石上神宮|奈良|国内屈指のパワースポット!七支刀のお守りに、蘇り・起死回生の霊力を込める!
牛の銅像にも挨拶して、まずは境内社から参拝しようか。
石上神宮の境内社の大部分は、本殿エリアへ入る楼門の向かい側、本殿よりも一段高い斜面に西向きに鎮座する。対して本殿は南向きである。
見方によっては、本殿が高見にある境内社群を拝しているようにも見える。しかし、それはあまりにも穿った見方というものであろう。
ちなみに、本殿ー拝殿ー楼門を通る直線を延ばしていくと、三輪山の山頂磐座に到達するのである。しからば、本殿は三輪山を拝しているとも言えなくもない。
境内社
出雲建雄神社の「拝殿」(いずもたけおじんじゃはいでん)
楼門前から階段を上がると踊り場のようになっていて、そこに「出雲建雄神社拝殿」がある。
このように、中央が土間になっていて、通り抜けられるようになっている様式の拝殿を「割拝殿」という。
この拝殿は、なんと国宝である。
元々は、石上神宮の南にあった内山永久寺の鎮守の住吉社の拝殿であったが、火災で住吉神社の本殿が焼失し、さらに廃仏毀釈で寺も廃寺となったため、大正3年に移築されてきたもの。現存する「割拝殿」としては最古の物件であるがゆえの国宝であろう。
国宝の拝殿の向かい側はさらに高台になっており、そこに4つの境内社がある。
その4つの境内社の右側の2社が下の画像。小さい方が「猿田彦神社」で、大きい方が「出雲建雄神社」。
猿田彦神社
東の山中にあったものを、明治10年にこちらに遷したもの。
祭神は、猿田彦命・住吉四神・高龗神の6柱。
猿田彦命は導きの神として信仰される神。高龗神は雨を司る龍神様。住吉四神は前述の割拝殿が元々あった住吉神社の祭神を大正3年に合祀したもの。
出雲建雄神社
祭神は草薙剣の荒御魂「出雲建雄神」。
草薙の剣は三種の神器の一つ。尾張国の熱田神宮のご神体である。石上神宮の主祭神に負けないぐらいの力を持った神様であり神剣であろう。
その荒御魂が天武天皇の御代にこの地に現れて、「皇室と諸民を守りに来た」と言って自ら鎮座なされたとの言い伝え。実際は、尾張氏と縁の深い「天武天皇」が熱田神宮から草薙剣を持ってきてしまったのだとか。
七座社
天神社
高台の4つの境内社のうち左側の二社が、「天神社」と「七座社」である。
天神社には、高皇産霊神・神皇産霊神が祀られ、
七座社には、生産霊神・足産霊神・魂留産霊神・大宮能売神・御膳都神・辞代主神・大直日神の七座が祀られている。
上古から祀られている神々で、当社の鎮魂祭に大きく関係するという。
そして、ここが私の一押しのパワースポット。ここほどわかりやすい所はないのではないだろうか。
私は、ここで不思議な体験をしたのである。自慢ではないが、私は霊感ゼロを自負している。なのに。。。いつものように、二拝二拍手をしたあと、天津祝詞を奏上しているときのこと。
右斜め前方の斜面で何か音がしたかと思うと、さ~っと、こちらに近づいてくる気配がした。すると、足元を中心にして頭が円を描くようにふわーふわーっと回り始めるではないか!そして頭の中もぐるぐると回る。怖いという感覚ではなく、気持ちいい光に包まれたような脱力感と癒しである。
しばらくして落ち着いてから、一拝。もう、頭の中も心の中もスッキリである。これがリセットされたという感覚なのだろうか。リセット・生き返り・起死回生のパワースポット!そう感じた。
神皇産霊神は、死んだ大国主命を生き返らせるために蚶貝姫と蛤貝姫を遣わした神様であるから、リセットと優しさのパワーが感じられるのだろうか。七座社の神々も一役かっていそうな気がする。
この場所は絶対にお勧めしたい。この場所と、この場所より東側の斜面か山の上。何かある。きっと。
では、本殿エリアに入ろう。
本殿エリア
楼門
石上神宮と言えば、この楼門の写真が使われるのではなかろうか。この楼門は神仏習合の名残である。この門の2階部分には鐘が設置されていたらしく、その当時は鐘楼門と呼ばれていたそうな。
拝殿
中に入ると、これも国宝の拝殿がある。石上神宮を崇拝された白河天皇が1081年に宮中から神嘉殿(しんかでん)を移設したもので、こちらも、現存する拝殿としては最古の建築物とのこと。
さっきのは、最古の「割拝殿」。
この拝殿の奥に禁足地がありその上に本殿が建てられ、神秘の力を持つ神の宝が祀られているということであるが、期待の割りにはあまり強烈なパワーを感じなかった。まだまだ未熟者である。。。
もしかしたら神の宝は別の場所に移動しているのかも。。。
もしかしたら、あの右斜め上の山の中に隠されているかも。想像は膨らむ。
イチイガシ
楼門前から東の方向に進む小道がある。少し進むと、樹齢およそ300年イチイガシの巨木があった。
しかし、ここにいると、たったの300年といった感想となろう。
だって、この神社は2000年ぐらい前からここにあり、今もあり続けていて、おそらく今後もあり続けるだろうから。改めて、感動するとともに畏敬の念を覚えるのだった。
このイチイガシをすぎると、小さな橋がある。
ここに差し掛かると、これまた凄いパワーの流れを感じる。
山からの流れ降りてくる「パワー」と道の先のほうから流れてくる「パワー」が合流しているような感じがした。
立入禁止区域
さらに進むと、立入禁止の張り紙が、、、
この道の奥には「祓戸社」があるらしい。何故に立入禁止なのか、、、
そうこうするうちに胸が気持ち悪くなってきたので、早々に退散したのであった。と言っても、石切神社上之宮の御滝で遭遇した感覚のような「霊的な怖さ」ではなく、パワーを一気に受けすぎた「気あたり」みたいなものだろうか。こういう感覚は初めてなので、よくわからないのだが。。。
国宝「七支刀」がデザインされたお守り
かっこいい御守りを発見した。黒地に薄い金色の刺繍が施されたお守り「御神劔守」である。この刀は、禁足地ではなく「神庫」(ほくら)に保管されていたという鉄製の剣で「七支刀」と称される。
刀に刻まれた銘文から西暦369年の製作とわかった。日本書紀の神功皇后の御代に朝鮮半島から伝わったとされる「七枝刀」ではないかと言われている。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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