住吉大社①|摂津国一宮|美しい住吉造の神殿は必見!ご利益満載の住吉さんへいらっしゃい!

2016年11月10日

住吉大社は、大阪府大阪市住吉区に鎮座する「摂津国の一之宮」である。

社格は、延喜式神名帳に「名神大社」に格付けされた式内社であり、平安時代に国家的祭祀を行う「二十二社」に列し、明治維新後は「官幣大社」、戦後以降は「別表神社」に指定されている、古来から現代にいたるまで、極めて霊験あらたかな神社として崇敬を集めてきた。

住吉大社の特徴は、なんといっても「住吉造りの神殿」である。4棟の神殿はすべて国宝に指定されているから凄い。そして、その4棟の本宮の配列にも注目が集まる。

もう一つの特徴は、非常に多い摂末社。そしてそれぞれが由緒正しく、独立した神社でもいいぐらいの特徴を持つ摂末社だ。

まず本記事では、住吉大社の概要と、本宮周辺についてご紹介したいと思う。

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住吉大社について

住吉大社 概要

  • 所在地   大阪府大阪市住吉区住吉2丁目9−89
  • 電話番号  06-6672-0753
  • 主祭神  底筒男命・中筒男命・表筒男命・神功皇后
  • 創建年      神功皇后の御代
  • 社格   名神大社・二十二社・一之宮・官幣大社・別表神社
  • 公式HP    http://www.sumiyoshitaisha.net/

住吉大社 アクセス

MAP

最寄り駅

  • 南海本線「住吉大社駅」 徒歩3分
  • 南海高野線「住吉東駅」 徒歩5分
  • 阪堺線 「住吉鳥居前駅」 徒歩すぐ

個人的には、天王寺から大阪唯一のチンチン電車「阪堺線」で行かれることをお勧めする。

駐車場

  • あり(有料)

一般参拝は、境内の南西角に駐車場への入り口がある。
ご祈祷をされる場合は、ご祈祷者専用駐車場へ、すなわち北西角の入り口から入ることになるだろう。

住吉大社の祭神

住吉大社は、それぞれに拝殿等をもつ独立した4つの本宮で構成されている。それぞれの祭神は次の通りである。

  • 第一本宮・・・祭神:底筒男命(そこつつのおのみこと)
  • 第二本宮・・・祭神:中筒男命(なかつつのおのみこと)
  • 第三本宮・・・祭神:表筒男命(うわつつのおのみこと)
  • 第四本宮・・・祭神:神功皇后(じんぐうこうごう)

底筒男命、中筒男命、表筒男命の三柱を合わせて「住吉三神」「住吉大神」という。しかし神功皇后を合わせた四柱で「住吉大神」ということもある。

住吉三神

伊邪那岐命は、亡くなった伊邪那美命を連れ戻すため黄泉の国へ向かう。しかし失敗に終わり、逆に穢れを受けてしまった。その穢れを「阿波岐原(あわぎはら)」の海で禊祓うときに、天照大神、月読命、素戔嗚尊、綿津見三神など多くの神が生まれた。

住吉三神も、そのときに現われた神々である。海の神、航海の神とされている。

住吉三神が14代仲哀天皇に三韓征伐を勧める神託を降ろしたところ、仲哀天皇はその神託を疑った。激怒した住吉三神の神罰によって、仲哀天皇は崩御されたという。

怖い神様でもある。

神功皇后

14代仲哀天皇の皇后で、応神天皇の母。妊娠中にもかかわらず、住吉三神の神託により三韓征伐を敢行した勇猛果敢な女傑である。

住吉大社を始め、廣田神社、長田神社、生田神社など、大阪湾沿岸に多くの神社を創建した伝承が残っている。

ちなみに、住吉大社神代記によると、神功皇后と住吉大神は「密事」を持ったと記述されている。いわゆる夫婦の仲ということだ。そしてそれは武内宿禰ではないかとも囁かれている。

住吉大社の創建

創建は、神功皇后の三韓征伐に由来する。日本書紀によると、、、

住吉三神は神功皇后に「新羅を征伐すべし」と神功皇后に託宣を下す。応神天皇をお腹に宿しているにもかかわらず、神功皇后は海を渡り、住吉三神の守護のもと見事に新羅を平定。帰路、筑紫の宇美で応神天皇を出産。

ところが九州から大和への帰還の途中、産まれたばかりの応神とは異母兄である麛坂皇子と忍熊皇子の反乱に遭ったり、難波へ向かう船も進まなくなったりと、困り果ててしまう。

そこで、務古水門(むこのみなと:武庫川河口とされる)で得意の占いを行う。すると、またしても住吉三神が託宣を下した。「我の和魂を大津の渟中倉の長峡(おおつのむなくらのながお)に祀るべし!」神功皇后がその通りに鎮祭すると、海を渡れるようになったという。

その鎮祭の場所が、のちの「住吉大社」である。

年代としては、「西暦211年と伝わるが、実際の年代は干支二運(120年)をくり下げて5世紀初頭と推測される」とは、宮司さんのお話しである。

少しでも長い歴史を誇示したいであろう神社業界にあって、極めて謙虚で潔い姿勢だと思う。

住吉大社のご利益

住吉大社は摂津国の一之宮であり摂社も多い。よって、およそすべての御利益を頂けると思われるが、特に強いご神徳は次の通りである。

お祓い

住吉三神は、伊邪那岐尊の「禊祓」で現れた神々であるからして「祓え」のご神徳が最も高いと考えられる。

航海安全・漁業守護

住吉三神は、海の中から出現された神々であるからして海の神である。よって「航海安全」「漁業の守護」に霊験あらたかである。

遣唐使は出港に先立って、必ず住吉大神に安全を祈願したとのことである。

安産の神

これは神功皇后、すなわち第四本宮のご利益である。

妊娠中に三韓征伐を敢行した神功皇后は、出産を遅らせるために石を抱いていたという。なんという豪傑であろうか。

凱旋した暁に福岡の宇美の地で、見事に応神天皇を安産なされたという伝承により、安産の神として崇められるようになった。

農耕・産業の守護神

住吉大神は、苗代の作り方を教えたと伝わっているらしく、「農耕の神」であり、ひいては「産業の神」ともいえるのである。

武・勝負の神

神功皇后が住吉三神のお力添えで見事に三韓征伐を果たした、その武勇を称え「武・勝負の神」として信仰を集めている。

住吉大社のご神紋

住吉大社のご神紋は「花菱」である。んっ?花菱?

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私の御子が背負っているスクールバッグで、いつもチリンチリンと揺れているお守りも「花菱」だが、伊勢の内宮で買い求めたものである。

なんと、伊勢の神宮と住吉大社は同じ神紋だった。調べると。。。

  • 神功皇后のモデルが卑弥呼であるといわれていること、
  • その神功皇后(=卑弥呼)が新羅征伐の際に着用していた鎧に描かれている御紋が花菱であること、
  • そして花菱が住吉大社の神紋であると同時に天照大神を祀る伊勢の神宮の神紋でもあること、

などから鑑みて、天照大神のモデルは卑弥呼ではないか

という説を見つけた。

これをひっくり返すと、住吉大社の第四本宮に祀られる神功皇后は、伊勢の神宮の天照大神と同一神であるということになる。

「このご神紋が目に入らぬか!」である。心して参拝されたし。

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大鳥居から住吉鳥居まで

電車でのアプローチの場合は「阪堺電車」の住吉大社鳥居前駅を下車すると便利だ。車でのアプローチでも、京都や奈良の観光地と違って他に名所旧跡がないので、交通渋滞はともかく、駐車場に入れるのに延々と待たされるということはないと思う。

住吉大社は西向に鎮座しているので、西の鳥居が正門となる。

正門の大鳥居

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鳥居をくぐる前から、清浄でひんやりとした空気が流れていくのがわかる。

反橋

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鳥居をくぐると、目の前に「反橋」が立ちはだかる。けっこう急な勾配だ。ここを神輿が渡るというのだから、危険この上ない。

反橋 横から見た図
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太鼓橋ともいわれる反橋は、淀君に寄進によるもの。

この橋を渡ると罪や穢れが祓い清められる祓戸社の代わりとなろう

参拝のおりには、まずは反橋を渡って頂きたい。

兎の水口「手水舎」

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反橋で祓い清めたあと、手水舎で手と口を漱いで身を清める

こちらの水口は「兎」である。神功皇后が祀られた日というのが、卯の年、卯の月、卯の日であったため、「兎」が住吉大社の象徴となっているのである。

他にも、宇治神社恩智神社で「兎」の水口を見ることができる。

住吉特有の鳥居「住吉鳥居」

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いよいよ神域に入る。階段を上ると、そこに住吉大社特有の形状である「住吉鳥居」がそびえ立つ。

住吉鳥居の特徴は、柱が円柱ではなく「角柱」であるということ。よって「角鳥居」ともいう。じっくり鑑賞いただきたい。

この鳥居の手前の階段。この段差がまさしく上町断層なのだ。反橋の入口との高低差を見るとかなりの段差であることがわかる。

最古の神社建築様式 国宝「住吉造」

住吉鳥居をくぐり、続いて楼門をくぐる。正面に見える社が第三本宮である。

正面から見る光景と、後ろから見る光景が全く違う。「新と古」あるいは「明と暗」といおうか。拝殿と本殿の趣がまったく異なっていて、面白いのである。

また、本殿自体も、朱・白・黒・金が一定の規則性の中で配置されていて、じつに美しい。「おもちゃの家」に見えてしまうのは私だけであろうか。

この本殿が有名な「住吉造」である。

「住吉造」は、神宮の「神明造」・出雲大社の「大社造」と並んで、日本最古の神社建築様式であり、住吉大社の本宮はすべて国宝に指定されている

建築に興味のない方も、日本人として国宝は見ておくべきである。

「住吉造」の特徴

  • 柱・垂木・破風板は丹塗りで、 羽目板壁は白胡粉塗りである
  • 屋根は桧皮葺で、切妻の力強い直線である
  • 出入り口が直線型妻入式である
  • 屋根には置千木と5本の四角堅魚木があるが、第四本宮の千木は内削ぎ、他の3宮は外削ぎである。
  • 周囲に迴廊がない
  • 本殿の周囲は板玉垣、その外も荒忌垣で囲われている
  • 柱は太い丸柱で礎石の上に立てられている
  • 内部は、正面より前が外陣、奥が一段高い内陣と二部屋構造になっている

といったところか。最も特徴的なのは前の3項目であろう。特に直線的な屋根の形状は素晴らしい

ちなみに、

千木の先端を地面に垂直に切る「外削ぎ」(そとそぎ)は祭神が男神の場合で、
地面に平行に切る「内削ぎ」(うちそぎ)は女神の場合であることが多い

とされている。伊勢の神宮ではその限りにないとされるが、どうであろうか。

左が神功皇后(女神)を祀る「第四本宮」で千木が「内削ぎ」
右が表筒男命(男神)を祀る「第三本宮」で千木が「外削ぎ」

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本宮の配置

この画像は、第三本宮と第四本宮の間からのアングルである。

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このように、第三本宮(手前左)の南横に第四本宮(手前右)。さらに最初の第三本宮から奥に向かって一直縁に、第二本宮、第一本宮と並んでいる。(一番奥に小さく見えるのが第一本宮)

四つの本宮がL字型に配置されている。非常に珍しい配置で興味深い。

大海原をゆく船団にたとえられ、直列は「魚鱗の構え」で、一社が開くのは「鶴翼の構え」を表している、、、と伝えられている。

また、航海における目印になったオリオン座の三つ星とみる説もある。三つ星は水平線から昇るとき縦に並んで昇ってくる。

夏の土用のころの三つ星は、明け方の東の空に3日間にわたって一つずつ増えながら昇ってくるという。まさに、東から一列に並ぶ三つの神殿そのものである。

であるからして、第四本宮をその列に加えるわけにはいかなかったのだろうか。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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