王子神社|北区|元准勅祭社にして東京十社の北方鎮護の神。境内には頭髪の守護神も。
王子神社は、東京都北区王子に鎮座する、このあたりの地名の由来となる古社にして、元准勅祭社で東京十社に列する神社である。熊野三所権現の勧請でかつては王子権現と呼ばれた。
王子駅から徒歩5分程度の丘上にあり、麓には音無川沿いに造られた「音無親水公園」がある。
また音無川を挟んだ向かい側には、「飛鳥山公園」があり、まさに都内のオアシスと言える立地にある。
音無親水公園、飛鳥山公園とも桜の名所である。春先に訪れたい神社である。
王子神社について
王子神社 概要
- 所在地 〒114-0022 東京都北区王子本町1丁目1−12
- 電話番号 03-3907-7808
- 主祭神 伊弉諾命、伊弉冉命、天照大御神、速玉之男命、事解之男命
- 創建年 1322年
- 社格 准勅祭社、郷社
- 公式HP http://ojijinja.tokyo.jp/
王子神社 アクセス
MAP
最寄り駅
- 京浜東北線・東京メトロ千代田線「王子駅」 徒歩5分
駐車場
- あり(無料)
王子神社の創建
創建年代は不詳である。
源義家公が奥州征伐に赴く際に戦勝祈願のため当地で金輪仏頂を修法し、凱旋時に鎧甲冑を納めた
とする史実が残っている。
金輪仏頂を修法したということは「密教」であろうからして、少なくとも平安末期のこの地に、熊野信仰かどうかは別にして密教の聖地があったことは間違いないと思われる。
その後、
鎌倉時代末期の1322年(元亨2年)、領主「豊島氏」が熊野新宮の浜王子より勧請し、社殿を造営して「若一王子宮」を奉斎。
と伝わる。ここいらへんが創建となろうか。
その後、小田原北条家、徳川将軍家の崇敬も篤く、王子権現として江戸の名所になっていった。
特に、紀州藩出身の8代将軍「徳川吉宗」は、紀州に由来のある神社であることを大変喜び、飛鳥山を寄進し沢山の桜を植えて、このあたりを江戸庶民の遊楽の地としたという。
王子神社の祭神
伊邪那美命、伊邪那岐命、天照大御神、速玉之男命、事解之男命の五柱の神々を祀り、その総称として王子大神と呼ぶ。
伊邪那美命
熊野本宮大社では第一殿に祀られている。本地仏は千手観音。
伊邪那岐命との間に多くの神を生んだ女神である。
伊邪那岐命
熊野本宮では第二殿に祀られている。本地仏は薬師如来。
伊邪那美命との間に多くの神を生み、伊邪那美命の死後、禊によって多くの祓いの神を生む。天照大神・月読尊・素戔嗚尊も伊邪那岐命の禊で生まれた神である。
天照大神
熊野本宮では第四殿に祀られている。本地仏は十一面観音。
祭四殿は若宮と称され、一般的には若一王子と天照大神は同一とされる。
浜王子から勧請され「若一王子宮」と称したということは、すなわち天照大神を勧請したということか。
速玉之男命
熊野本宮第二殿に、伊邪那岐命とともに祀られている。というか、伊邪那岐命と同一とする見方の方が一般的になりつつある。
そもそもは、伊邪那岐と伊邪那美の離縁の際に、約束固めに伊邪那岐命が吐いた唾から生まれた神という。
事解之男命
熊野本宮第一殿に、伊邪那美命とともに祀られている。同じく、伊邪那美命と同一とする見方の方が一般的になりつつある。
そもそもは、約束固めの唾を吐いたあと、それを掃ったときに生まれた神。
浜王子社について
王子神社(若一王子宮)の勧請元である浜王子は、もともとは、初代神武の東征の際に荒れ狂う熊野灘を鎮めるため自ら入水した二人の兄「灘稲飯命」と「三毛入野命」の二柱を祀る航海安全の社であって、天照大神は祀られていなかったそうだ。
それがいつのころからか、熊野権現の御子神を祀る九十九王子が乱立する中で、こちらも王子の一つとして扱われるようになり、祭神が変化していったものと思われる。
王子神社のご利益
実に明確に謳われている。「開運除災」と「子育大願」だ。
- 「開運除災」・・・開運招福・運気の回生・厄除け・家内安全・身体健全・交通安全。
- 「子育大願」・・・安産・子ども健康・学業成就。
実に幅広い。
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王子神社 参拝記録
京浜東北沿線で商談を終えた私は、今夜の宿泊地である赤羽に向かうことにした。しかし、まだ夕暮れには時間がある。フフッ。
こうなると、スマホで検索だ。王子神社を見つけるのに、10秒とかからなかった。
JR王子駅を降りる。間違って北側に出てしまった。焦りは禁物である。
このトンネルをくぐって駅の南側に出ることにする。
トンネルをくぐって前方を見ると、右手にそれとわかる森が見える。近い。
そのまま、魚民などの前を通過して直進すると、
音無親水公園
これが音無親水公園だ。
右手の斜面上には王子神社の社叢、左手には音無川。緑豊かで爽やかながら優しい空気に包まれる癒しの小路である。
王子神社は、熊野本宮大社に模して造営されたという。この音無川もそう。
音無川とは熊野川の支流で、熊野川と音無川の合流地点に古代熊野本宮があった。
王子を流れる音無川の本当の名称は「石神井川」。隅田川の支流である。この川、王子付近だけ熊野に倣って「音無川」と称される。
水車前に王子神社境内へと上がる参道がある。こちらが近道だ。
しかし、せっかくなので正門から入ろうと思う。すこし遠回りしよう。
しばらく歩くと、橋が見えてくる。この橋の手前右手の階段を上ろう。
社頭
先の階段を上がり右に曲がるとすぐ見えてくる。「王子神社」の文字の迫力が凄い。
手口を漱いで身を清め、心も洗うのである。
拝殿
迫力ある権現作りの社殿。破風が大きい。
東京十社に列する、王城北方の鎮守である。北からくる災いをば、ここで喰いとめる役割を担っているのだ。
二拝二拍手一拝。。。。。
本殿
木が茂っていて、壮大な権現造りが見えないのが残念である。
毛の守護神 関神社
駐車場のそばに、全国でも珍しい毛髪の守護神を祀る神社がある。関神社。滋賀県大津と京都市境目「逢坂」に鎮座する「関神社」の勧請で、祭神は、蝉丸公・逆髪姫・古屋美女の三柱。
蝉丸は、平安時代後期の琵琶の名手であり歌人でもある。
これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関
誰しも一度は耳にしたことがあるこの和歌。蝉丸公の作である。
蝉丸公の姉「逆髪姫」は剛毛と逆毛で悩んでいた。そんな姉のために、侍女の「古屋美女」に命じて「かつら」を作らせた。
もしかしたら、古屋美女が自らの黒髪を切って作ったのかも。。。
これが日本史上初の「かつら」とされ、蝉丸公は「芸能の守護神」であるとともに「髪の祖神」として崇拝されるようになったという。
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最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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