許麻神社|癒しのパワーが溢れ出す神域!大狛連の氏神様は、温かいパワーを持っていた!

2018年2月16日

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許摩神社 概要

許摩神社は、八尾市の久宝寺にある式内社の小社「渋川六座」の一つに数えられる。河内誌には「今弥天王」と記されおり、江戸時代は疫病除けの神社として「牛頭天王」と称された。

というのも、境内には宮寺の「久宝寺観音院」が併設され、一時は神社としての性格よりももっぱら寺院として存続していたようである。なので「牛頭天王」である。

明治に入り、神仏分離・廃仏毀釈によって、神社として復活した。

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渋川六座

旧渋川郡にあった式内社の六社を指す。

許摩神社の創建物語

創建は定かではないが、私は次のように考える。

西暦668年。朝鮮半島北部から満州南部に広大な領土を誇った王国「高句麗」が、唐や新羅に攻められ滅亡した。高句麗の有力な氏族たちは、この難を逃れるため日本列島を目指して移動を始める。このころ、多くの高句麗の人々が日本各地に移住した記録がある。

さて、日本に移住した高句麗の氏族の中の一つ「大狛氏」は、河内国若江郡から渋川郡にかけて住み着くようになった。自発的なのか、ここを指定されたのかは不明である。

高句麗から渡来した氏族が住む地域だから、その地域を「高麗」=「コマ」と呼ぶようになり「許麻」や「巨麻」の字を当てた。もしかしたらストレートに「高麗」(コマ)としていたのかもしれない。

大狛氏たちは、異国のこの地を安住の地と定め、ここに自らの始祖「高麗国溢士福貴王」を祀ることにした。これが「許摩神社」の創建である。のちに、大狛氏は朝廷より連を授与され「大狛連」と呼ばれるようになるのである。

ちなみに、日本に移住した別の氏族に「狛染部」がある。この氏族の始祖は「高麗国須牟祁王」なのだが、渋川六座の「波牟許曾神社」(はむこそ)は、この「高麗国須牟祁王」を祀ったものではなかろかと思うのである。少なくとも「波牟許曾神社」が鎮座する蛇草村に「狛染部」が居住していたのではないかと。。。

明確な根拠は無い。ただ、「狛染部」が河内のどこかに移住していたであろうということ、許曾は朝鮮由来の言葉であること、波牟と須牟が似ていること、久宝寺と長瀬と巨摩が地理的に近いということ、などからの想像である。

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許摩神社の祭神

祭神は「牛頭天王」「高麗王霊神」「素盞鳴命」「許麻大神」とされる。

牛頭天王は、素戔嗚尊の本地仏であるから、牛頭天王と素戔嗚尊は同一神と見ることができる。

高麗王霊神と許摩大神についても、高句麗式と日本式の神名で、すなわち同一神と思うのだが。。。

許摩神社のご利益

牛頭天王・素戔嗚尊から、厄除け・厄祓い・無病息災」のご利益を頂こう。

高麗王霊神・許摩大神からは、「家内安全」「フロンティア精神」を頂こうではないか。

その他、摂社にも素晴らしい神々が祀らている。そちらの神々からも多くのご利益を頂ける可能性が大である。

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許摩神社 参拝記録

この場所を説明するのは、極めて難しい。スマホの地図アプリを見ながらお越しいただきたい。

もし車でのアプローチをお考えの場合、注意が必要である。というのも、カーナビのルート案内では、神社の裏ちかくまでは到達するのだが、神社まではいけないのである。(私のHONDA純正カーナビでは。。。)

必ず、府道173号線の「顕証寺」交差点を西に入っていくルートでアプローチしてほしい。そうすると許摩神社の社頭に出る。そして、2~3台は止められるスペースがあるのだ。

そしてこの道は、久宝寺寺内町の中を通り抜けるルートであるため、景観がよいということも付け加えておく。

寺内町

寺内町は「顕証寺」を中心とする、土居と環濠で囲まれた真宗門徒による自治区である。寺内町には土居に設置された6か所の門からしか入ることができない。その門には地蔵尊が祀られていた。

現在も環濠跡など、当時をしのばせる構造物が多く残されており、歴史に触れることができる町として人気のエリアである。

許摩地蔵

許摩神社社頭の道路を挟んで向かい側に「許摩地蔵」が祀られている。

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先の「土居に設置された門」の一つがここにあったと思われる。

環濠跡

流れる水路が環濠である。

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鳥居

では早速、許摩神社に参拝しようではないか。これが鳥居である。p1030071_r

式内社 許摩神社と書かれた石柱が輝いているではないか。

手水舎

鳥居をくぐると左手に「手水舎」がある。

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この屋形は、廃仏毀釈で廃寺となった「久宝寺観音院」の鐘楼を移築したものらしい。「久宝寺観音院」は、なんと聖徳太子の建立とされる、由緒ある寺院なのだ。

ちなみに、ここの鐘は大和の高田まで鳴り響いたとされる有名な鐘なのだが、廃寺となった以降行方不明となっていた。それがなんとモスクワで発見されたのである。

日露戦争で捕虜となった人がモスクワに送られたとき、ニコラス寺院で「渋川郡久宝寺村」と刻まれた大鐘を発見したという。

水口

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すっかり風化してしてしまっているが、おそらくこれは「カエル」であろう。いや、間違いなくカエルである。

近づくと勢いよく水が飛び出す。ちょっとびっくりする。

謎のスポット

手水舎の裏手に謎のスポットを発見。

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かつて、ここに摂社か末社が祀られていた痕跡であろう。

鳥居を入ってすぐという位置から判断すると「祓戸社」系統であろうか。もしかすると「遥拝所」が設置されていたかもしれない。

社務所が閉まっていたので聞くこともできず、謎である。

そして、この画像の「謎のスポット」の後ろに黒い「岩」があるのが確認できるだろうか。その岩の周辺は、凄く居心地のいい場所である。体が軽くなる。一度体感していただきたい。

癒しのパワースポット「御神木」

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境内の中央にそびえ立つ御神木「大楠」である。触ると暖かい。この御神木から「癒しのパワー」を受け取ることができるだろう。

本殿に参拝する前に、摂社にご挨拶してみる。

金刀比羅神宮

最も大きい末社が「金刀比羅神宮」である。

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神宮という社号にしているのは「崇徳天皇」のみをお祀りしているからであろうか。大物主大神は祀られていないようである。ご利益は、旅行安全・社運隆盛である。

合祀殿

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三社を合祀してある。右から、、、

  • 天満宮・・・祭伸は、菅原道真公。ご利益は、学業成就・受験合格である。
  • 秋葉宮・・・祭神は、火具土命。火の神から転じて防火の神である。ご利益は、防火・厄除開運
  • 稲荷宮・・・保食神を祀る。稲荷大神ともいう。ご利益は、農耕・商売繁盛

八幡宮

合祀殿の左となりに「八幡宮」が鎮座する。

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応神天皇をお祀りする。ご利益は、家内安全、病気平癒である。

金刀比羅神宮、天満宮、秋葉宮、稲荷宮、八幡宮。ここまで、すべて「宮」で揃えてあるのが面白い。無理やり揃えたようにも見える。。。

厳島神社

この末社群の奥にも鳥居が見える。「厳島神社」である。

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およそ、池が設置してある場合、手入れが行き届かず雑然としているケースが多いのだが、こちらはたいへん綺麗にされている。宮司さんの、この池に対する思い入れが感じられるではないか。

そういう場所は、宮司さんの思いの強さ分「パワーが増大」している可能性が大きいと、私は常々思うのである。

小さな石橋を渡り、社殿に向かう。

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祭神は、市杵島姫命交通安全と諸願成就のご利益があるとしている。

やはり思った通りである。ここも非常に気持ちがいい。祈ると、風が吹き小鳥がさえずる。心がなごむ。祈りの最中に起こる自然現象は、神社においては偶然ではなく必然なのだと考える。

と、突然、噴水が!!

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どうやら、これぐらいの時間になると噴水が吹きあがるようになっているようである。もしくは宮司さんが水栓を開けたのか。。。

噴水の向こうには、鶴と亀と、なぜかカエル。宮司さん、この池に命を懸けているようだ。力作である。

とういわけで、ようやく拝殿から本殿の神々にご挨拶を申し上げることとする。

拝殿

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狛犬がお出迎え。ところで「狛犬」は、中国から朝鮮半島を経由して伝わった魔除けの獅子像。朝鮮半島ということで「狛」。日本人は獅子を知らない。犬に見えたから「犬」。よって「狛犬」と命名されたという説がある。

それはさておき、神前にて、二礼二拍手。天津祝詞。一礼。創建当時ここに移ってきた高句麗の人々の気持ちを慮って、高句麗の人々のために祈る。

そうすると、何か心が通じ合うような温かい気持ちになるのである。自己暗示?いや、神前ではすべて必然なのだ。

本殿

最後に本殿を見学させていただいた。

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鉄筋コンクリート造りであるが、いいではないか。

許摩神社は、境内どこにいても癒される。平野の杭全神社の空気感にも似た、「まったり」「のんびり」出来る神社であった。「黒い岩」「中央のご神木」「厳島神社」「拝殿前」は、特にパワーが強いということを再度申し上げて、参拝記録を終わらせていただく。

許摩神社を参拝して

正直に申し上げて、はじめはあまり興味の無かった神社であった。というのも朝鮮半島系の神社だという先入観があったからである。

しかし、よくよく考えると日本人の多くは大陸からの渡来人である。とくに河内の地は渡来人が多く住み着いた場所であり、であれば生粋の河内人である私のルーツも渡来人である可能性が極めて高いのだ。

そして、神社という概念は秦氏が広めた概念である。秦氏も渡来人。

そう思うと、俄然興味がわいてくるから人間は不思議な動物である。

実際に参拝してみると、ほかの神社と何の変りもなく、逆にどことなく「なつかしさ」を覚えた。私もこの大狛氏に近しい氏族がルーツであったのかもしれないと、直感的に思わせるに十分な感覚を持ったのである。

今から1,300年ほど前に思いを馳せることなど、日常ではありえない思考である。それをさせる力がこの神社にはあるということなのかもしれない。

ここでまた一つ、神社参拝について勉強させられたと思うのである。