伏見稲荷大社|京都|商売繁盛・産業振興、神秘の神奈備「稲荷山」

2016年7月15日

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伏見稲荷大社の祭神

中世の祭神

古来、祭神は稲荷大神、稲荷大明神とされてきた。延喜式神名帳にも「稲荷神社三座」とあるのみで、その三座がいかなる神なのかは定かではない。

東寺に伝わる稲荷大明神流記によると、

一、大明神。本地十一面。(上御前是也)
二、中御前。本地千手。(大明神之当御前也)
三、大多羅之女。本地如意輪。(下御前是也。大明神之前御前也)
四、四大神。本地毘沙門。(中御前御子。即同宿中御前)
五、田中。本地不動。(先腹大多羅之女郎子也)

このように、垂迹神と本地仏が列記され、それぞれにコメントが付加されている。

一、二、三は、上御前、中御前、下御前とも記載あるため、今の一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰と考えるのが妥当であろう。

一ノ峰=大明神=十一面観音(上御前である)
二ノ峰=中御前=千手観音 (大明神の今の奥さんである)
三ノ峰=大多羅之女=如意輪観音(下御前である。大明神の前の奥さんである)

と読める。

そしてお気づきだろうが、稲荷三座から五座になっている。

四=四大神=毘沙門天(中御前が産んだ御子。二ノ峰に合祀されている。)
五=田中=不動明王(前妻大多羅之女が産んだ男神である。)

なんと、子が生まれたのだ!

稲荷大神、麓に遷座する

時代が下がり、室町時代の後期。

京都市伏見区深草に鎮座する藤森神社に次のような伝承が残されている。

1438年、後花園天皇の勅命で、室町幕府6代将軍足利義教により、それまで山頂にあった稲荷の祠を山麓に移した。

この伝承の裏付けを取るかのごとく、

伏見稲荷大社に伝わる、長禄年間(1457~1460)に記された社殿指図に、

山上に大明神(上社)
山中に中御前(中社)
山下に西御前(四大神・中御前・大タラチメ・大明神・田中)

と記されている。この2つの記述を考え合わせると、

1438年、勅命により、上社と中社の祭祀はそのままに、下社を三ノ峰から山麓に遷宮。
そして、そこに上社と中社の御分霊を配祀。
下社に上社と中社を配祀したので、中座には下社の祭神「大多羅之女」が配置された。

と想像する。これが現在の、下社なのに中央に坐するという特異祭神配置につながるのであろう。

その後、1467年に勃発した応仁の乱では、稲荷山が細川方の軍事要塞となったため、山名勢に攻め込まれて焼き払われた。下社はもちろんのこと、山上・山中の社殿も焼失した。

その32年後の1,499年に社殿が修復され、下社が正式に五社相殿のご本社となった。おそらく、上社と中社は焼失したままか、少なくともそこでの祭祀は無くなったと思われる。

余談になるが、このとき、遷座地にもともとあった藤森神社が押し出されて南へ遷座し、そこにあった幡寸神社が、ところてん式に今の城南宮の場所に遷座したと伝わる。

都名所図会(江戸時代)の伏見稲荷

時は流れて江戸時代。1780年に刊行された都名所図会に描かれる伏見稲荷大社。当時は三之峰稲荷社と称していたようだ。

説明書きによると本社の祭神は、

第一に宇賀御魂神、第二に素戔嗚尊、第三に大市姫、田中社と四大神を合わせて5座

となっている。

そして、今の奥宮のある場所(と思う)に上之社があり、

宇賀御魂神と伊弉冉尊が祀られている

と記されている。

宇賀御魂神(宇迦之御魂神)の両親として素戔嗚尊と大市姫が祀られていて、祖母の伊弉冉尊も、、、という格好だ。

現在の祭神

現在の本殿には、以下の5柱が祀られている。

下社(中央座)=宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)
中社(北座)=佐田彦大神(さたひこのおおかみ)
上社(南座)=大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)
下社摂社(最北座)=田中大神(たなかのおおかみ)
中社摂社(最南座)=四大神(しのおおかみ)

摂社であった田中大神(たなかのおおかみ)と四大神(しのおおかみ)は、摂社格のまま本殿に合祀される形をとっている。

神仏習合時代の祭神間関係性と比較したとき、中社と上社が入れ替わっているような気がするが、そもそも、よくわからないものであるからして、気にしないでおこう。

今、山頂の三つの峰は神蹟として復活し、それぞれに稲荷神が祀られ、周囲には多くのお塚が並んでいる。

  • 一ノ峰(上之社神蹟) – 末広大神
  • 二ノ峰(中之社神蹟) – 青木大神
  • 三ノ峰(下之社神蹟) – 白菊大神
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伏見稲荷大社のご利益

宇迦之御魂大神は須佐之男命の御子神で、穀物・食物を司る神とされている。

よって、ご利益は「五穀豊穣」。今では「商売繁盛」「産業振興」の神として信仰を集めている。

伏見稲荷大社と狐

kitune

伏見稲荷大社の神様のお使いは「狐」。何故、狐なのか。

諸説ある。

  • 宇迦之御魂神=御饌津神(ミケツ神) ⇒ 三ケツ神 ⇒ 三ケツネ神⇒三狐神という5段活用説。関西の年配の人は、”きつね”うどんを、”けつね”うどんと呼ぶ。
  • 稲を荒らすネズミを、狐が捕食してくれるため、稲の守り神として狐を神とした説。
  • 伏見の地には秦氏が入ってくる以前に狩猟の民が山の神を信仰しており、その象徴が当初「狼」であったのが、いつか「狐」に変化して、後からやってきた農耕の民たちの神と習合したとする。<梅原猛説>

などなど。

伏見稲荷大社と「お塚信仰」

稲荷山のもう一つの特徴は「お塚信仰」だろう。伏見稲荷の独特な雰囲気はこれによるところが大きい。

稲荷山に足を踏み入れると、至る所に石鳥居や朱色の鳥居に囲まれた磐座や石碑を目にする。初めて訪れる人には異様な光景に不気味に感じるかもしれない。

これは「お塚」と言われるもので、全て一般庶民や企業によって設営された「私的な信仰施設」すなわち「私のお稲荷さん」なのである。

財力のある者は大きなお塚を、そうでない者は小ぶりなお塚。おのおの「自分で考えた神名」を彫り込んでいる。

弘法大師や不動明王の文字を彫り込んだ石仏もある。般若心経を唱える者もいる。まさしく神仏習合の形が庶民レベルで残っていることが窺えるのである。

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