竹渕神社|境内全体に水の気を感じる、神武天皇ゆかりの古社。ある意味、パワースポットと呼べる場所である。

2017年6月28日

竹渕神社は、八尾市竹渕2丁目に鎮座する、由緒ある神社である。

周囲は集合住宅や中小企業の向上や倉庫が立ち並ぶ、閑静とは言い難い地域である。

さて、竹渕と書いて「たこち」と読む。これ八尾市民の常識と思っていたのだが、正式には「たけふち」と読むらしいことを、つい先日知った。

電柱に貼られている住所表記にも「竹渕(たけふち)2丁目」などと、フリガナが記載されていた。そうなんだ。

しかし、神社と小学校だけは「たこち」と読むらしい。「たけふち神社」では、違和感がある。

どっちでもよいと思われるだろうが、竹渕の地名というのは、それはそれは由緒ある地名であるからして、放っておいていいわけがないのである。

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竹渕神社について

竹渕神社 概要

  • 所在地   大阪府八尾市竹渕2丁目154
  • 電話番号  06-4302-5056
  • 主祭神   天照大御神
  • 創建年      不明
  • 社格   府社
  • 公式HP    

竹渕神社 アクセス

MAP

最寄り駅

  • 地下鉄谷町線「出戸駅」徒歩12分

駐車場

  • なし

竹渕の由来

なんと神武東征に遡る。

のちに神武天皇となる「磐余彦」、日向国を出発してから何年もの歳月を費やして、大和国に入るべく河内国に上陸。

まずは生駒山地と金剛山地の境目「龍田越え」を敢行するが道険しく断念。

次に「暗峠越え」もしくは「磐船街道越え」を目論んで、生駒山地沿いを北上した。

現在の東大阪市日下あたりで、待ち構えていた長髄彦軍と遭遇し戦となる。磐余彦軍は完敗し退却を余儀なくされた。

長脛彦は執拗に追いかけてくる。おそらくは古大和川沿い、平野川沿いを逃げただろう。

ちょうど、この地に来た時、大きな竹藪を発見。磐余彦軍は竹藪に隠れ込む。

長髄彦も竹藪に入り、磐余彦を探す。

竹藪の中には大きく深い淵があった。さてはこの中に潜んでいるのだろうと、長髄彦はその淵に部下を潜らせて探させた。しかし、磐余彦はどこにもいない。

長髄彦は、これは神の仕業かと恐れおののいて退却していった。

竹渕神社由来書 より

磐余彦はこの地にしばらく逗留した後、熊野から大和に入るべく東征を続けたという。

「竹藪の中の淵」だから「竹渕」である。

竹渕神社の祭神

天照大御神を祀っている。

日本神道の最高神で日神。女神であるとされている。太陽神が女神?これには諸説あるが、話がややこしくなるのでここでは割愛しておくのがよかろう。というか、私自身よくわからないのである。

伊弉諾尊の禊払で、左目を漱いだ時に生まれた。この時、右目から月読命が、鼻から素戔嗚尊がうまれ、合わせて三貴神と呼ばれる。

天照大御神と素戔嗚尊の誓約(うけい)によって生まれた5柱の男神の内の「天忍穂耳命」の子孫から初代「神武天皇」が出ることから、天照大御神を皇祖神とする。

竹渕神社の創建

創建年代は不詳である。創建縁起も不詳である。

延喜式神名帳に記載がない。ということは平安時代初期には存在しなかったということか。

江戸時代までは、天照皇大神社とよばれていたらしい。

水田地帯に広い神域を持ち、周濠に囲まれていた。その濠は宮池と称され、蛍が生息するような、それはそれは美しい池であったという。

そこには龍神が棲むとされ、釣り人が急死すると龍神様の祟りじゃと言われたらしい。

しかし、戦後の高度成長期を迎えると、水田を潰して集合住宅いわゆる団地が建設され、中小零細企業の工場が集まってきた。

その生活排水や工業廃水が宮池に流れ込み、水質が著しく悪化するに至る。ついには、宮池を埋め立てることにした。昭和44年のこと。私の妹が生まれた年である。

▼現在の宮池。北西に少しばかり残すのみ。

▲確かに、きちゃない。少年が二人、虫取り網で何かをすくっていた。おそらくオタマジャクシ。龍神様に祟られないことを祈るばかりである。▲

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竹渕神社 参拝記録

本日、自転車巡礼で3社目。最後の神社である。宮池の画像に移る自転車が私の愛車だ。ちょっと小マシなママチャリである。

どこが小マシなのか。

トンボハンドル、荷台無し、片足スタンド。まさしくスポーツタイプのチューンナップだ。それだけだ。

社頭

石造りの明神鳥居である。鳥居をくぐる前から、じめっととした湿気、陰湿な空気を感じる。

残された宮池の位置から判断するに、この木は宮池跡に生えていると推測する。この状態でも生きているのだから、木の生命力はすさまじいとい思う。

水神白光竜王大神

宮池をバックに、手水舎の横に小祠。水神白光竜王大神を祀るとある。ミツウロコの紋だ。

私には近づくことが出来なかった。なんとも、周辺に漂う気が、私には受け入れられなかった。

白光竜王大神というと、藤井寺の道明寺を通る高野街道の脇にムクノキとともに祀られている。また、玉造には白光大神が道の真ん中にエノキとともに祀られている。

松原の海泉池の畔にも、白光竜王大神を祀る祠がある。こちらは、池で水難が相次いだことから祠を祀ったものという。不思議に、祀ってからは水難事故が無くなったという。

ここ竹渕神社の水神白光竜王大神も、宮池での水難事故を受けてのものであろうか。

稲荷社

先の鳥居の正面に稲荷神社が配置されている。

祭神は隆盛大明神。伏見稲荷のお塚信仰と同類なのだろうか。ここも、私にはきつかった。

拝殿

稲荷神社の右横に、本殿・拝殿が鎮座する。

こちらに天照大御神が祀られている。

子守明神・勝手明神

後醍醐天皇が吉野より、子守明神(吉野水分神社)と勝手明神(勝手神社)を勧請したと伝わる。

宮池大地主神社

宮池を埋め立てるにあたり、そこに棲まうという龍神を宮池大地主神としてこちらに祀った。

この前面に大きく出された屋根が、私にはどうもいけない。

八大竜王・水速女命

左が八大竜王を祀る祠、右が水速女命を祀る祠である。どちらも、雨乞いの守護神として信仰を集めたという。

いやもう、ここが最も湿った気を感じる場所であった。

最後に

参拝記録の冒頭にも申し上げたが、鳥居をくぐる前から陰湿な気を感じていた。

本来なら、こういう場合は参拝を取りやめるべきなのだが、入ってみたら意外にも、、、と言う場合もある。

しかしやはり、やめておけばよかったと思わせる神社であった。

もちろん、これは私に限るのかもしれない。皆さんはどうだろうか。。。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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