矢作神社|八尾|巨大な銀杏は樹齢600年。石清水別宮と称された矢作連の氏神様。

2016年2月15日

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矢作神社は、延喜式神名帳に記載ある式内社で、かつて大阪府八尾市を流れていた旧大和川の右岸を本拠とした「矢作連」の氏神である。

「矢作氏」とは矢を作る職人集団。弓を作る「弓削氏」と並んで、物部宗家とは親類関係にあったとされる。ともに物部宗家に武具を供給し、物部氏の隆盛を支えた氏族である。

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矢作神社について

矢作神社 概要

  • 所在地   大阪府八尾市南本町6-6-72
  • 電話番号  072-922-1465
  • 主祭神   経津主命、住吉三神、品陀和気命
  • 創建年   伝 9世紀
  • 社格    式内社、郷社
  • ご利益   勝負運、開運招福、金運、産後、商売繁盛
  • 公式HP   なし

矢作神社 アクセス

MAP

最寄り駅

  • 近鉄大阪線 近鉄八尾駅 徒歩15分
  • JR大和路線 八尾駅 徒歩15分

駐車場

  • あり(無料)

矢作神社の創建

創建年は不明であるが、式内社であり矢作連が活躍したとされる年代から考えると、飛鳥時代となろうか。かなりの古社であることは間違いない。

11世紀には当地が石清水八幡宮の荘園となったことから、矢作神社は石清水八幡宮の別宮となり、地元では「べっくの宮さん」と親しまれたという。

矢作神社の祭神

現在、主祭神は経津主命で、住吉三神品陀和気尊八重事代主神を合わせ祀る。

おそらく、創建当初は矢作連の祖神として経津主命だけが祀られていただろう。

経津主命(ふつぬし)

国譲り神話で、大国主命に国譲りを迫った武神。香取神宮の祭神で、藤原氏の氏神とされている。

しかし、もともとは物部・矢作連の祖神の一人として「経津主命」すなわち「彌加布都神」(みかふつのかみ)「比古佐自布都神」(ひこさじふつのかみ)が祀られていたと考えられる。

住吉三神

伊弉諾尊の禊祓で生まれた、海の神である。神功皇后の三韓征伐を守護した神々とされ住吉大社をはじめとする全国の住吉神社の祭神である。祓いの神・航海安全の神・漁業の守護神とされる。

物部の祖神の一人「饒速日尊」の代わりに祀られたか。。。

品陀和気尊

誉田別命とも言われる。応神天皇のことである。八幡大神ともいわれ全国の八幡神社の祭神である。歴代天皇の中で最も神格化された天皇である。

品陀和気尊は石清水八幡宮の別宮になったときに勧請され、主祭神だったのだろう。

八重事代主命

国譲り神話では、経津主神と武甕槌神に迫られたとき「承知した」と言って、すぐさまお隠れになった神とされているが、

本来は、大和の葛城王朝が祀る祭神であり、宮中において御巫八神の一柱として祀られる大神である。田の神、託宣の神とされる。

こちらは、すぐ近くにあった長柄神社を合祀したことによって祭神に加わった神である。

祭神の変遷

このように、創建当時は「彌加布都神」「比古佐自布都神」もしくは「布都怒志命」に加えて、饒速日尊も祀られていたと考えた。それが、時の権力者の変遷に伴って、祭神名も経津主命・住吉三神に変化していったのではないだろうか。

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矢作神社 参拝記録

一の鳥居から注連柱までは小石を敷き詰めた綺麗な参道だ。

両側に民家が立ち並んでいるのだが、それらの民家も参道の風情に合った趣を持っている。

大銀杏

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二の鳥居の左には、大銀杏の古木がそびえている。樹齢は600年ぐらいらしい。高いというよりは、巨大という感じ。横にデカイのだ。

枝の付け根付近から気根が垂れ下がっている。これを煎じて飲むとお乳の出が良くなるという言い伝えがある。

この大銀杏の木陰にベンチがある。私は、そのベンチに腰掛けて見上げる青空が好きだ。

いつまででもそうしていたいと思える、私の「癒しのパワースポット」である。

末社3社

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注連柱をくぐって境内に入ると左側に摂社が三社並んでいる。

  • 琴平宮・・・大物主大神
  • 白山神社・・・菊理姫命、豊玉姫命
  • 八坂神社・・・須佐之男命

稲荷神社

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拝殿の左横に末社がある。稲荷神社だ。もちろん、宇加之御魂神を祀っている。

社の前に立つと、かかとを軸にして頭が振り子運動をし始めるという、独自の「パワースポット感知器」が作動したではないか。

ここが一番、パワーを感じる場所である。金運、開運のパワースポットとしておこう。

本殿・拝殿

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拝殿前に進んでいこう。

決して大きくない神社なのだが、境内がとても広く感じる。そして、和やかな優しい空気が漂っている

拝殿にて、一搖、二拝二拍手一拝、一搖。

清々しい気持ちになる。

最後に

ここ八尾は、河内国の若江郡と渋川郡と志紀郡の接点に位置し、かつて隆盛を誇った物部氏の本拠地があった場所で、大和国と河内国一帯を結びつけ、さらには大阪湾から四国九州へとつながる「大和川」が流れる、古代の交通の要所であった。

物部VS蘇我の宗教戦争の際に、蘇我&聖徳太子軍の攻撃にあい、ついに物部守屋公は矢で射抜かれ殺されてしまう。2キロほど西にいった「太子堂」には、守屋の墓や首洗い池などがある。古代好きにはたまらない地域だ。

さて、そんな物部氏の系列である矢作連の氏神として「経津主命」が祀られていることには、やはり大きな違和感を覚える。

「彌加布都神」「比古佐自布都神」もしくは「布都怒志命」ではなく「経津主命」である。

繰り返すが、経津主命建御雷之命とともに高天原から降臨し、大国主命に国譲りを迫った武力の神だ。そして経津主命・建御雷之命はともに中臣氏(藤原氏)の祭神で、二柱は藤原氏の氏神である春日大社の主祭神なのだ。

藤原不比等は古事記・日本書紀の編纂の中で、物部氏と蘇我氏を悪者に仕立て上げた。徹底的に。河内生まれの河内育の私であるからして、どうしても物部贔屓。だから悔しいのである。

それだけだ。

追記:それ以降、藤原氏関連の神社にも参拝を重ねてきた結果、上記のような感情的な偏見は無くなったとご報告申し上げておこう!(2019/06/06)

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