八幡神社|寝屋川|寝屋川市にも太秦があった。秦氏由来の八幡神社は秦村の総鎮守であった。

2017年1月25日

八幡神社は、西は淀川に面し、東は物部の郷である交野市や四条畷市を経て生駒山地を望む寝屋川市。

市の中央を南北に貫く外環状線(国道170号)が走る。この外環状線を境にして西は人口密集地帯、東側は丘陵地帯。

ここ八幡神社は、東側の丘陵地帯。打上川が流れ、川沿いには田畑を見ることができる田舎的な風情を残す地域に鎮座している。

その打上川を挟んだ北側の地名は「秦」(はた)、南側は「太秦」(うずまさ)と称する。古代渡来氏族であるところの「秦氏」が居住した地域なのである。

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八幡神社について

八幡神社 概要

  • 所在地   阪府寝屋川市八幡台11−5
  • 電話番号  072-827-4640
  • 主祭神  誉田別命
  • 創建年      不詳
  • 社格   
  • 公式HP     

八幡神社 アクセス

MAP

最寄り駅

  • 京阪本線「寝屋川市駅」からバスで10分。「観音橋バス停」徒歩5分

駐車場

  • なし

八幡神社の創建

創建年代は不詳である。社伝によると、

秦河勝が応神天皇を勧請した

とのこと。そうなると飛鳥時代ということになろう。

1623年の棟札に「秦勧請 宇佐八幡宮御社」と書かれてあったらしい。これが社伝の根拠なのだろう。

昭和10年に、裏山が崩れて神社も崩壊したが、翌11年に再建。

平成24年には、放火?による火災で拝殿・本殿とも焼失したが、平成26年に再建。

いずれも、素早い再建である。神社の再建は一般家屋の再建とはわけが違う。費用も時間も大きなものだ。氏子の皆さんの努力のたまのもである。感謝するしかない。

秦氏とは

秦氏は古代の渡来氏族である、

その正体については、秦の始皇帝の末裔であるとか、弓月君の末裔であるとか、始皇帝の命を受けて来日した徐福一団であるとか、いやいや、原始キリスト教を奉じたユダヤの支族であるなど、様々な説が飛び交っている。

正体はともかく、我が国に大陸の先進技術を持ち込んだ氏族であるということ、それが10万を超えるような大人数であったということなどから、日本を大きく変える原動力になったことは間違いないだろう。

その秦氏が主に居住した地域は、松尾大社のある桂川流域、伏見稲荷大社のある伏見・深草周辺、蚕の社とも言われる木嶋坐天照御魂神社のある京都の太秦、おそらくは上賀茂神社のある賀茂川流域にも居住しただろう。

そしてここ、打上川流域の河内国の太秦なのである。

八幡神社の祭神

祭神は「誉田別命」すなわち「応神天皇」である。八幡大神とも言われる通り、この15代応神天皇は、歴代天皇の中で最も神格化された天皇であろう。天照に次ぐ皇祖神なのだ。

その人となりは、例によって諸説あるわけだが、、、

  • 実在が確実視されている最初の天皇である。
  • 応神天皇と仁徳天皇は同一人物である。
  • 仲哀天皇と神功皇后との子である。
  • それで計算が合わない。住吉大社の社伝では神功皇后と住吉大神との子となっている。
  • いやいやそれは、神功皇后と武内宿禰の子という意味である。
  • いやいや、それまでの皇室系譜とは異なり、全く別の氏族の王が河内を征服したのだ。
  • 河内王朝の始祖だろう。

皇后を含め11人の妃を持ち、28人の御子がいた。その中に「仁徳天皇」、宇治神社の祭神である「菟道稚郎子皇子」の兄弟がいる。

陵墓は羽曳野市にある大きな前方後円墳。古墳下を誉田断層が走っており、その断層の活動によって古墳の一部が崩れており、断層の存在を目の当たりにできるのだ。

八幡神社のご利益

これはもう、武運の神であるからして勝負運の向上となろう。

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八幡神社 参拝記録

今回訪れた八幡神社(はちまん)は、現地名でいうところの「秦」の隣りの「八幡台」、すなわち打上川の北岸に鎮座する。

となり町は「川勝町」だ。足すと、聖徳太子の名参謀とも言われる「秦河勝」。わかりやすい。

八幡神社の北側は、現在、三井秦団地や三井団地といった集合住宅が立ち並んでいるが、かつては丘陵であった。その頃であれば、裏山から対岸の太秦集落を見渡すと、同じく秦氏由来の「熱田神社」や「加茂神社」を望む事ができただろう。

さて、外環状線(170号線)からニコニコパチンコの交差点を山側に入る。少し登坂になってその頂上を左に曲がると橋がある。観音橋だ。そこを川沿いに上流方向に進むと左手に見えてくる。

境内に入って右手に駐車場できるスペースはありそうだが。。。どうだろうか。短時間なら路駐も出来なくもないが、ここは警察がたまに一方通行の取り締まりをしている場所なので注意が必要だ。

この日は元日である。元日の午後3時ともなると、氏神様とはいえ参拝者は少ない。

ここは焼失していないのだが、きれいにされたようである。

柱の中ほどに折れたような跡がある。痛々しい。

昔、この鳥居の上に石を投げ置く遊びをしたことを思い出した。早速トライ。全くだめだ。

ところがである。我が家のチビ君5歳。2回投げて2回とも置いてしまった!凄い!何かを持っている!ちなみに、手相は升掛。末恐ろしい。。。

さあ、本殿へ進もう。

拝殿

これが、新築の拝殿と本殿である。わりとシンプルな様式にされたようだ、

普段は拝殿の扉は締められているが、正月のみ15時まで開放しているとのこと。氏子さんたちがお神酒や昆布などを振舞ってくれる、ありがたいことである。

幣殿・本殿

奥に、美しい神殿が鎮座している。

二礼二拍手一礼。長い間参拝していなかったお詫びと新年のあいさつを申し上げた。

パワースポット? 謎の灯篭

この灯篭の後ろだけが、やけに明るいのがお分かりいただけるだろうか。

この光が10月中旬になると、灯篭の頭の上を丸く照らすように輝く珍現象が起こるらしい。

日射の角度と木の枝葉によるものと考えるが、そんな無粋なことは言うまいぞ。

井戸の中のお地蔵さん

この灯篭の左横よこに、木で蓋をされた井戸がある。撮影は忘れてしまったが、その井戸の中にお地蔵さんが祀られているらしい。

八幡神社で、井戸のお地蔵さんを拝み、雨乞いの祭が行われたことが、記録として残っているようだ。神社で地蔵菩薩。まさに神仏習合である。

柴上神社

実はすでに記憶があやふやになってしまっているのだが、稲荷社であったと思う。間違ってたら申し訳ない。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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