熱田神宮④|愛知|本宮・一之御前神社・こころの小径をご紹介

2016年10月8日

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名古屋市熱田区にある「熱田神宮」は、式内社の名神大社にして、明治時代から戦後までは「官幣大社」であった、霊験あらたかで由緒ある神社である。「三種の神器」のひとつ「草薙剣」が祀られている。

それだけの大社であるがゆえに境内は広く、また見どころも多い。

今回は、境内を三分割した「北エリア」をご紹介しようと思う。

北エリアは本宮や一之御前神社がある、まさに熱田神宮の中枢部だ。

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本宮エリア

三の鳥居

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この鳥居をくぐると、いよいよ本宮前である。であるのだが、本宮前の広場の少し手前の左手に、結界が張られてある場所がある。結界の奥にはL字型に玉砂利が敷かれた通路が見える。その途中にも結界が張られている。

謎のパワースポット

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そう、ここが二つ目の強力なパワースポットである。正参道から細い溝を超えて結界までの1メートル程度の幅のエリアに立つと、凛とした気が流れてくるのがわかる。祓われていく感覚というか神様の通り道?と思わせる何かがあるような気がするのだ。

この場所は何に使われるのだろうか。おそらくは祓戸だろうが、他に何かの神事に使われるのだろうか。

熱田神宮 本宮

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上は「拝殿」。下は「本宮」。

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広い。大きい。渋い。

直線による構成が実に美しい。白木ではないところが、またいい。

現在は神明造りに建て替えられているが、もともとは尾張造りであったらしい。明治28年、神宮号を賜ったことにより神明造りに変更されたと聞いた。

二拝二拍手一拝。クチパクで天津祝詞。背中側から心地よい風が吹いてくる

横で、外国人観光客がじっと観察している。私をである。参拝の作法が珍しいのだろう。教えてあげようかと思ったがやめた。

しばらくしてみると、なんと、やっているではないか!見よう見真似の二拝二拍手一拝。郷に入れば郷に従えだ。なかなか柔軟性のある青い目の青年であった。

さあ、ここからは本宮の周囲を巡る「こころの小径」である。熱田神宮で最も神聖な場所とされる。

神聖な場所であるからして、いくつかのルールがある。

  • 入場時間は、9時~16時
  • 飲食禁止
  • ペット同伴禁止
  • 写真撮影禁止
  • 携帯電話での通話禁止

こころの小径の中でも最も神聖とされる「一之御前神社」のみが撮影禁止なのか、こころの小径全体が撮影禁止なのか、判断に迷うところである。

私は過去の情報から「一之御前神社」のみが撮影禁止であると認識していた。

一之御前神社を遠くに望む

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本宮玉垣の西側の小径である。この道の突き当り、すなわち本宮域の北西に「一之御前神社」が鎮座する。

この道に入った途端、厳粛な空気が流れているのがわかる。歩を進めるに従って、身体的変化が現れる。血圧の上昇と軽い動悸。そして脳みそが膨らむのである。

「一之御前神社」前には金網による柵が設けられ、監視員が常駐している。尋常ではない監視体制である。

カメラを出してこようものなら、後ろから羽交い絞めにでもされそうな雰囲気があたり一面に漂っている。尋常ではない。

さて、金網内に入ると、身体的変化は最高潮に達する。これは「矢田坐久志玉比古神社」のそれに匹敵するほどの強烈なパワーである。

「一之御前神社」は一段と高い位置に鎮座されている。祭神は天照大神の荒魂とのこと。とすれば「瀬織津比売」か。

しかし、どうも熱田神宮に天照大神はしっくりこない。私には「宮簀媛命」が祀られているイメージしか湧いてこないのだ。。。

本宮裏の参拝所

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本宮の真裏にある参拝所。ここまでくると先ほどの浄化炸裂パワーから癒し系のパワーに変化してくるのがわかるだろう。

防空壕?

裏山に掘られた穴への入口がある。防空壕とのこと。空襲の際に、ご神体その他諸々を運び込んだとか。

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見た目は厳ついが、ここに特にに何も感じるものは無かった。

ここも含めて本宮の裏山全体に神々しさを感じた。大昔ここに何かがあったのだろうなという印象を持った。

言ってしまおう。私には古墳に思えてならないのである。

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こころの小径エリア

さて、これより森の中に入っていく。しばらく、このような鬱蒼とした茂みを歩く。シダ類が多く自生している。湿気が多そうだ。のわりには、癒される空間である。

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眼病と美容に効果あり 清水社

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森の中を少し下っていく。下りきったところにあるのが「清水社」である。

ここは、ちょうど本宮の東に位置しようか。

祭神は、水をつかさどる神様である「罔象女神」(みずはのめのかみ)

この社殿の右奥から水が湧いているので「お清水さま」と呼ばれていたらしい。その水で眼を洗うと目がよくなるとの言い伝えがある。また肌を洗えば肌がきれいになるという信仰もあり。

これが湧水である。湧き水=大地の恵みが湧き出す場所=パワースポットである。左側頭部がジンジンしてくる。

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中央にある岩は「楊貴妃の墓石の一部」と言われているそうな。なので美容に効く水となるらしい。これに3回水をかけて祈願すると願いが叶うとされている。

私は左目が悪いので、目を洗わせていただいた。

森の主「楠」

この清水社の近くにある「楠」も大きい。境内で二番目の大きさらしい。どうも、この森の主のような印象である。もののけ姫に登場する「木霊」がひょっこりと顔を出しそうである。

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この風貌。いかにも「我こそは森の守護神なり!悪さするやつは容赦せんぞ!」と立ちはだかっているようではないか。

森の主「こころの小径の大楠」を後にして、次に向かうのは「御田神社」である。

御田神社

祭神は「大年神」(おおとしのかみ)。五穀豊穰の守護神である。大年神の「年」の字には、穀物、特に穂が稔るという意味があるらしい。

農耕民族の日本人にとって、「清水社:罔象女神」「御田神社:大年神」は、何よりも大切な神様であったことは、想像するに難くない。

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熱田神宮では、祈年祭と新嘗祭に奉る神饌は、まず烏に食べさせる信仰が残っている。

祭員が「ホーホー」と烏を呼びながら、御供(ごく)を土用殿の屋根の上に投げ上げる。

これを「烏喰の儀」という。

かつては、各地に「御烏喰神事」とか「鳥喰神事」と言われる信仰が広がっていたようだ。

これは、烏が稲穂をもたらしたとする「穂落神話」に対応するもので、烏にその功績に報いるために初穂を食うことを許したものが神事として定着したとする説や、

山の神や田の神など神様への供物を捧げるために、神の使いとしての鳥に食べさせることが目的であったとする説などがある。

龍神社

御田神社から少し南に歩くと「龍神社」がある。

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祭神は、「吉備武彦命」(きびたけひこのみこと)、「大伴武日命」(おおともたけひのみこと)。日本書紀によると、景行天皇の命令によって、日本武尊の東征に従軍した神々とされている。

「吉備武彦命」の娘「吉備穴戸武媛」(きびのあなとのたけひめ)は、日本武尊の妃である。よって、義理の父になる。

土用殿

龍神社と清水社の間から坂道を登る階段がある。そこを登ると「土用殿」がある。

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現在の位置は神楽殿の裏だが、かつては、本宮の玉垣内にあり、本宮の隣に並ぶように建てられていたようだ。というのも、もともとは「草薙神剣」を奉安した御殿なのだ。

最後に

4回にわたって熱田神宮の参拝記録をご紹介させていただいたわけだが、調べるに、調べるほどに、謎の多い神社であると感じた。

「熱田大神」=「天照大神」であるとしたことで、整合性がとれなくなっている部分があるように思えるのである。例えは悪いが、一旦嘘をつくとバレないように嘘の上塗りをしていかないといけなくなる。そういう印象を持ってしまうのである。

「熱田大神」を「日本武尊」に置き換えたり、あるいは「日本武尊&宮簀媛命」に置き換えると、しっくりくる。

決して、天照大神をないがしろにしているわけではない。熱田の地・熱田の歴史を考えたときには、ということである。

そして、熱田神宮はまぎれもなくパワースポットであるということも最後に記しておきたい。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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熱田神宮・・・熱田神宮の概要についてを「熱田神宮①」でご紹介

南エリア・・・南鳥居から休憩所あたりまでを「熱田神宮②」でご紹介

中エリア・・・大楠から三の鳥居までを「熱田神宮③」でご紹介

北エリア・・・本宮・一の御前社・ここの小径を「熱田神宮④」でご紹介

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