田殿丹生神社|和歌山|

2020年3月18日

田殿丹生神社は、和歌山県有田郡有田川町にある神社。

有田川沿いに聳える、いかにも神が降臨しそうな雰囲気の、きれいな円錐形の神奈備「白山」の麓に鎮座する古社である。

創建は相当に古いと思われるが、延喜式神名帳には記載なし。

これは、有田川の氾濫で社殿を失っていた時期があったからだろうか。

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田殿丹生神社について

田殿丹生神社の祭神

主祭神は丹生津比売命大名草比古命の二柱で、配祀神は多数あり。

丹生都比売命

丹生大明神ともいわれ、「丹生大明神告門詞」では天照大御神の妹神とされている。

丹とは水銀のことをいい、丹生は水銀が採掘される場所を指す。現にこの地域では水銀が採掘されていたという。

また、丹生都比売命は水の神ともいわれている。有田川沿いの農耕と治水のために祀られたのかもしれない。

大名草比古命

当社では丹生大明神の御子とされている。

名草とは今の和歌山市、海南市、有田市あたりの旧地名だが、大名草比古命は名草を支配していた一族の祖神で、紀直氏の祖神かも?とも言われている。

そして、その紀直氏は和歌山市秋月に日前宮(日前神宮・国懸神宮)を祀った。

となれば、丹生都比売命をこの地に祀ったのも、紀直氏だった可能性が高い。丹生都比売命が祀られる天神で、大名草比古命は祀る側の祖神となろう。

一方、和歌山県伊都郡かつらぎ町の名神大社「丹生都比売神社」には、第二殿に「高野御子大神」が祀られている。丹生都比売命の御子とされる。

さらに、「高野御子大神」は高野山の開創に関係した神で、丹生比売大神と高野御子大神の関係は、本来は祀られる側の神と祀る側の神の関係だという。

同じ構図となる。

さらに、当社では大名草比古命高野大明神とも称される。

神名も似ているではないか。

似ているというだけで断じるわけにはいかないが、高野御子大神とは大名草比古命なのかもしれないと思いたくなる。

田殿丹生神社の創建

前述の「丹生大明神告門詞」には、丹生大明神が天から降臨し丹生川上の水分の峰で国懸したあと各地を巡幸して、忌杖を刺していった(開拓した)地名が列挙されているのだが、その中に、

安梨諦(ありだ:有田)の夏瀬の丹生に 忌杖刺し給ひ」

とある。これは、

「当社社頭に広がる夏瀬という平野に、そこを神地として四方に杖を刺して標識として、ここを中心としてその地方を開拓した」

という意味である。

水分の峰から、山や岩にピョンピョンと遷っていっては各地を開拓していく中で、ここへは円錐形の神奈備「白山」に降臨して、この地を開拓したというイメージとなる。

おそらく、創祇当初は白山全体を神として齋祀ったのであろう。

時は流れて、応神天皇の御代(5世紀)になると、夏瀬の森の中に社殿が造営されたと伝わっている。

しかし、平安時代(1000年頃)の有田川の大洪水で社殿が流されたため、現在地に遷されたという。

平安末期(1100年頃)には、真言の僧、玄蔵上人が神社の東の神谷に七堂伽藍21坊を建てて、神谷山最勝寺を開き、神仏習合の寺院となった。僧侶による祀りが行われていたことだろう。

これは、空海が丹生都比売神社を氏神として高野山金剛峰寺を開いたのを模したということらしい。

その後、安土桃山時代末期(1600年頃)に最勝寺が破却されて、神社だけが残ったという。

田殿丹生神社のご利益

丹生都比売命の開拓の大業とご神徳から、産業発展、開運、縁結びのご利益がいただけるという。

 

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田殿丹生神社 参拝記録

有田川の北側の道を、河口方面から上流方面へと進む。

途中には、我々世代には懐かしい、石井・島田のバッテリーを擁して春夏連覇を成し遂げた、尾藤監督率いる箕島高校がある。そうそう、4番北野のサイクルヒットも忘れてはなるまい。

そうこうしているうちに、有田市から有田川町へと入っていく。景色も徐々に家並みが減っていき道幅も細くなっていく。

堤防上に大きな楠が見え、その根元に神社が見える。まさかこれが、、、

いやいや、その道を挟んだ向かい側が、目指す「田殿丹生神社」である。

社頭

道も斜め、電線も斜めになっているので、目の錯覚で傾いた写真のように見えるかもしれない。

しかし、定規を置いて確かめると、、、いや、傾いとるか、、、申し訳ない。

「禁殺生」の大きな石版が主張してくる。これは神仏習合の名残であろうか。

駐車場

鳥居のから延びる内参道の右側が駐車場だ。広いから、気兼ねなく駐車することができる。

白山と巨岩

神社の背面に聳える山が白山。その中腹に大きな岩が2個見える。磐座だろうか。

そして山頂には、小さな小さな祠があるらしい。白山神社だ。

白山遠景

割拝殿

割拝殿といってしまっていいのか、神門というべきなのか、、、

ここを通って進むのだが、両側の壁にいろんな情報が掲示されていて面白い。是非、足を止めてご覧いただきたいと思う。

自祓の小麻(こぬさ)

そんな中に、コレがある。小麻(こぬさ)。これで、自分自身の穢れを祓うのである。

神社によっては祓戸社があって、そこに参拝して穢れを祓ってから本殿へ進むというシステムもある。

拝殿への石段

この石段を上がると拝殿に辿り着くのだが、ふっとこのような標識が目についた

昭和28年の水害で、この石段の九段半まで水に浸かったと記録されている。

この場所に立って振り返り、有田川町内を見ると、、、もう全てが濁流の中ということになる。

調べると、紀州大水害とも28水害とも7.18水害とも。

死者行方不明者1000人超、負傷者5000人超、被災者25万人超で、これは当時の和歌山県人口の1/4らしい。

有田川、日高川流域で最も被害が大きく。日高川河口には上流から流れてきた犠牲者の遺体が積み重なっていたとか。。。

拝殿

二拝二拍手一拝。なかなか、神秘的な雰囲気でよろし。

御神木(大楠の株)

大きな大きな楠の切り株が安置されている。これは有田川の河原の土の中から発見されたもの。

有田川は昔はもっと南を流れていたらしい。だから、神社の前にあった夏瀬の森も、もっともっと広かった。そこに聳えていたであろう大楠。

平安時代に起こった、夏瀬の森が無くなっちゃうぐらいの大洪水で押し流され、地中に埋もれていたものが、護岸工事で発見されたとのこと。

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