江戸城跡|皇居|龍穴パワーを、風水・陰陽五行・神仏のご加護でさらにパワーアップさせた江戸城で元気をもらおう!
今回は、皇居東御苑をご紹介させていただこうと思う。
最寄り駅は、地下鉄大手町駅。大手町駅と言っても複数の路線があり、地方の我々にはややこしい。最も近いのは、千代田線であろうか。半蔵門線なら「将門塚」に参拝してから皇居に向かうのがよろしかろうと思う。
とにかく、大手門を目指そう。
江戸城跡 訪問記録
大手門
受付で、入場札をもらう。無料だ。帰りに入場札を返さないといけない。失くさないように。
同心番所
大手三の門を警固する与力・同心の詰所である。同心とは、下級役人の総称。
百人番所
長さ50メートルを超える百人番所。大手三の門を守衛した江戸城本丸御殿最大の検問所である。鉄砲百人組と呼ばれた根来組、伊賀組、甲賀組、廿五騎組の4組が交代で24時間体制で詰めていたという。
そういえば、新宿大久保あたりに百人町という町があったと記憶する。確か鉄砲隊の住まいであったような。。。
大手中之門跡
綺麗に加工された花崗岩が隙間なく積み上げられている。「切込みはぎ」と呼ばれる技法らしい。
火災で黒く焦げた石垣
江戸の町は、何度かの大火に襲われた。江戸城も例外ではない。中之門も焼け落ちたのであろう。門などの木造の建築物があったであろう箇所の石垣が黒く焦げている。白い綺麗な石は、補修の跡と見た。
大番所
先の番所よりも上級の与力・同心によって警備されていたとされる。江戸城本丸への最後の砦であるからして、警備上の役割はきわめて重要であった。
ここから坂道を上がると、すぐに本丸御殿跡の大きな広場に出る。
本丸エリア
本丸御殿跡
ここは、あとでゆっくりと歩くことにしよう。
広場に出たら、左に曲がる。左へ左へと進むと、、、
富士見櫓
前述の通り、天守焼失のあと天守の代わりに使用された櫓である。本丸の東南の角の、一際高い場所に建てられている。1659年の建築である。
数年前に訪れた際は、鬱蒼とした森で櫓そのものも見えずらかったと記憶する。かなりスッキリした。
櫓内部の見学は出来ないようだ。残念である。ここからの景色を見てみたいものだ。
松之廊下跡
本丸エリアの縁を歩くと、忠臣蔵でおなじみの「松之廊下」があった場所が石碑で示されている。
富士見多門
多門とは、長屋様式の防御施設である。桝形の左右に設置することが多い。
石室
火災の際に、大切なものを避難させる場所として使用されたのではないかと言われている。
天守台エリア
天守台
本丸の北端に位置する天守台。東西41m、南北45m、高11mの石積みだけが残る。
この天守台は、明暦の大火で焼失したあと、前田家によって再建されたものである。
ただ石垣の内側に一部焼失時の石材が使用されているように思う。真っ黒に焼け焦げている上に、外側の積み方とは異なる。大きさも不揃いである。というものの、確証はない。
▼焼け焦げた石材が再利用されたと思われる天守台の内側。
天守台から大奥御殿跡を望む
この広場に、こちらから見ると一番手前に大奥、次に中奥、一番向こうに表があった。
表が政務、中奥が将軍の生活エリア、大奥が将軍の正室・側室・女中などの生活エリアである。
天守台から日本武道館を望む
天守台から北を見ると、武道館が見えた。天守台からでこの景色。
天守閣があれば、何が見えただろうか。
この天守台の上は、常に風が吹いている。気持ちがいい。今回は曇りであるが、炎天下であっても、ここは暑さを感じないのだ。リラックスできるスポットだ。
本丸広場
さあ最後に、芝生の広場を縦断して帰ろう。
もちろん裸足で歩きたい。横になるのもいいだろう。転がるのも良し。
おそらくすべての人が、気持ちいいと感じるはずである。ゆっくりしたくなるはずだ。癒されるはずだ。
私もそうしたかったのだが、無性にトイレに行きたくなった。残念である。またの機会にしよう。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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