飛鳥戸神社|大阪|復活した名神大社

2020年7月20日

飛鳥戸神社は、大阪府羽曳野市飛鳥にある神社。

延喜式神名帳に「河内国安宿郡 飛鳥戸神社 名神大 月次新嘗」とある、格式高く霊験あらたかな神社である。

飛鳥といえば、大和国にも飛鳥がある。現在の明日香村あたりだ。これを区別するために、河内の飛鳥を「近つ飛鳥」、大和の飛鳥を「遠つ飛鳥」と呼ぶ。

もうひとつ、飛鳥と言えば「飛鳥ワイン」を思い浮かべる方も多いのではないだろうか。先のG20大阪サミットで饗されたワインが飛鳥ワインだったから。

実は、柏原市・当社のある羽曳野市・南河内郡太子町にかけての山沿いは葡萄の産地で、古くからワイン醸造も盛んに行われていた地域なのである。梅酒のチョーヤもワイン造りから発祥してしている。

そんな場所であるからして、当社の周囲には葡萄畑が広がっている。収穫時期には近づかない方だいいだろう。

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飛鳥戸神社について

飛鳥戸神社 概要

  • 所在地  大阪府羽曳野市飛鳥1023
  • 電話番号  
  • 主祭神  飛鳥大神
  • 社格   名神大社
  • 公式HP   なし

飛鳥戸神社のアクセス

MAP

最寄り駅

  • 近鉄南大阪線「上ノ太子駅」徒歩10分

駐車場

  • なし 

上ノ太子駅の東にコインパーキングあり。徒歩10分。

飛鳥戸神社の祭神

社頭の案内に、

雄略朝に渡来伝承をもつ百済系飛鳥戸造一族の祖神である飛鳥大神(百済の琨伎王)を祭っている。

とある。琨伎王は「こんきおう」と読む。

日本書紀の雄略5年の条に、百済の加須利君が弟の軍君(琨伎王)を日本に遣わし、天皇に仕えさせたという記述がある。

軍君(琨伎王)は帰国したようだが、その子孫の中で日本に定住した一族があり、それが飛鳥戸造だという。

さらに

百済琨伎王の子孫にあたる百済宿禰や御春朝臣たちの働きかけにより、貞観元年(859)8月に無位から正四位下を授けられ、翌2年10月に官社に列した

とある。

無位だった当社が、859年に正四位下の神階が与えられたという。そして967年施行の延喜式では名神大社。とんでもない出世である。

それが百済宿禰らの力ということか。いや、おそらくは飛鳥戸出身の女性「百済永継」がキーとなろう。

百済永継 は、藤原内麻呂との間に真冬・冬嗣という兄弟を生む。

冬嗣は後に太政大臣となり、その子の良房は、従一位太政大臣となり皇室以外で初めての摂政にもまでなった人。

彼女自身も、内麻呂と別れて桓武天皇の女官となり寵愛を受けたというスーパーウーマン。

そんなこんなの力が働いての、飛鳥戸神社の大出世が実現したものと思われる。

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飛鳥戸神社 参拝記録

飛鳥戸神社に車で行かれる場合は、斜面の麓から(線路沿いから)上がるのではなく、山腹を走る南河内グリーンロードから降りる方向でアプローチされた方がよかろうと思う。

下からだと一の鳥居を見ることが出来るが、道幅が恐ろしく狭いのだ。狭いのに、葡萄農家のおっちゃんの軽トラが結構な頻度が走ってくるものだからいただけない。

南河内グリーンロードから降りると80mほどで、分かれ道になる。右側が斜め下へ降りる道。その先に当社があるのだが、そこを降りてしまうと極狭に入ってしまう。

なので、そのY字三叉路の脇に寄せて駐車するしかなさそうだ。

そこから歩いて100mほどで社頭につく。

社頭

新しい社標。名神大社と刻めばよいのに、式内大社とある。奥ゆかしい。

この画像だけ見ると、車でのりいれられるんじゃない?と思うかもしれないが、この画像の手前にはちょっとした段差があるのだ。

SUVだのクロカンだのという、車高の高い車であれば大丈夫かもしれない。

石段

狛犬も新しい。石段や石垣も綺麗だ。近年に新調されたようだ。

全体的に日当たり風通しも良好で、気持ちがいい境内である。

拝殿

極一般的な拝殿。鄙びた温泉旅館の離れに来たような雰囲気がある。

どうやら中に入れそうなので引き戸を開けて入ってみよう。

本殿

スコーンと開けた視界の中に、ぽつねんと本殿が鎮座している。

少しく可愛らしく見えるではないか。

お供えの榊も新しい。社殿は少し年期が入っているようだ。昭和40年の築という。

聞くと、一度は近隣の壺井八幡宮に合祀されたが、昭和27年に地域住民の希望によって復活したらしい。

一村一社政策で合祀され、戦後に複社した神社は多いが、このように完璧に管理されている神社は多くはない。

こちらは氏子さん達がとても大切にされている様子だ。まさに「復活」した神社と言っていいだろう。

スゴイぞ!飛鳥人!と言いたい。

境内社

お稲荷さんである。数年前は、本殿左手に鎮座していたようだ。

どうやら、この飛鳥戸神社は、少しずつ少しずつ、整備し続けているのだろう。

また数年後に訪れたとき、変わっていることを期待しよう。

そしていつの日か、社標に「名神大社」と刻まれることも期待して。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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