私でありながら、つい先日まで「サムハラ神社」の存在を知らなかったのだ。

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サムハラ神社について

サムハラ神社 概要

  • 所在地    大阪府大阪市西区立売堀2丁目5−26
  • 電話番号   06-6538-2251
  • 主祭神    天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神
  • 創立年    昭和25年
  • 社格     なし
  • ご利益           災難消除、厄除け
  • 公式HP   

サムハラ神社 アクセス

MAP

最寄り駅

  • 市営地下鉄中央線 阿波座駅(徒歩5分) 
  • 鶴見緑地線 西大橋駅(徒歩6分)

駐車場

  • なし

サムハラとは

神社の由来書によると、、、

「サムハラ」とは、造化三神の総称であり、無傷無病・延命長寿のご神徳がある

とされている。

ちなみに、「サムハラ」の字は、次のように書く。

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これは漢字ではなく神字らしい。それぞれの字を分解して、現在の漢字の意味から想像するに、

「辛さを拾う」「払う」「辛さを拾う」「包み込む」
すなわち、「辛さを払い、包み込む」力をもつ言葉

であるといえるのではなかろか。

おそらく、この文字を創作した?人物が、あるいはその時代の人々が認識していたサムハラの意味は、そういうことになるのだろう。

では音(読み)の由来については、どうだろうか。

サンスクリット語の「サンヴァラ・三跋羅」===お釈迦様が作った戒律・それを守ることで守護される様。

あるいは、

サンスクリット語の「sam hara」===「sam サム」集める・まとめる、「hara ハラ」取る・取り去る。すなわち「まとめて取り去る」。

いずれにしても、「サムハラ」の4文字が、災難をまとめて払いのけてくれるようだ。まさに、生命の守護神である。

サムハラ神社の祭神

天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神の三柱の大神。いわゆる「造化三神」である。

「造化三神」を祀る神社は多くはない。三柱を同時に祀る神社という意味で。

皇居内の八神殿においても、高皇産霊神と神皇産霊神は祀られているが、天之御中主神は祀られていないのである。

「石上神宮」のパワースポットであるところの摂社「天神社」高皇産霊神と神皇産霊神のみが祀られている。

方や、「水天宮」には天之御中主神は祀られているが、他の二柱は祀られていない。

記紀によると、三柱とも「天地開闢」の際に成られ、すぐにお隠れになられた万物生成の神で、男女の別はないとされている。

とはいえ、その後も記紀には、高皇産霊神、神皇産霊神の二柱は、ちょくちょく登場する。

さらに、男女の別はないとされているが、高皇産霊神は、天照大神の参謀的な立ち位置で男神的な側面を持っているように思う。

対して神皇産霊神には大国主を蘇生させたように、母性を思わせるような神話があり、女神的な側面を持っているように感じるのである。

かたや、天之御中主神には個性が感じられない。一度現れただけであるから当然なのだが。

どうも、造化三神としてグルーピングされてはいるが、役割は異なるように思う。

私は、天之御中主神はその無機質さから、「全てを形づくる素=原子のような素粒子」であるような印象を持つのである。もしくは、ビッグバン。
そして、その粒子を集めて万物を創造する役割が高皇産霊神と神皇産霊神ではないかと。

では、高皇産霊神と神皇産霊神の役割の違いな何なのか。。。わからないのである。

岡山県津山市加茂に住む田中氏は、金毘羅宮の摂社であった小さな祠を崇拝していた。この祠が元々の「サムハラ神社」であるのだが、その荒廃した姿に心を傷め、昭和10年に自費で改修し祀ることにした。これが始まりである。

翌年、県から立ち退きを命じられたため、一旦、撤去を余儀なくされた。

戦後、加茂の祠は再建され、大阪の中之島にあった豊国神社の隣接地に神社を自費で創建

昭和36年大阪市役所の増築のため、またまた遷移を余儀なくされ、現在の立売堀に鎮座した。

元々の加茂のサムハラ神社は、大阪サムハラ神社の「奥宮」とされている。

サムハラ神社のご利益と、指輪効果の実例

全ての災難から身を守ってくれる、災難消除のご神徳である。厄除けともいう。

ご神力に関する逸話をいくつか上げると、、、

  • 加藤清正が「サムハラ」の四字を彫り込んだ愛刀を持って朝鮮出兵。愛刀のおかげで弾に当たらずに無事生還できた
  • 太平洋戦争のおり、サムハラと書かれた短刀が、守り刀として各地で販売された。
  • 浜木綿子は、舞台の奈落に落ちるとう事故に遭ったにもかかわらず、無傷ですんだ。
  • 小倉屋山本の社長は、車にはねられたが、「サムハラ」のお守りによって無事であった。
  • 印刷機に手を巻き込まれたが、指輪お守りに機械の刃があたり怪我をせずに済んだ。指輪は真っ二つに割れたらしい。

などなど、

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サムハラ神社 参拝記録

大阪地下鉄長堀鶴見緑地線の西大橋駅を下車。1番出口を出て、銀杏並木が続くなにわ筋を北へ上がる。銀杏の実が路上に散乱しており、独特な香を放っている。

ちなみに、地下鉄中央線の阿波座駅を利用した方が若干近いか。

さて、歩くこと5分。立売堀1西の交差点を左へ曲がる。

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そこから1分ほどあるけば「サムハラ」の看板を発見するだろう。

しかしここは裏口なので、通りすぎよう。次の角を左に回り込むと、正面の鳥居前に到着する。

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サムハラ神社 鳥居前

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サムハラ神社 手水舎

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サムハラ神社 拝殿

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サムハラ神社 本殿裏側

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サムハラ神社 創建者 田中翁の胸像

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非常にコンパクトな神社である。鳥居の右手に社務所がある。

サムハラ神社の指輪お守り

大人気の「指輪お守り」。なかなか手に入らないといわれているのだが、今日は「指輪のお守り」が入荷しており、10号から21号まで、飛び飛びではあるが数種類の在庫がある旨の張り紙があった。1個3,000円。お安いものである。

ちなみに、在庫の有る無しは電話確認OKのようである。社務所にはひっきりなしに電話が掛かってきていた。
(電話番護は、記事の末尾に掲載)

社務所の前では、「今、あるで~。お前、何号や~?」と携帯電話で誰かに指輪の号数を確認している人たちが数人。それでなくとも狭い境内である。ちょっと、鬱陶しい。

そもそも、本人にしか販売しないシステムなはず。そのシステムがいいのかどうかは別にして、ルールは守るべきと思うのは私だけであろうか。

もちろん、病気のために、来たくても来ることができない人も中にはおられるだろう。

実際、入院中の娘さんのために藁にもすがる思いで「指輪守り」を購入しようと、社務所の方に食い下がるお母さんがおられた。

おそらく大手術を控えているのだろう。伝わってくる。

私は見てられなくて、社務所を出たのだが、ちょっと心配。購入できただろうか。購入できたと思いたい。

これらを横目に、拝殿にて参拝。天津祝詞を奏上する。しかし。。。

最後に

今回の参拝記録は、ほぼ画像のみ。パワーや神気を感じた云々のコメントが一切ないことにお気づきであろう。なにも感じられなかったのである。

私は、完全に心を乱されてしまった。何に乱されたのか。わからない。先のルールを守らない人たちの立ち振る舞いなのか、必死な母親の姿なのか。境内に渦巻く、人間の煩悩か。

しかし、ここで気づくのである。自分の心はどうなのか?と。そのようなことで平常心を失う自分の弱さ、あるいは自我の強さ、すなわち「自らの煩悩」が心を乱すただ一つの原因なのではないかと。

こういうことに気づかせてくれるのも、パワースポット・神力なのかもしれない。

自我を抑えられるようになった時、私も「指輪のお守り」を購入しようと思う。

ありがとうございました。

高皇産霊神と神皇産霊神の創造パワーなら、コチラの記事もご覧ください。おすすめの神社です!
石上神宮 最強!産霊の神々が降臨する起死回生のパワースポット!

追記(2021年6月)

あり得ないことが起きた。

祈祷きとうを装って女性の胸などを触ったとして、準強制わいせつ罪に問われた大阪市西区のサムハラ神社の元神職の男(70)に対し、大阪地裁(荒木精一裁判官)は1日、懲役2年、執行猶予4年(求刑・懲役2年)の有罪判決を言い渡した。

読売新聞

被害者は3人らしいが、3人で留まるのだろうか。

当記事の参拝記録において私は、

「今回の参拝記録は、ほぼ画像のみ。パワーや神気を感じた云々のコメントが一切ないことにお気づきであろう。なにも感じられなかったのである。 」

と書いた。

そしてその理由を、「私の精神の未熟さであろう」と断じたのだが、そうでもなかったのかもしれない。

この記事を書いたのが約5年前。ちょうど、この禰宜が着任した時期だ。神社そのものがパワーを失っていたのかもしれない。

今後に期待したい。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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