天太玉命神社|奈良|忌部氏ゆかりの名神大社

2020年6月10日

天太玉命神社は、奈良県橿原市忌部町にある神社。

延喜式神名帳に記載ある式内社で、その中でも名神大社に列する、格式高い霊験あらたかな神社である。

鎮座地である忌部町の「忌部」は、ここが古代氏族「忌部氏」の本拠であったことを意味する。

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天太玉命神社について

天太玉命神社 概要

  • 所在地  奈良県橿原市忌部町153
  • 電話番号  
  • 主祭神  天太玉命、大宮売命、他
  • 社格   名神大社・村社
  • 公式HP   なし

天太玉命神社のアクセス

MAP

最寄り駅

  • JR桜井線の「金橋駅」徒歩15分ぐらい

せっかくなので、式内大社「河俣神社」まで足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。
曽我川沿いを南へ8分ぐらいです。

駐車場

  • なし

天太玉命神社の祭神

祭神は、主祭神を天太玉命とし、配神に大宮売命・豊石窓命・櫛石窓命を祀る。

延喜式神名帳にも祭神は4座とある。がしかし主祭神の天太玉命は明らかであるが、他の3座は明らかにされていない。

天太玉命(あめのふとたまのみこと)

古代氏族の忌部氏の祖神

記紀における岩戸隠れ神話では天児屋根命とともに祭祀を執り行った神として描かれ、その後も瓊瓊杵尊の天孫降臨の際に五伴緒の一柱として従った神として描かれている。

その天児屋根命は中臣氏の祖神、天太玉命を祖神とする忌部氏とともに、古代朝廷の祭神を司る氏族であったとされる。

大宮売命(おおみやめのみこと)

この女神は、記紀には登場せず「古語拾遺」に天太玉命の御子として登場する。

宮中の平安を司る神とされる。

岩戸隠れ神話で、天岩戸から出てきた天照大御神に侍女として仕えた。まさに内侍(女官)の祖神。

後世、内侍(女官)の仕事が、天皇への奏上や、天皇からの宣下を、天皇と臣下との間に入って仲介する役目を担うようになったため、その内侍の元祖であるところの大宮売命を以って、宮中の平安を司る神とされた。

豊石窓命・櫛石窓命

豊石窓命(とよいわまど)・櫛石窓命(くしいわまど)は、古事記における天石戸別神(あまのいわとわけ)のこととする。

天孫降臨の際、天照大御神が瓊瓊杵尊に、三種の神器に思兼命・天手力男神・天石戸別神を添えて遣わしたとされる。

門の神とされ、皇の宮殿の四方の門に祀られていた神。

一説には、この神も天太玉命の御子といわれている。

天太玉命神社の創建

創建年代は不詳である。

おそらくは忌部氏がその祖神を氏神として祀ったことが創祇だと思われる。

「三代実録」天安3年(859年)に、神階が従五位上に昇格したという記事が見える。

「類聚三代格」貞観10年(868年)太政官符に、賀屋鳴比女・櫛玉神・臼滝神とともに飛鳥神の四裔神であったことが記されている。

このようなことから、9世紀には存在していたことは確実であろう。

忌部氏の氏神であったであろうことから、忌部氏が祭祀氏族としてその地位を確立した頃に創建されたと考えるならば、5世紀後半から6世紀前半には創建されたと考えてもいいかもしれない。

天太玉命神社のご利益

天太玉命は、神事を司り、占いに長けた祖神であったことから、開運・厄除け・方除けなど、災いを未然に回避しつつ運が開けるという、すばらしいご利益がいただけるのである。

また、大宮売命の調整力により、組織を円滑に運営するマネジメント力向上のご利益もいただけよう。接客業からの信仰も集めると聞く。

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天太玉命神社 参拝記録

はじめに言っておく。当神社に駐車場は無い。

道路を挟んだ向かい側に郵便局がある。その郵便局の駐車場に駐車するという選択肢もあるが、細長い敷地にどのように駐車したらいいのかわからなかった。

50mほど離れた所に、「しまむら」がある。ここの駐車場なら30分ぐらいなら許してくれるだろう。と勝手に思っている。自己責任でお願いしたい。

社頭

名神大社だったころの面影は微塵もない。

飛鳥時代に隆盛を誇った忌部氏だったが、奈良時代になり藤原不比等に象徴されるように、祭祀権を2分していた中臣氏(藤原氏)に祭祀権を独占され、その勢力は衰えていった。

そんな状況が、この社頭にも現れているように思えて、切なさを覚えるのである。

一の鳥居

切ない。

ふっと振り返ると、先ほどの社頭から道路を隔てた向こう側の奥までまっすぐな道が通っていた。あの先まで参道だったのかもしれない。

名神大社であったころの面影が少しだけ感じられた一瞬だった。切ない。

二の鳥居

一段高い神域へと入る。

天王社

参道左に境内社があった。石灯籠に「岡本天王社」とある。祭神は牛頭天王だったのだろう。今は素戔嗚尊に神名変更しているに違いない。

拝殿

瓦葺の切妻造の割拝殿。ここまでくると、かなり静かだ。

二拝二拍手一拝。

本殿

格子から除くと、さらに一番高い場所に扉が4つついた流造りの社殿が見える。ここに4座が祀られているわけだ。なんとも窮屈なことか。切ない。

その左右に境内社が2社。

  • 向かって右が、玉依姫命神社で玉依姫命を祀る。
  • 向かって左が、春日神社で天児屋根命を祀る。

実はこの天太玉命神社は、江戸時代には春日神社とされていた。

忌部氏の祖神を祀る神社が、よりによってライバルである中臣氏の祖神を祀る神社になっていたとは、、、

切ない。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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