姫皇子命神社|奈良|多神社若宮四座-その① 元伊勢の可能性もある神社

2020年4月9日

姫皇子命神社は、奈良県磯城郡田原本町にある神社。すぐ西にある多坐彌志理都比古神社の4つの若宮に数えられる境外摂社の一つである。

摂社ながら、延喜式神名帳に記載ある式内社。由緒ある古社だ。

また一説によると、元伊勢であるとも。

いったいどのような神社なのだろうか。興味深いのである。

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姫皇子命神社について

姫皇子命神社の祭神

祭神は、姫皇子(ひめみこ)である。

多坐彌志理都比古神社の主祭神「神八井耳命」の姫皇子と解釈するのが自然だと思うし、おそらくそうなのだと思うのだが、

以下の通り、神話に登場する神を充てる試みがなされてきたようなので紹介しておこう。

平安末期の多神宮注進状によると、、、

●姫皇子神社 天媛日火孁神尊(あまつひめひめ神の尊)

とある。

そして、多神宮注進状の裏書、すなわち秘伝によると、、、

●天媛日火孁尊=天疎向津少女命(あまさかる むかつひめの命)

とし、さらに但し書きで、

●天疎=天照日孁大神の若魂
●向津少女命=天照大日孁尊の分身
●河内国讃良郡高宮郷に鎮座する天照大神和魂神社と同体異名

と記されている。要するに、、、

姫皇子命とは天照大神の分身であり、それは天照大神の若魂もしくは和魂

なのだと定義した。

姫皇子命神社の創建

創建年代は定かではないが、式内社であるからして平安初期には存在したであろうことは間違いなかろう。

元伊勢説

当社が元伊勢であるという説がある。

崇神天皇は、天照大神の神霊が宿った鏡を宮中に祀るのは畏れ多いとして、然るべき聖なる場所に遷座申し上げるべく、宮中から出した。そして、まず最初に遷座した場所が「笠縫邑」。

その鎮座地は明らかにされていないが、当社だという。それは、、、

多坐彌志理都比古神社やその他の境外社が南向きに鎮座しているのに対して当社は東を向いており、その方向がまさしく三輪山。

三輪山から昇る朝日に向かって鎮座している様子から、ここが天照大神の長きに渡る巡行の第一番目に相応しいと見たのだろう。

もしそうだとするならば、創建は崇神天皇6年(紀元前92年)となるが、、、

ちなみに、笠縫邑の最有力比定地は檜原神社である。

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姫皇子命神社 参拝記録

駐車場

鳥居前に強引に止められないこともないだろうが、それではあまりにも失礼極まりないと思う。

ここはやはり、本社の駐車場に止めて歩いて行かれることをお勧めする。

本社である多坐彌志理都比古神社の参拝を終えたらば、内参道の途中にある手水舎から東へ境内を出よう。

田圃の畦道を東へ東へと進む。途中に観音堂がある。軽くお参りして、さらに進むと、、、

厳重に防御された本殿

綿密な金網で厳重に防御された本殿の後ろ姿を目にすることができる。

のどかな田園風景の中にあって、ここだけが先進的な要塞のようだ。正面に回ると、いったいどんなことになっているのだろうか。レーザービームか何かで照射されてしまうのだろうか、、、

などと思いつつ、ニヤニヤしながら表玄関に回り込む。

社頭

いたって普通の社頭である。期待外れだった。

拝殿

拝殿も、いたって普通の拝殿だ。

いや、待てよ。油断は禁物だ。近づくとサイレンが鳴るとか、何かが起こるやも知れぬ。

がしかし、特に何事もなく、お賽銭を投入して二拝二拍手一拝。無事に参拝を終えた。

本殿

拝殿から本殿への神門の屋根が丸みを帯びていて特徴的だと感ずる。

女神様が鎮まるに相応しい、こじんまりとして慎ましやかなお社である。

しかしこの防御フェンスは、いったい何から守っているのだろうか。。。

元気な少年少女たちが遊ぶボールが本殿に当たらないように?謎である。

では、続いて、小杜神社と皇子神命神社を参拝しようではないか。

姫皇子命神社 概要

  • 所在地  奈良県磯城郡田原本町大字多459
  • 電話番号  0744-33-2155(多神社社務所)
  • 主祭神  姫皇子命(天照大神和魂?)
  • 創建年    不明
  • 社格   式内小社
  • 公式HP   なし

姫皇子命神社のアクセス

MAP

最寄り駅

  • 近鉄橿原線「笠縫駅」徒歩20分程度

駐車場

  • あり(無料)

多神社の駐車場をご利用くださいませ。