近江神宮|大津|百人一首「ちはやふる・・・」の聖地に鎮まる神の神威とは?

2018年7月1日

近江神宮は、滋賀県大津市に鎮座する、近江大津宮を造営した天智天皇を祀る神宮である。

境内には時計関連のモニュメントが多数存在する。これは日本で初めて水時計を設置したのが天智天皇だから。

また近江神宮は、アニメ・映画「ちはやふる」で多くの国民の知るところとなった「競技かるた」の舞台としても有名だ。

なぜ近江神宮で「かるた」なのかというと、百人一首の一首目が天智天皇の和歌だから。

『秋の田の かりほの庵のとまをあらみ わが衣手は 露にぬれつつ』

しかし、天智天皇を祀る本当の意味は、こんなもんじゃないのである。

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近江神宮について

近江神宮 概要

  • 所在地   滋賀県大津市神宮町1−1
  • 電話番号  077-522-3725
  • アクセス  京阪電鉄 近江神宮前 徒歩10分
  • 駐車場   あり(無料)
  • 主祭神       天智天皇
  • 創建年      1940年
  • 社格   官幣大社
  • 公式HP   http://oumijingu.org/

近江神宮 アクセス

  • 京阪電鉄石山坂本線の近江神宮前駅を下車
  • 一旦左に曲がって、すぐの突き当りを右へ
  • その道を突き当りまですすむと正面に「近江神宮→」の看板があり
  • 右に曲がって道なりに進むと鳥居がある。(ちょっと遠いな~と思うかも。)

京阪電鉄石山坂本線に乗るには。。。JR湖西線の大津京駅で、京阪石山坂本線の大津京駅に乗り換えるのが便利。

MAP

近江神宮の創建

1940年(昭和15年)。皇紀2600年を記念して、近江大津宮に遷都した天智天皇を齋祀る神宮が大津市に創建された。

発起は滋賀県民の熱い思いによって嘆願、昭和天皇の勅許を得たという。

明治維新以降、すなわち国家神道となってから創建された神宮としては、

  • 橿原神宮(神武天皇・明治23年)初代天皇を祀る
  • 平安神宮(桓武天皇・明治28年)平安京の初代天皇を祀る
  • 明治神宮(明治天皇・大正9年)王政復古時の天皇を祀る

に続いて最後の官幣大社として創建されたことになる。

そしてその趣旨は、

大政奉還・明治維新・王政復古と続いた一連の大転換を印象付ける策だろう。

では、近江神宮が創建された昭和15年の時勢は、、、

すでに日本軍は中国に進攻していて、

「東アジア諸国を欧州諸国の植民地から解放して、日本国主導のもと大東亜共栄圏を構築する

と宣言した年。

そして翌年にはアメリカとの開戦。といった、実にキナ臭い時代だ。

昭和天皇が勅許を下した理由は、単に滋賀県民の嘆願だけではなく、

天智天皇の持つ「国防力」

を求めたのかもしれない。

侵略的戦争ではなく専守防衛を貫きたかったであろう昭和天皇の心の内が見えようというものだ。。。

近江神宮の祭神

祭神は一柱のみ。天智天皇を祀っている。

天智天皇

第38代天皇。和風謚号は「天命開別尊」(あめのみことひらかすわけのみこと)。

社会科で必ず習うであろう「大化の改新」の登場人物と言えば、「中臣鎌足」「中大兄皇子」(なかのおおえのおうじ)。まさに中大兄皇子が、のちの天智天皇である。

主な事績

  • 謀略により蘇我氏を滅ぼす。
  • 有間皇子など有力者を処罰し権力の集約化を図る。
  • 大化の改新を実施。
  • 百済救済のため新羅&唐と戦うも敗退。(白江の戦い)
  • 国防のために、飛鳥京から近江大津宮に遷都。
  • 国防策として、日本最古の城「水城」を築城。
  • 情報伝達システムの「烽火」を対馬から筑紫にかけて設置。
  • 九州沿岸部に防衛軍「防人」を配置。
  • 冠位十九階を二十六階に変更
  • 日本最古の成文憲法「近江令」の発布。
  • 国立学校の創設。
  • 戸籍の編纂。
  • 水時計「漏刻」を設置して、国民に時刻を知らせるシステムを構築。

天智天皇の事績の多くは、まさに「国防」であり、そういう意味で天智天皇は「荒ぶる神=ちはやぶる神」なのである。

近江神宮のご利益

神社発表のご神徳は以下の通り。

  • 時の祖神
  • 開運と導きの大神
  • 文化・学芸・産業の守護神

私はここに、「国防」を入れたいと考える。

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近江神宮 参拝記録

近江神宮の駐車場は、長い参道の左側を並走して、有名な朱色の楼門近くまで進んだところにある。

便利なのだが、参道を歩きたい我々にとっては、少し味気ないのだ。

手水舎

味のある水盤である。岩の色の変化の理由が知りたいのである。鉄分が多く含まれているから?

楼門

幅の広い石段の上に大きな楼門が立つ。

階段を着慣れぬ袴姿で降りてくる女性。近江神宮では和装のレンタルをしてくれるそうだ。

貴方も「広瀬すず」になれる!?

外拝殿

楼門をくぐると目の前に大きな建造物が立ちはだかる。これが「外拝殿」。割拝殿ということになろうか。

近づくと、大きさがもっとよくわかる。

前面から後面まで突き抜けた唐破風が圧倒的な存在感を示している。

ここから後ろを振り返ると、、、

実に美しい。風が通って気持ちも良い。バックに琵琶湖が見えたらもっといいのに。。。

内拝殿

こちら内拝殿。内拝殿までは進めない。だからこそ砂目が綺麗に整っている。

屋根の優美な曲線も美しい。

日本の建築美は何といっても、この左右対称「シンメトリー」だ。

一つ前の画像に戻って頂きたい。

形状はシンメトリーなのだが、楼門の左右にある授与所の屋根の色が違う。これだけで、違和感を感じる。

本殿(の屋根)

本殿の屋根がわずかに見える。おそらくは、この角度からしら見えないと思われる。

栖松遙拝殿(せいしょうようはいでん)

全国の社寺を遥拝する「栖松遙拝殿」

もともとは、江戸時代の四親王家のひとつ「有栖川宮」を継承した「高松宮」の邸内社であった。よって「栖」と「松」で「栖松」なのだろう。

高松宮が廃止されるにあたり、こちらに移設されたという。

「栖松遙拝殿」の鳥居前に設置された苔むした石。

この謎の石は何なのか。。。皆、お賽銭を置いておられるが。。。

かつてここには井戸があったらしい。ところが裏手のバイパス道路の工事の影響か、水が出なくなったため、石を置いたのだそう。

というわけで、特別な石ではないとのこと。

神座殿

ご祈祷や結婚式が行われる。かるた祭りもここで行われるとのこと

お白洲に見えたのは私だけであろうか。遠山の金さんが現れそうな雰囲気である。

最後に

神座殿の周囲の樹木を剪定しておられたおじさんに、小学1年の我が息子が話掛けた。

「何してるの?」

おじさんは、何のために剪定をするのか、切った枝はどこに仕舞うのか、優しく丁寧に答えてくれた。

参拝したのち、そのおじさんに再会した。おじさんから先に挨拶をしていただいた。

私はかねがね思うのである。

神社の雰囲気には、そこに従事する方々の人柄が現れるのだと。

参拝者の多い神社の神職さん達は、例外なく人柄が良いのである。

ちなみに、奈良の橿原神宮が私の中ではトップだ。

パワースポットとは、大地の力だけではなく、人の心の力によるものもあるのではないだろうか。

あるいは、大地の力が人の心を豊かにしているのか。

いずれにしても、神社の雰囲気に大地の力が作用していることは間違いなさそうである。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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